エリスフィアの人々
領主であるロラン・グラッドの婚約の話は、すみやかにエリスフィア中に広まった。
「ご領主様がご婚約されるんですって!!」
「嘘でしょっ!? 相手は一体だれよっ!!」
早朝、洗濯のために水場に集まった女性達の間で悲鳴があがった。
ある程度年配の女性達はその様子をあらあら、と見守っている。
「いいじゃないの、あのぼうや、やっと結婚できるのねぇ」
「よくないわよぅ……っ!!」
わーんっ、と年若い女性達は声を上げる。
「わたし達のご領主様がぁっ!」
「目の保養だったのに……っ!」
「言ってもご領主様は貴族なんだから、あんた達は天地がひっくり返っても結婚できないから変わらないわよ?」
その冷静な指摘にぴたり、と彼女たちは口を閉ざす。そしてすぐに真っ直ぐな目をして言った。
「そういう問題じゃない」
「はぁ……」
「独身であることに夢があるのっ! 可能性がたとえ限りなくゼロに近くても完全なゼロじゃないことに希望があるのっ!」
「でも結婚するとゼロになっちゃうのっ!!」
「いやーっ!!」
「あんたに至ってはもう旦那がいるじゃないの……」
「イケメンは別腹なのよっ!」
その言葉に周囲の女性陣もうんうんと同意するようにうなずく。
「ロラン様ったら、とても精悍な顔立ちをされていて」
「鋭い涼しげな目元をされていて」
「そして帝国戦争での英雄でめちゃくちゃ強くって」
「わたし達のことも野良精霊とかその他いろいろなことから守ってくださって」
ほぅ、と焦がれるようにため息をこぼす。
「それなのに気取ったところもなく気さくに挨拶してくださるのよ」
「笑うと鋭い目が細まって一気に優しくなられるのっ!」
「強くてイケメンで優しいだなんて、ああっ、なんて……っ」
彼女達は口をそろえていった。
「彼こそ理想のスパダリだわぁ」
スパダリってパスタの一種かね? とそれを聞いていた年配の女性は首をひねった。
「それでお相手の女性は?」
ついでに尋ねると噂を持ち込んだ若い娘は「うっ」と言いづらそうに言葉を詰まらせた。
「なんでも、隣国の聖女らしいのよ」
「ええっ!?」
「うそっ! そんな大物がなんでこんな辺境にっ!?」
「騙されてんじゃないのっ!?」
再び上がった悲鳴に彼女はため息をつく。
「なんでもね、帝国戦争でお互いひとめぼれをされたとか」
「えっ」
「しかも半年ほどロラン様は病に伏せっておられたでしょう? それを治してくださったのがその聖女様らしいのよ」
「ええ~」
「隣国で無実の罪に問われて追放されたところをロラン様がお助けしたらしいわ。それで二人は結ばれたのですって」
途中まで絶望しきりだった娘達はその最後の言葉に顔を見合わせた。
「無実の罪ってなにかしら?」
「それ本当に無実なの? 本当に犯罪犯したとかじゃなくて?」
「ワンチャン騙されてない? 大丈夫?」
「なんでも事実確認のために最近数名の兵士を隣国に派遣したらしいわ。その辺はさすがに裏を取るでしょ。ふつー」
その言葉に再び彼女達は顔を見合わせる。
「ええ~っ! なにそれ~っ! じゃあ本当にただの恋愛結婚ってことっ!?」
「やだそれ! 入り込む余地ないじゃないっ!!」
「それは最初っからないでしょ」
「うるっさいわね! ああ~その聖女実は性悪で本当に有罪じゃないかしらっ! そしたらまだワンチャンあるわよっ!!」
「あんたロラン様の幸福を祈ってやんなさいよ……」
はぁ、とため息を一つつく。
(まぁ、前の領主の後妻の件があるから確かにちょっと心配だけど……)
しかしいずれは結婚して跡継ぎをもうけてもらわなくてはそれこそどこの馬の骨かわからない輩に領主の座が渡ってしまう恐れがある。
(まぁ、事実確認を取っているというのなら大丈夫かしら……)
それに『なにか』があればそれこそ領民達で願い出れば問題ないだろう。ロランは領民達の訴えに耳を貸さないような愚昧な領主ではない。
(屋敷に出入りしている子にどんな人柄の女性なのかは聞いておかないとねぇ……)
ふと、隣で洗濯をしていたなじみの主婦と目が合う。彼女も同じことを考えていたのだろう。
「確かうちの隣の娘が屋敷で下働きしてたはずよ」
とうなずいてみせる。そばにいた他の主婦仲間もそそそ、と寄ってくる。
「うちの息子も兵士としてロラン様に仕えているしねぇ」
「あら、しばらくは噂話に困らなさそうねぇ」
うふふ、と彼女達は笑い合った。
『前領主の後妻』の一件は彼女達にとっての黒歴史だ。生活に必死で、おまけに若者達はみんな戦に徴兵されてしまってとても後妻の人柄にまで手が回らなかった。
事態が発覚するまでにもかなりの時間を要したし、その時にはもう周囲を雇ったごろつきに固められていて手遅れだったのだ。
(同じへまはしない)
みんな同じ心持ちなのだろう。主婦達は若い娘達の悲鳴や歓声を聞き流してにっこりと微笑みあった。
「忙しくなりそうねぇ」
晴れた空を見上げて彼女はそうつぶやいた。




