51.転売屋は新たな仕込みをする
他人の店にかまけてないで自分の店を何とかしろ。
そんなことを誰かに言われた気がするので、ここ数日は自分の店に籠り、せっせと次の仕込みにいそしんでいた。
用意したのはグリーンキャタピラの糸。
魔物の糸だが特に特殊というわけではなく、この世界ではありふれた素材の一つだ。
むしろ綿花なんてものが無いのでこれが綿代わりみたいなものか。
『グリーンキャタピラの糸。柔軟性が有り軽く通気性が良い為、主に衣服の素材として使用されている。大人しいので半家畜化されている数少ない魔物ともいえる。最近の平均取引価格は銅貨9枚、最安値は銅貨8枚、最高値が銅貨11枚、最終取引日は本日と記録されています。』
ギルドの固定買取品なので買取価格は銅貨10枚だが、どうやらそれ以上の値段で買い取りをしたやつがいるようだな。
あ、もちろん俺じゃないよ?
俺は平均価格の銅貨9枚の方だ。
主に冒険者からその値段で買い付けているのだが、ぶっちゃけギルドよりも持ち込み量は多い。
え、何故かって?
イライザさんのお店、一角亭の一杯無料券を付けているからだよ。
これならギルドの固定買取価格を侵すことなく買い取り量を増やすことが出来る。
こういった方法で買い取っても構わないというのはちゃんとギルドにも確認済みだ。
今の所は問題なさそうだ。
「シロウ、借りてきたよー。」
「助かる、裏庭にミラがいるから置く場所を聞いてくれ。」
「はーい。」
カウンター横の細い通路を壺を抱えたエリザが通り抜けていく。
それを横目で見送りながら俺はせっせと糸をほぐしていた。
ほぐす。
ほぐすほぐすほぐす。
ほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐす。
ほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐすほぐす。
「飽きた。」
「ちょっと、ミラさん待ってるわよ。」
「じゃあお前がやれよ。」
「嫌よ、そういう細かい作業は嫌いなの。」
「知ってた。」
脳筋には難しい作業ですよね。
聞いた俺がばかだった。
しっかし、なんでまたこの素材は絡まったままなのかねぇ。
「だってあいつらすぐ糸を吐き出すんだもん。回収する方の身にもなってよ。」
「綺麗に集めてくれればこんな面倒な事をしなくて済むんだがな。」
「こんな安い素材にそんな時間かけてられないわ。」
「ま、それもそうか。」
グリーンキャタピラは初心者の狩る魔物だ。
最弱と言ってもいい。
余程の事が無ければ死ぬことは無いが、極稀に糸でからめとられて死ぬ奴がいるそうだ。
ぐるぐる巻きにされ餓死した後頭から食べられるらしい。
おーこわ。
「それにしてもよく集まったわね。」
「俺もびっくりだよ。」
「イライザさんのご飯美味しいもん、当然よね。」
「給仕の募集がかかってたぞ、まかない付きだそうだ。行ってきたらどうだ?」
「嫌よ。私はあそこにお金を落とすって決めてるの。それに、食器を投げるのって気持ちいいのよね。」
「そっちが目当てかよ。」
俺達はイライザさんの好意でかなり値引きしてもらっている。
にもかかわらずこいつと来たら皿を投げたいが為に規定金額に達するまでひたすら食べて飲んでを繰り返すんだから困ったものだ。
まぁ、それだけ稼いでいるわけだし、こいつの金だから俺がとやかく言う理由はない。
銀貨1枚だけ残った借金をわざと払わない所がいじらしいと言えばいじらしいよな。
支払ったら終り。
そんな風にまだ思っているんだろう。
「シロウ様、こちらは終わりましたがいかがですか?」
「気が狂いそうなぐらいはやったぞ。」
「・・・では後二回狂って下さい。」
「鬼かよ。」
「そうすれば今日の分の仕込みは終わりです。店番してますからお昼までに終わらせてくださいね。」
うちの奴隷がかなり厳しいこと言うんですけど・・・。
後二回分とか、マジで発狂するぞ。
「やっぱり手伝おうか?」
「エリザ様は手伝わなくても結構です。」
「えー、でもシロウ壊れちゃうよ?」
「こんな事で壊れる方ではありません。代わりにエリザ様にはこちらをお願いしたいのですが、よろしいですか?」
そう言いながらミラが指さした先には、大小さまざまな荷物が乗った荷台があった。
「店番ね、やるやる!」
「シロウ様が終わりましたら代ってくださるそうです。条件はいつもの通り一割の取り分です。」
「まっかせといて!」
「値引きは極力控えて下さると助かります。でも、どうしてもの場合は・・・。」
「この紙にメモしておけばいいのよね?」
「どうぞよろしくお願いします。」
目録を受け取り文字通り飛ぶようにしてエリザが外に出る。
店番なら俺がやるんですけど・・・。
「さぁ、シロウ様お手伝いしますから頑張りましょう。」
「いいのか?」
「狂ってしまわれたらそれはそれで大変ですから。」
何がどう大変なのかまでは言わなかったが、手伝ってくれるのであれば何でもいい。
カウンターに向かい合うようにして俺が糸をほぐし、ミラがそれをくるくると束ねていく。
無言のまま時間だけが過ぎていく。
一人でやると発狂しそうだが、誰かがいるだけでこんなにも違うんだな。
「はぁ・・・。」
「疲れたか?」
「いえ、こんなにも幸せでいいのかと考えていました。」
「糸を巻くだけで幸せなのか。」
「えぇ、シロウ様とこのような時間を過ごせる。それだけで幸せでございます。」
「安い女だな。」
「そうですよ。大安売りでしたから。」
確かに大安売りではあったが・・・。
それは自分の努力のおかげだろ?とは言えなかった。
ミラが母親を助けたいがために自分を売ったのはわかっている。
だが、何故俺なのか。
その理由はまだ聞けていない。
もちろん聞けば応えてくれるだろうが、あえて聞かない事にしている。
言いたくなったらいうだろう。
それからお互い無言のまま作業を続け、何とか昼過ぎに予定数をほぐすことが出来た。
「ではこれを仕込んで参ります。」
「その間に飯を作っておく、食べるだろ?」
「そんな、シロウ様の手を煩わせるわけには。」
「仕込みが終わるまで俺に待てっていうのか?いやだね。」
腹が減っては何とやら。
たまには自分で飯を作るというのも乙なものだ。
料理自体は嫌いじゃないんでね。
無言で頭を下げ裏庭に向かったミラだったが、その背中はとても嬉しそうだった。
というか、スキップしてたし。
相変わらず感情を隠すのが苦手だなぁ。
昼休憩の札を掛け鍵を閉めてから俺も店の裏へと向かう。
窓越しに裏庭を見ると、ミラが先程ほぐした糸をエリザの持ってきた甕に入れる所だった。
慎重に絡まないように入れてから、聖水をゆっくりと注ぎ込んでいる。
何を仕込んでいるのかって?
それは来週のお楽しみだ。
「さて、俺も飯を作るか。」
いつまでも見とれたままというわけにもいかない。
仕込みが終わっても今度は倉庫の整理もやらないといけないし、やることはまだまだたくさんある。
手早く食べれる奴でいいか。
フライパンを火にかけ、油を薄く引き、塩漬け肉を少しだけ厚く切ったやつを並べる。
活きのいい魚が跳ねるように肉が踊り、煙と共にいい匂いが広がっていく。
ガス火じゃないので火加減の調整は難しいのだが手慣れたものだ。
その横で葉野菜を粗く刻み、サッと水で洗ってから小鉢に盛る。
ドレッシングは無いが塩コショウでも美味しく頂けるのがこの世界の良い所だ。
野菜がうまいんだよね。
パンに切れ込みを入れバターを塗り、焼いたばかりの塩漬け肉を挟めばお手軽ランチのできあがりだ。
飲み物は・・・。
「シロウ様終わりました。」
「ご苦労様。」
「香茶は私が淹れますのでどうぞお席へ。」
「よろしく。」
戻ってきてすぐに飲み物が足りない事を把握するあたり、観察能力半端ないよな。
ま、後は任せよう。
穏やかな昼下がり。
ミラと二人だけの時間を堪能しながら客が来るのをのんびりと待つ。
幸せな時間。
俺はこれを望んでいたんだろうか。
自分の店を持ち、穏やかに余生を過ごす。
元の世界では叶えることのできなかった、幸せな・・・。
「シロウ、ちょっとシロウ開けて!」
そんな時間は長続きしないようだ。
「エリザ様のようですね、何かあったんでしょうか。」
「さぁ。」
ドンドンガチャガチャと札のかかった扉を叩きまくるエリザ。
声の感じからすると何かあったのは間違いなさそうだ。
「なんだよ、昼飯中だぞ。」
「あ、それなら私も・・・って違うの!」
「何が違うんだよ。」
ドアを開けるなり店に転がり込んでくるエリザ。
あれ、荷物が無いぞ?
全部売れたってことはないだろうが・・・まさか全部おいてきたのか?
「大変、大変なの!」
「落ち着け何もわからん。」
「死霊が溢れたのよ!」
資料が溢れた?
何のことだ?
必死の形相で俺を掴むエリザとは対照的に俺はクエスチョンマークを浮かべることしかできなかった。




