190.転売屋は風邪をひく
「おはよう。」
いつものように起き上がり、身支度を済ませて一階に降りる。
女達は食事の準備をして俺が来るのを待っていてくれたようだ。
「おはようございま・・・シロウ様、顔色が悪いですよ?」
「顔が悪い?」
「いえ、顔色です。」
どうやら聞き間違えだったようだ。
いきなりミラに顔が悪いなんて言われたら今更ながら立ち直れないところだが、そうじゃなかったらしい。
うーむ、ぼーっとするしなんだか熱っぽい。
「今日は冷えるな。」
「そうですか?むしろ昨日よりも暖かいような。」
「ちょっと、大丈夫・・・って熱あるじゃないの!」
横にいたエリザが俺のおでこに手を乗せてくる。
冷たくて気持ちがいい、このままずっと乗せておいてほしいところだが・・・。
「風邪ですね。」
「風邪か。」
「お薬をお出ししますね。」
「注射はやめてくれよ。」
「飲み薬にしますから。」
なら大丈夫だ。
昔は注射するぞ!と脅されたもんだが、風邪で注射するなんて考えられない。
点滴ならわかるけど。
「ほら、さっさと上行くわよ。」
「だが今日はシープさんと打ち合わせが・・・。」
「そんなの日を変えてもらえばいいじゃない。さっさと部屋に戻る!」
エリザに腕を引っ張られ、無理やり寝室に連れていかれる。
「ほら、服脱いで。」
「襲うなよ?」
「襲わないわよ!」
「そうか。」
「何残念な顔してるのよ、また治ったら、ね。」
まるで子供を諭すような言い方に少しむっとしてしまう。
仕方ないので目の前にある胸に手を伸ばし・・・。
「治ってからって言ったでしょ。」
素早く手を動かせずあえなく叩き落とされてしまった。
残念。
無理やり服を脱がされ、寝巻に着替えさせられる。
そしてベッドに押し込まれてしまった。
「暑い。」
「熱があるんだから当然よ。シープさんにはニアから連絡してもらうからゆっくり休みなさい。お店はミラがいるから大丈夫でしょ。薬飲むのよ?わかった?」
「オカンかよ。」
「なにそれ。」
「なんでもない。」
どうやら関西弁は通じないようだ。
この前の寒気でも風邪をひかなかったし、最近もそれといって風邪をひくようなことはしてこなかった。
むしろ毛布を新調してから快眠だったんだけどなぁ。
いったいどこで風邪を貰ってきたんだろうか。
エリザが下に降り、代わりにアネットが上がってきた。
「今お薬を作りますので、少しお待ちくださいね。」
「すまん。」
返事を聞く間もなくパタパタと上がって行ってしまった。
部屋に一人、何も音が聞こえない。
よくシーンと静まり返るというけれど、まさにそんな感じ。
何も聞こえないはずなのに、きーんとかシーンとかそんな音がしているように思える。
ただ耳を澄ますと、上からアネットの動き回る足音が聞こえる。
下からは台所で何かを作る音が聞こえる。
そういや、若い時に風邪をひいて寂しい思いをしたっけなぁ。
あの時は誰も近くにいなくて、風邪で死ぬんじゃないかとかそんな事も思ったりもした。
結局二日ほど寝てすっかり良くなったんだっけ。
あの時は前日深酒をして薄着で寝たのが風邪を引いた原因だったはずだ。
昨夜はミラと楽しんだ後一緒になって眠ったはず・・・。
「それが原因か。」
汗をかいたまま寝たせいだろう。
最近忙しくて免疫が落ちていたのかもしれない。
あのセールがまさかあんな大事になるとは思いもしなかった。
まぁ結果的にみんな喜んでいたし俺も随分と稼がせてもらったから別に構わないんだが。
「お待たせしました。」
とか何とか考えていたらアネットが戻ってきた。
「随分といっぱいあるんだな。」
両手に抱えるように液体の入ったフラスコを何本も抱えている。
あれ全部飲むのか?
「ちょっと失礼しますね。」
寝たままの俺の身体を医者のように触っていく。
おでこ、首、そして胸。
「熱と喉に腫れがありますね。鼻水はそうでもなさそうですから、熱さましと炎症を抑える薬にしましょう。」
「ここで作るのか。」
「症状によって薬が違いますから。ちょっと苦いですけど我慢してください。」
「良薬口に苦しってやつだな。」
「そういう事です。」
すぐ横のテーブルにビーカーのようなものを置き、それにフラスコの中身を注いでいく。
色はよろしくない。
深緑っぽい色でいかにも苦そうだな。
「体は起こせますか?」
いつもより力を入れてみるが中々身体がもちあがらない。
結局アネットに背中を支えてもらい上半身を起こした。
「ふぅ、まるで年寄りだな。」
「ご主人様がお爺ちゃんなら私達はみんなおばあちゃんですよ。」
「それもそうか。」
「飲んだら一時間ぐらいで楽になります。そしたら食事にしましょう。」
「食欲は無いんだが。」
「ダメですよ、ちゃんと食べなきゃ。」
薬師がそう言うんだ、いう事を聞いておこう。
渡されたビーカーを口に当て一気に流し込む。
う~む、不味い。
もういらない。
こみあげてくるのを何とか押しとどめ、そのまま横になる。
「では私は戻ります。」
「助かった。」
「お疲れが出たんだと思います、今日はゆっくり休んでくださいね。」
「そうするよ。」
まともな休みなんていつぶりだろうか。
一回ぶっ倒れてから定期的に休むようにしていたが、ここ最近の忙しさはそれを超えていたようだ。
だが今回は倒れる前に体がちゃんと知らせてくれた。
人間学習するもんだな。
アネットが居なくなるまで見送り、そこで目を閉じる。
吐き気とだるさ。
そして若干の頭痛。
完全に風邪だ。
いや、もしかしたらインフルエンザかもしれないが・・・そもそも、この世界にインフルエンザがあるのだろうか。
むしろ俺の知らないヤバい病気が山ほどありそうなもんだがなぁ。
そんな事を考えているといつの間にか眠っていたんだろう、ハッと目を開けると横に心配そうな顔をしたミラが座っていた。
「お目覚めになられましたか?」
「あぁ。」
「調子はいかがですか?」
「アネットの薬が効いたんだろうな、朝よりもだいぶ楽だ。」
「心なしか顔色も良くなられましたね。食欲はありますか?」
「かなりあるぞ。今なら大きなステーキ肉だって食べれそうだ。」
「病み上がりでお肉は良くありません。おかゆをご用意していますので、そちらでお願いします。」
おかゆか・・・。
まぁ、風邪なんだし消化のいい物じゃないとまずいよな。
無理に食べて中身を全部リバースしたくもない。
ニコリと笑ってミラが席を外し、今度は湯気の立つおかゆを持って戻ってきた。
「溶き卵を入れていますので、元気が出ますよ。」
「ミラの乳を揉めばすぐに元気になるんだが。」
「ダメです。」
「何故だ?」
「昨日そのせいで風邪を引いたじゃありませんか。」
なんだ、そんな事を思っているのか。
だから風邪を引いたって聞いて、一人浮かない顔をしていたんだな。
エリザだったら『あんたが弱いせいよ』とか言ってしまうものだが、そうじゃなかったらしい。
「俺が風邪をひいたのは俺のせいだ。ミラのせいじゃない。」
「でも・・・。」
「これは風邪だ、おばちゃんみたいな病気じゃないし、お前が気に病むようなことは何もない。だから俺に粥を食わせて、乳を揉ませてくれ。」
「わかりました。でも、胸は治ってからにして下さい。」
残念ながら乳を揉む事は叶わなかったが、美味いお粥にはありつけた。
一心地つくとまた眠気が襲ってくる。
「傍にいます。」
「そうしてくれ。」
「早く良くなってくださいね。」
「そうじゃないと乳を揉めないだろ?大丈夫だ、寝たら、すぐに良くなる。」
ミラの冷たい手が俺のおでこに乗せられる。
それを合図に俺は再び眠りに落ちた。
心地よい眠りだった。
これは毛布のおかげでも薬のおかげでもない。
ミラの手が俺に安心を与えてくれたからだろう。
再び目を開けた時、ミラが俯いて寝息を立てていた。
まったく、そんな格好で寝ていると風邪をひくぞって俺が言うのはおかしいか。
身じろぎをするとミラがハッと目を覚ます。
「おはよう。」
「すみません、寝てしまいました。」
「気にするな。」
「あ、シロウ起きたんだ。」
「よぉ、エリザ。」
「随分いい顔になったじゃない。もう大丈夫なの?」
「お陰様で。」
エリザなりに心配していたんだろう、良くなったと聞いて笑顔が戻った。
「お肉あるけど・・・。」
「肉はまた今度な。そうだろ、ミラ。」
「もちろんです。」
「ぶぅ、せっかく取って来たのに。」
「お前は風邪ひいたら肉食べるのか?」
「そうよ、食べて飲んで寝る。そしたら次の日には熱も下がってるわ。」
荒療治にもほどがある。
確かに若い時はそれが出来たかもしれないが・・・って今の俺も十分若いんだった。
「じゃあ俺も。」
「ダメです。」
「だそうだ。」
「ミラが言うんじゃ仕方ないわね。アネットと二人でた~べよ。」
「俺の分残しといてくれよ。」
「わかってるわよ。アネット~二人で食べよ~。」
薄情にもそんな事を言いながらエリザは下に戻って行った。
「ミラも行っていいんだぞ?」
「行きません。」
「もう大丈夫だから。」
「ダメです。」
「まったく、心配性だなお前は。」
まだ思いつめたような顔をしている。
さっき寝てスッキリしたわけじゃなさそうだ。
「・・・シロウ様無しでは生きていけません。」
「わかったわかった。」
「だから早く良くなってください。」
「明日には元通りだ、店を閉めた分稼ぐからな。」
「明日もお休みにしませんか?」
「ミラが揉ませてくれたら考えよう。」
そう言いながら手を伸ばしたが、返事の代わりに手を抓られてしまった。
「痛い。」
「当たり前です。」
「悪かったって。もう大丈夫だから、だから安心しろ。なんなら一緒に寝るか?」
「・・・今日は我慢します。」
「そりゃ残念だ。」
ミラの頭を撫でてやると、やっと身体から力が抜けた。
「おかゆ、まだあるよな。」
「もちろんです。」
「それを食べてもう一回寝る。食べさせてくれるか?」
「おまかせください。」
気付けばいつもの顔に戻っていた。
おちおち風邪もひいちゃいられない、これからはもっと気を付けよう。
ミラの顔を見てそう誓うのだった。




