15、女神アルティナの精神世界
ポータルに入った瞬間、視界の中の景色が白く輝いた。
まるで濁流に流されるような感覚。ここではないどこかへ、強引に連れ去れているみたいだ。
方向感覚も歪み、地に足がつかないような感じで、今自分が立っているのか座っているのかもわからなくなる。
それがほんの数秒俺を襲ったと思ったら、段々と体の感覚が戻って来た。
俺はいつの間にか目をつぶっていたらしい。はっとして目を開くと、そこは……。
どこまでも突き抜ける青空。広がる雲。
そこは大空の真下だった。さっきまでダンジョンという閉鎖空間にいたせいで、圧倒的な開放感が包み込む。
足元には、白い綿毛のような地面。それがどこまでも先へと広がっていて、果てが見えない。
ここが女神アルティナの精神世界。この青空は、全てを包み込むような慈愛の精神の権化なのだろうか。
そのスケールの大きさに、俺はしばらく呆けた。まさに別世界。天空の果てには、きっと女神達が暮らすこんな世界が広がっているに違いない。
一度首を振って、呆けていた気を取り戻す。
見惚れている場合ではない。俺は精神世界のアルティナと絆を深めるためにやってきたんだ。
まずはアルティナを探さないと……。
そう思って辺りを見回すが、誰もいない。ただただ青空と白い雲だけが果ての先まで広がっている。
アルティナはどこへいるんだろう。そう思った時。
「リック様ー!」
頭上からアルティナの声が聞こえた。
見上げるとそこには……俺目がけて空から落ちてくるアルティナの姿があった。
「は!? いや、ちょっと待ってくれ……!」
突然のことで、俺の思考が真っ白になる。いきなりアルティナが空から落ちてくるとか予想できるか。
受けとめる事もできず、かといって避けることも無理で、俺はそのまま降ってくるアルティナとぶつかった。そのまま二人共もつれて倒れ込む。
だが、痛みはない。そうだ、ここはあくまで精神世界。何が起きても現実の俺やアルティナの肉体が傷つくことはないんだ。アルティナが空から落ちながら現れたのも、ここがまともな常識が働かない証拠なのだろう。
倒れた地面はなんだかふかふかとしている。それがすごく心地いい。
心地いいのは背中だけではなかった。なんだか顔もふにょんと柔らかい物に包まれている。
「う……あ、あれ?」
ぶつかった衝撃から目を開けると、そこに広がるのはアルティナの谷間だった。
どうやら、ぶつかってもつれあった衝撃で俺はアルティナにのしかかられる形となり、その大きな胸に顔を埋めてしまっているようだ。
そんなことになっていたら、当然アルティナのことだ、顔を赤らめてすぐに体を離すはず……。
そう思っていたのに、なぜか彼女は俺の頭をぎゅっと抱きしめ、更に胸へと密着させてきた。
「ああ、リック様! 嬉しい! 私に会いに来てくれたのですね!」
「あ、あああ、アルティナ!? ちょっ、まずいって……!」
「何もまずいことなんてありません。ここにいるのは私とリック様だけなんですもの」
アルティナらしくない熱烈な抱擁を受けて、俺はようやくこのアルティナが精神世界の存在だと思いだした。
これは現実世界のアルティナとは違う。心の奥底に秘められた彼女の本心なのだ。
しかしそれにしても現実のアルティナと違いすぎないか。こんな強く抱きしめてくるとか……いや谷間にめっちゃ顔が埋められてやばいって。こんなに柔らかい物なの? すごすぎる。
「あっ……ごめんなさいリック様。私、はしゃぎすぎてしまいました。リック様が私の中に入ってきてくれたのがとても嬉しくて、つい……」
俺が中に入ってきたという言い方は物凄く誤解を受けそうだ。
ようやくアルティナは抱きしめる手を離し、俺を解放してくれた。
俺とアルティナの顔が間近にある。アルティナは恥ずかしがるでもなく俺を見つめ、にっこりとほほ笑んだ。
なんだか犬みたいだな。尻尾があったらぶんぶん振ってそう。楽しそうに抱き付いてじゃれついてくるのが、まさに大型犬だ。
これが精神世界のアルティナなのか。少し……いや、すごく意外だ。
現実世界のアルティナはもっとこう大人しいというか、優しい大人の女性といった感じだ。
しかしこのアルティナは、まるで少女のような爛漫さに溢れている。
そのギャップで頭の中がごちゃつくが、こっちもアルティナで間違いはないのだ。精神世界の、だが。
アルティナは俺を抱きしめるのをやめてくれたが、上にのしかかったまま動かない。もうこのまま話をするしかないようだ。
「アルティナ。俺がここに来たのは――」
「私と絆を深めに来てくれたのですよね? ええ、分かっています」
にっこり微笑みながら、アルティナの顔が近づいてくる。
「では、キスをしてください」
「は? え?」
ど、どういうこと?
「私、現実世界でリック様とキスをしたことで、何かが変化してきているのです。私は女神として生まれ、長年人の事を見守ってきました。しかし、あのように唇を許したのは初めてなのです。あの日以来、リック様の事が頭から離れません」
アルティナの手が、俺の頬へと添えられる。
「もう一度、あなたとキスがしたい。あの時はリック様からでしたが、今度は私から……」
そのままアルティナの顔が近づいてくる。彼女の唇が、そっと触れてきた。
その時、脳内でサインが流れた。
『リック様と私の絆レベルが2に上がりました』
視界がまた白く輝きだす。濁流に流されるようで、今自分が立っているのか倒れているのかすらわからない。
その感覚が収まると、目の前には紫色のポータルがあった。
「あれ……? 戻って来たのか?」
夢でも見ていた気分だ。
これでアルティナとの絆レベルが上がったのだろうか。あまり実感が無い。
なにせ、アルティナの方が一方的にキスしてきただけで、俺からは何もしてないのだから。
とりあえずアルティナの元に戻って報告しよう。
それにしても、もしこれで問題なく絆レベルが上がってるとしたら……結局キスでいいんじゃん。
そんな事を思う俺だった。




