あたたかい濃藍
ねー。
ノアルはー?
「は?」
ノアル不足……。
「ケンカを売っているのか?」
もこもこした毛皮おくれよ〜。
「そのケンカ買ってやるよ、ご主人」
本来が人の姿なので、ブレイユは最近は人の形で過ごす事が多い。
足で歩いて住処を探していた旅の間は、何かと大犬の姿でいることが便利だった。移動や敵意のある何かに襲われた時など、ノアルでいた方が戦闘能力も俊敏性も格段に高い。
人の居る町に出る以外は、もっふもふのままだった。
家を持ってからは、もちろん人が住みやすく作ってあるものだから、人の姿でいる。
家事をするにも、主人の世話をするにも、人の形でないと思うようにはできない。
何しろ大犬はその名の通りなので、何にもぶつからずに家の中を移動することすら難しい。しかもノアルでいる間は、そういう配慮ができなくなる。
主人と家の中で遊びまわると、その後の修理や片付けをするのはブレイユの方だ。
後片付け自体は特に面倒でも嫌でもない。
一緒に遊んで楽しいのも事実で、そこも変わりない。
それでもノアルでいる時の、子どものようにはしゃいでいる主人を思い出すと、ブレイユでいる時とは確実に違うので、もやもやが止まらない。
自分で自分に、気持ちのいい程のやきもちを妬いてしまう。
「ご主人は俺に不満があるのか?」
ええ? 無いよ?
「ならどうして俺だけで満足しない」
うわ! めんどくさいこと言い出した!!
なんだよぅ、ケチケチすんなよぅ。
ちょっともふもふに包まれて昼寝したかっただけだろもー。
ブレイユ硬いもん、枕には向いてないもん。
「枕はちゃんとしたのがあるだろう?」
ばっか! 違うんだよ!
それはそれ。 ノアルはこうな、全身をこう……毛皮で包んでくれるだろ! もこもこと!
「俺も包んでやれる。ほら、来いよ」
だからお前は硬いって言ってんだろ!
来いよじゃねーよ!
毛皮を寄越せって言ってんだろーが!
「かわいいなご主人……しょうがない、分かったよ」
おう、やっと分かったのか。
おっし! 天気が良いから、もふっと外の木陰でひる……
「しばらくこのままで居てやる」
はあ?!
「犬の方は休業だ、このやろう」
なに言ってんだ、嫌がらせか! この腹黒、陰湿、人でなし!!
「人でなしはお互い様だろ」
そういう意味じゃねーわ!
揚げ足取るなよ!! めんどくせーな!!
「お互い様だ。ほら……いいから来いよご主人。木陰で昼寝だろ?」
ぐぅ……この子ども扱い。
「起きたらおやつにしてやる。それとも先に食べるか?」
……今日なに?
「果物と木の実のタルト」
……先に食べる……。
「そうか……お茶を淹れよう。紅茶にするか?」
……ふぇい。
「食べさせてやろうか?」
それは嫌。
「知ってる」
……性悪。
「ご主人は愛くるしいな」
生まれた時からだ、こんちくしょう。
「そうだろうな」
ブレイユは人でいることは好きではなかった。
今までは特に。
赤子のうちに攫われて、材料にされ、人を殺めるために造られた。
そんな自分が嫌いなわけではない。
他の命を絶つことも、特別嫌だと感じたこともない。
主人の命に従うこと、それを叶えられる自分は、むしろ誇らしかったし、そこにも喜びを感じた。
何かを殺めることに逡巡も嫌悪も無い。
でもそここそが欠けている部分だと知っていた。
だからブレイユは考えてしまう。
人が当然のように持っている感情の一部。
でもそれが無いばかりに、人として人の世界では生き難いことを。
森で過ごしていたのも、そのためだった。
人から恐れられ、忌まれると分かっていても、獣の姿でいた方が楽だった。
何より獣のままでいた方が、思考も単純なので、余計なことを考えずに済む。
生きるために生きる。
それだけで充分だった。
これまでは。
新しい主人は魔女だ。
人を外れた人の形をしたもの。
必要の無いものにはとことん無慈悲になれる。恐れるものが極端に少ないから、ノアルもブレイユも、魔女はどちらともを簡単に受け入れた。
あっという間もなく気に入った。
主人にすることに躊躇いはなかったし、主従の関係でいることを誇りにすら思う。
甘えることも甘えられることも、それができる自分だということも初めて知った。
何より理解してくれることが嬉しい。
魔女が死ぬと使い魔も同じように死ねる。
身だけではなく、心まで震えるほど、そのことが幸福だと感じた。
「……なぁご主人、俺の至上」
うわ、なんだ気持ち悪っ!
「俺になにをしてもらいたい?」
え、だから毛皮……
「それ以外に」
ちっ。
……んー。あれだな、久しぶりに牛乳が飲みたいな……。
は! そうだ、牛でも飼うか!! そしたらチーズも作れるしな!!
「……森を少し崩して、小屋を作るところからだな」
だな! ついでに山羊も飼うか! 子ヤギはかわいいからなぁ……!
「羊にしないか? 毛が使える」
なるほどな! 子ヒツジもかわいいしな!
「よし。じゃあ明日から準備するか」
楽しそう!
「ご主人、ついでに畑も作ろう」
農場だなまるで。忙しくなりそうだ。
「引きこもるならできるだけ自給自足だろ」
だなー。
あ! 犬も飼おう!
「……おい。なんだ、嫌味かそれは」
お……おお。
「……天然が炸裂しただけか」
うん……そうだョ。
長く生きてきたので、その分しこたま各種の貴金属や宝石を溜め込んだ。
生活するのに金に困ることはない。
無一文になってしまっても、魔女を生かせばいくらでも稼ぐことはできる。
ブレイユにしても、それは同じことだった。
ただ人の世界で交わりながら生きていくのは煩わしさしかない。
これまでも食料などの必要なものは、町に転移して買い込んでいた。
それは変わらないにしても、楽しみが増えるのはいい。
「あとは子どもか?」
え? ブレイユ作れるの?
「できるんじゃないのか? 考えたこともないけど。ご主人はどうなんだ」
そうなー。私も考えたこともないけど……。
欲しいなら他所でこさえておいでよ。
「…………は? またケンカ売ってんのか?」
ブレイユが喧嘩したいだけじゃね?
「別にご主人が欲しくないなら、俺は望んでない。俺とご主人のじゃないと意味がない。牛や羊とは違うんだぞ」
ふふふ。
よしよし、良い子だね。
私はお前ひとりで充分だよ。
「誰が子どもだ、コラ」
でっかい僕ちゃんでしゅねー。
よちよち。
「逆撫でるのが上手いな」
うん。
ありがと。
主従という関係でも、上下がない。
魔女もノアルやブレイユを下に見ることはなく、対等に扱う。
町に出かければ、ごく自然に夫婦や恋人同士に見られるし、特に否定する必要もない。
当たり前のようにブレイユは、何憚かることもなく、魔女を無上の女性と言ってのける。
ずっと触れていたいし、片時も離れたくないし、常に自分のことを考えて欲しいとも思っている。
そんなことは無いと分かっていても。
今のままでも幸福と感じるのに、欲深く求めてしまう。
「……ご主人、おかわりはいるか? 今日のタルトはどうだ?」
んーん、もう、お腹いっぱい。
美味かった。残りは後で食べような。
「ああ、いつでも言え。それにもっと美味いもの作れるようになってやるからな」
あんがと。
「……じゃあ、俺の番だ。腹が減った」
いやいや、今食べたばっかじゃん。
ていうか、ブレイユ魔力ぱんぱんだろ。
「そっちは要らない……ご主人が欲しい」
や、この後は外で昼寝。
「うん? 外でしたいのか? いいぞ」
いいぞじゃねーわ。
しないっつってんの。
「満足させてやるのに?」
あ! さてはお前バカだな?!
「おい、俺は思いっきり我慢してるんだぞ」
何言ってんだほぼ毎晩じゃねーか。
我慢なんかしてねーだろ!
「だからずっと夜だけで我慢してやってるんだって。たまにはいいだろ」
うるせー、あっち行け性欲お化け。
お前が相手だと疲れてなんにもしたくなくなるから嫌なんだよ!
「何もしなくていい。俺が全部してやるから」
やっぱりお前バカだな!!
「外でするのか? 寝台に行くか? ここか?」
おいなんだその三択。
「どこなら良いんだ、言ってみろ」
やらねーの一択だわ!
「…………そういう趣向なのか?」
うわキモい!!
「…………なるほど、我慢して我慢して、焦らすんだな…………それもアリだな」
おい、見ろこれ。
鳥肌がたってるぞ。
腕だけじゃないからな! 全身だからな?!
「よし分かった……三日我慢してやる……だがその間に覚悟しておけ? 容赦しないからな」
……三日ごときで容赦なくなるのか。
お前ホント、今まで大変だっただろう……そんなに持て余して。どうしてたんだ、町に出て女を襲ってたのか?
「いや? そんなことするかよ。ご主人じゃなきゃここまで思わない」
あらー。
間違えたー。
やっぱりあの時やめとけば良かったー。
「そんなに嫌なら命じろよ」
んー。まあね。
そうなんだけど、よっぽどの事がない限りあんまり多発したくないんだよねー。
「…………そんなご主人だから抱きたくなるんだ」
わぁ。
自粛してー。
「散々してる」
足りてない。
足りてないよー。
腕の中にある細い肩は小さく上下していて、寝息は規則正しく繰り返されている。
「くそ……良い気に寝やがって」
月の明かりに照らされて白く浮き上がる肌。
もっと寝顔が見たくて、髪をそっとよける。
露わになった首元に唇を這わせ、歯を立てた。
どれほど力を入れれば肌に跡がつくか。どれほどなら肌を破って血が出てくるのか。
もう充分知っているから、柔らかく、柔らかく歯を立てる。
小さく唸って逃げようとする。
腕から出ていかないように、囲って力を込めた。潰してしまわないように、ほんのわずかにすき間を開けてやる。
「……ご主人……俺の最上」
もう一度首元に柔らかく噛み付くと、ふふと楽しげに息を吐き出した。
ぐるりと寝返って、晒された真っ白な喉笛。
噛み付いて舐めると、ぐしゃりと髪の毛をかき混ぜられる。
笑った気配がしたから、顔を上げた。
持ち上がっている口の端を見て、自分も同じような顔になる。
「寝ぼけてるのか?……ノアルと間違えてるぞ」
間違えてねーわ。
三日は我慢するんじゃなかったのか。
「これでも自粛してる……」
どこがだバカたれ。
寝かせろ。
すぐにまたすうすうとした寝息に変わったので、それを乱さないように、ゆっくり優しく抱き寄せた。
濃い藍色に包まれて、暖かな夢を見る。




