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いずれ魔王になる彼と、彼を愛した魔女の話 3話

 抑揚もなく淡々と、しかし相当に言葉を選んでヴェルクラインは過去を語る。食堂は彼の独擅場だった。食事の手を止め、給仕の手を止め、椅子を傾け、或いは立ち尽くして人々は二人の会話に聞き入った。

 

「僕はラヴェンダに救われた。君とこうして話せるのも彼女のお陰なんだ」

「呪いを解いたのはラヴェンダか」

「……うん。感謝してる。そして、偉大な魔女ラヴェンダの信念や慈悲が《ロワ》に支配された世界を変える鍵になるんじゃないかと信じてる」

「ラヴェンダは……どうしてる? 今も、どこかで」


 イリアはそこまで言って、ハッと息を呑んだ。

 ヴェルクラインは青く透き通った目を潤ませて、イリアを見ていた。


「今日はここまで。食べたら寝るよ。話を聞いてくれてありがとう」


 口角を上げ、彼はピタリと話をやめた。

 ギュッと握ったその手には、古い傷痕が多く残っている。

 ヴェルクラインは何事もなかったかのように食事を摂った。彼が居なくなるまで、イリアは何も口に出来なかった。



 ***



「イリア様、彼は……本当に閣下の」

「分からない。リュジュはどう思う? 彼は邪悪か?」

「……いいえ。可哀想だとは思いますけど。少なくとも、魔法を使えた人間は皆、何かしらの差別を受けてたじゃないですか。私もそうですけど……イリア様だって」

「同情してしまったのかもしれないな。私も一歩間違えば」



 ***



 長旅でぐったりと疲れているはずなのに、やけに目が冴えるのはヴェルクラインの話を聞いてしまったからだ。

 夜風に当たれば少しは気が紛れるかも知れない。深夜、どうしても寝付けなくて、イリアは寝所を抜け出した。月明かりに照らされて、木々の影が庭いっぱいに落ちていた。手製の墓標の小さな影も行儀良く並んでいる。


 ヴェルクラインがサイアーズの実子なのだとして、それが彼を殺さない理由にはならないことくらいイリアにも分かっている。

 ヴェルクラインを救った魔女の存在、理知的に見えたマギアの魔物達、遺体を丁寧に弔う姿……ぐるぐると様々な光景が頭を巡った。


「もし本当に彼の言う通りなら、私は……」


 頭を抱えてイリアは項垂れた。ため息をつき、遂には屈み込んだ彼女の隣に、誰かが一緒に屈み込んだ。


「眠れないの?」


 頭を撫でてくる手を、彼女は咄嗟に払い除ける。慌てて飛び退き、イリアは両拳を握ってサッと構えた。


「――ヴェル?!」

「ごめんごめん。足音が聞こえたから」


 ヴェルクラインはマントをすっぽり被ったまま、敵意はないよと両手のひらをイリアに向ける。彼女は構えを解いてドキドキする胸を押さえ、必死に呼吸を整えた。


「き、貴様こそ休んでいたんじゃなかったのか」

「寝たいと思ったんだけど……、昔からのクセで熟睡出来ないんだ。音と振動に敏感になってて」


 聞かれる前に弁明したのは、イリアを気遣ってか。異常なくらい顔色を覗うのも、虐げられた者特有のものに思える。やはり、彼は嘘など。


「私に取り入ってエレオス王国へと侵入し、サイアーズ閣下を殺して何もかもひっくり返そうとしているのか」

「父を殺しても、僕の過去はひっくり返らない」

「では何故……!! 何故私にあんな話をした?! お陰で、私の心はぐちゃぐちゃだ。私は一体何を信じ、何のために生きれば良いのだ……!!」


 彼を押し退けるように、イリアは大きく手を払った。

 誰も居ない、見ていないからと言って、声を荒らげるなど。庭木が揺れ、イリアの声を掻き消すように木の葉が擦れる。


「僕を信じて、僕と共に生きる……ってのはどう?」


 浅く被ったフードから垂れる長い金髪が、月明かりに照らされ揺れている。

 月光の下でも彼の瞳の青い炎は、イリアの胸を突く程に輝いて見えた。


「……は? 貴様、何を言って」


 フードを取って、ヴェルクラインはニッコリとイリアに微笑みかけている。

 綺麗な男だ。痩せこけてもなお、彼は綺麗で。……心は、恐らくはイリアよりも。


「君は僕と同じだと思った。誰かに救って欲しくて必死に立ってるだけなんだ。君はこれからも自分の心を殺して生きるのか? 地位と名誉と自分以外の誰かのために、自分の全てを犠牲にしていくのか? だとしたら、君は死んでるのと同じだ」


 真剣な眼差しと主に向けられる、イリアの中で燻る何かに火を付けるような、強烈な言葉の羅列。


「《ロワ》の創るまやかしの世界で、君は惨殺を繰り返し、勇者にまで上り詰めた。しかし君はずっと懐疑的だったんじゃないか? 苦しみと引き換えに贈られる栄誉に何の意味があるだろうって。――いつか絶対に、僕は君を《ロワ》の呪縛から解放する 。君と僕の未来のために」



 ***



 エレオス王国で魔性の力を持って生まれた者は、等しく残酷な運命の選択に迫られる。

 殺されるか、魔性の者を狩るため国と軍に忠誠を誓うか。


 熱狂的な《ロワ》支持者の国王は、魔性の者の存在を許してはくれなかった。但し、と唯一提示されたのは、魔族撲滅派《ロワ》の描く理想への絶対服従。

 王曰く『魔には魔で対抗せよ』。

 軍人として魔族撲滅に協力すると誓うならば、その身分は保証しよう、裏切りを見せるならばそれ相応の罰を与える――と。


 魔性の力を持って生まれた娘を、イリアの両親は大切に育てた。国のために戦いなさい、軍の命令に従いなさい。父母の言葉を胸に抱き、彼女は必死に腕を磨いた。


 幼い頃、誤って近所の子どもを傷付けた。『恐ろしい魔女め』と罵られた次の日、母の爪は一枚なくなっていた。問題を起こせば、子どもとて許されず、相応の罰が下る。大抵は家族に。犠牲者を増やしたくなければ従いなさいと教わった。

 失うのが怖かった。

 従ってさえいれば、きっと救われると信じていた。


 自分の心は後回し。

 自分のせいで、誰かが傷付くのは嫌だった。


 心など要らぬと思った。

 怖さも、弱さも、迷いも。


 だからこそ、ヴェルクラインの透き通るような目と、棘のように刺してくる言葉が怖いのだ。


「やはり……あの男は魔王だ」


 ベッドの上に蹲り、布団の中でイリアは言った。


「このまま呑み込まれてしまったら、私は……」


 彼の瞳の青い炎は、イリアの脳裏に焼き付いて離れなかった。



 ***



 翌朝、食堂を訪れたイリアは、ヴェルクラインの周りに人(だか)りが出来ているのに驚いた。フードを取り、ひとつに括った長く美しい金髪がマントの上に垂れている。


 彼は次々に浴びせられる質問に気さくに答えていた。サイアーズ伯爵家の出身とは本当か、魔物は怖くないのか、どんな暮らしをしていたのか、そもそも魔性の者はマギアでどんな扱いなのか……。


「何だ……堰を切ったように」


 それまで誰とも会話をしようとしなかったのが嘘のように、ヴェルクラインは兵達と気兼ねなく話している。

 エレオス出身でサイアーズ伯爵家の人間。魔性の者で、有り得ないくらいの虐待を受けながらも生き延びた。それだけでも、彼の存在は衝撃的で、意味のあるものだった。


「イリア様が戻ってきたら話すと決めてたそうですよ」


 とリュジュ。

 忖度されていたのか。そう思うと、イリアの心は急に沈んだ。

 命を助けたことに恩は感じているのだろうが、だからと言って変に気を遣われるとモヤモヤしてしまう。


「どうも……好かないな」

「それ、ヴェルさんの前では言わないでくださいよ。イリア様は直ぐに顔に出るんですから」

「忠告ありがとう、リュジュ」


 夜のこともある。ヴェルクラインに妙な感情を持たれているのは知っているが、出来るだけ自然に振る舞わなければ。


「イリア! おはよう、待ってた」


 ヴェルクラインはにこやかに手を振っている。イリアは息を整えて彼の方へ行く。兵達は向かいの席をサッと空けた。

 前日よりは血色の良さそうな彼を見て、イリアは少しホッとした。


「続きを、聞かせてもらおうか」


 テーブルに両肘を付き、彼女は言った。

 ヴェルクラインは「勿論」と口角を上げる。

 兵達は各々席につき、イリアは届けられた朝食のパンとスープを口に含みながら話を聞く。


「僕は彼女の使い魔達と一緒に育ったんだ。彼らは人間に化けて、僕とたくさん遊んでくれた。呪われて何も話せない僕と、ずっと前から友達だったみたいにね。不思議だった。世界が急に明るくなった」

「大げさだな」

「大げさじゃないよ。本当のこと。だって毎日、痛みに耐えなくても良い。いつ殺されるかビクビクしなくても良いんだ。彼女は毎日僕を清潔にして、綺麗な服を着せてくれた。毎日焼きたてのパンを食べた」

「呪いは直ぐに解いて貰えたのか?」


 ヴェルクラインは首を横に振った。


「解くのに何年も掛かった。その間、僕は表情と仕草を駆使して彼女とどうにか会話した。彼女は僕の身に何があったのか、ひとつずつ確認しては紙に書き留めた。想像以上に酷い内容で、彼女は咽び泣いていた。何故彼女が泣いたのか、僕には分からなかった。『心が死んでいる』と、彼女は僕に言った。その意味さえ、知るのに何年も掛かった」

「心が……死んで……」

「イリアも身に覚えがある?」


 イリアはギョッとして思い切り首を振った。


「な、何でもない。それで?」

「ラヴェンダは国中を巡って僕の呪いを解く方法を突き止めた。それが彼女の命を縮めたなんて知ったのは、彼女が僕のそばから居なくなって、何年も経ってからだ」

「ラヴェンダは、何故そこまで」

「僕の境遇に同情したんじゃないかと、今は思う。詳しくは知らない。彼女は僕に自分のことをあまり話さなかった。ただ『自分を優位にするために、自分とは違う存在を否定するのは愚かなことだ』――そう教えてくれたことは、今でもしっかり覚えてる」


 ズキッと、イリアの胸が痛んだ。


「『全ての生き物は等しくあるべきで、そこに優劣は存在しない』『寿命や特性に違いはあれど、それを理由に相手を否定するのは間違っている。否定ではなく、共に助け合い生きる道を探るのが、強い者の務めではないか』僕が虐げられた過去は、あってはならなかった。正義が捻じ曲げられていると、ラヴェンダは言ったんだ」


 しんと、食堂が静まり返る。

 兵達は互いに顔を見合せ、目を泳がせた。


「《ロワ》を……否定したのか」

「僕ら魔性の者にも生きる権利はある。マギアを敵視する《ロワ》こそが世界の闇だと知った。僕はそれから……絶対に生き延びて、この世界を変えてやると誓った」


 空気が変わった。

 彼の表情と言葉は、そこに居合わせた人間の心をギュッと掴んで離さない。


「し、しかし《ロワ》は勢力を拡大し、今や大陸にあるマギア以外の国は全部」

「イリアは《ロワ》の正義を信じてるの? だから僕の臣下を皆殺しにしたんだね。彼らにも心はあった。見た目と種族に惑わされて本質を見抜けないから、取り返しのつかないことを平気でやる。大丈夫、恨んでないよ。恨んだところで何も始まらないから」


 ……何も、言えなくなる。朝食は喉を通らなくて、重々しい空気と兵達の視線に押し潰されそうで。


「僕は一人でもやるつもりだ。君は僕を止めるのか? それが君の正義か?」


 言い返せなかった。

 ヴェルクラインの言葉には魔力が込められているのかも知れないと、イリアは思った。



 ***



 彼の言葉はエレオス兵達の心を強く揺さぶった。

 本国の目の届かない場所、最悪の現場を知る残兵達は打倒《ロワ》を掲げるヴェルクラインに傾倒していった。


「マギアの王族は《ロワ》支持者によって虐殺された。僕は国民に切望されて王になった。《深緑の魔女ラヴェンダ》に生かされた僕は、あらゆる種族が平和に暮らせる国を作りたくて――しかし、この有様だ。暴力に対し、平和主義は無力だ。『生きて、世界の(ことわり)を変えてください』と亡き臣下達に懇願された。力こそ正義だというのなら、今度こそ僕は戦う」


 青く澄んだ目とそこに宿る炎の魅力に、兵達はどんどん呑み込まれた。

 彼の言葉には淀みがなかった。虐げられた者達にしか分からない苦痛と苦悩を、彼はよく知っていた。何より、彼は人の話にきちんと耳を傾けた。相槌を打ちながら、時に微笑み、時に励ます。自分がラヴェンダにされたように、丁寧に丁寧に接していた。

 恐ろしいとイリアは思った。

 やはり彼は魔王なのだ。人の心を鷲掴みにし、全部掻っ攫ってしまう魔王だ。


「新生マギア王国でも誕生させるつもりか」


 すっかり痩けた頬が元に戻った頃、ヴェルクラインにイリアは尋ねた。彼はフッと小さく笑い、「それも悪くない」と返す。


「君も、一翼を担ってくれると嬉しいけど」


 イリアは何も答えなかった。



 ***



 本国からの軍用車両は定期的に訪れ、王城に物資を届け、帰りしなに遺体を積めるだけ積んでいく。傷の癒えた兵は瓦礫の撤去や設備の修復に勤しみ、王城は復興の拠点となりつつあった。

 静かな日々がひと月程続く。

 ヴェルクラインは変わらず他愛ない思い出話を続けていて、イリアは時折相槌を打ちながら話を聞く。

 僻地での緩やかな日常に浸っていたところに――思わぬ刺客が現れる。


「くたばれ! 魔王ヴェルクラインと密約を交わした裏切り者の勇者イリアめ!!」


 狂ったように叫びながら白昼堂々王城に魔法攻撃を仕掛けてきた男に、イリアは絶句した。

 前触れもなく現れたのは、かつて共に戦った魔法使いセロ。行方をくらましたはずの彼が、半狂乱の状態で王城を訪れ一方的に攻撃を仕掛けたのだ。


「私は裏切ってなどいない」


 墓標の立つ庭の真ん中で、イリアは両手を広げてセロを牽制した。――が、セロはもうかつての彼ではなかった。髪を振り乱し、ボロボロのローブを引き摺り、躊躇なく続けざまに攻撃魔法を撃ってくる。


「イリアの裏切りを王に告げた。もうじき本国から討伐隊が来る。イリアと、生き残った魔王を殺すために」


 国に残る家族の顔が脳裏を過ぎる。

 真っ青になってふらつくイリアを、ヴェルクラインはサッと支えた。


「愚かしいな……血に飢えた狂信者共め。今度はイリアが標的か……!!」


 墓は荒らされ、均等に並んだ墓標は見るも無惨に散っていた。壁は崩れ、庭木は焼け焦げ、あちこちで火が燻っている。

 イリアの髪を撫で、ヴェルクラインは静かに青い炎を滾らせた。

 イリアはそこで初めて彼の力を目撃する。

 普段は温和な彼の、底知れぬ魔力が一気に吹き出して、彼を炎で包み込む。


「ま、魔王……!」


 王の間で感じた覇気と、人間のものとは思えぬ程強大な魔力。長い髪を逆立てギラギラと燃える青い炎の目が、妖しく光っていた。

 魔法陣も詠唱もなく灼熱の炎が放たれる――


「や、やめろ! ヴェル……!!」


 ヴェルクラインはやめなかった。

 彼の魔法は、イリアの知る誰の魔法よりも強く激しく、断末魔と共にセロが一瞬で灰と化す程で。


「やり過ぎだヴェル! 何もここまで……!!」


 かつての盟友が焼かれた跡には、黒い煤と白い灰が残っていた。


「彼は僕らの話なんて聞く気はなかった」

「しかし」

「君はまだ現実から目を逸らすのか? 彼らは敵だ。今度こそ、自分と未来のために戦え、イリア」

「自分と……未来のために」


 イリアは目を泳がせた。

 ヴェルクラインは、青い炎の宿る目を静かにイリアに向けていた。

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