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悪役令嬢は幸せな夢を見ない 3話

「……その、殿下の体調があまり優れないように見受けられたので、葡萄酒は控えられたほうがよろしいかと」


 私のその進言に、アルベール様は怪訝な表情をされる。当然だろう、自身の体調は自分が一番よくわかっているものだ。

 しかし、返して言うならばこの場においてそのことを理解できるのもアルベール様だけ。この言葉に違和感を感じることができるのも、彼だけのはず。


「ふむ。なるほ――」


「ちょっと、急に割って入ってきて、突然になにを言い出してるっていうの!?」


 アルベール様が一瞬口を開きかけたところで、彼のそばにいた一人の令嬢が、そう声を荒らげた。

 この場において、アルベール様の声を遮って話しかけるなどという無礼をできる人間など、そういない。それこそマリエルのような無知であるか、或いは。


 ツカツカと私とアルベール様の間に割って入ってきた彼女の姿に、私は表情を変えないように努める。

 ……態度や声に出さないようにはしているが。この人は、苦手だ。


()()()の体調が優れない、ですって? 貴女の目はどこについているの? どこからどう見たって健康そのものですわよ!」


 柔らかな金髪に、アルベール様と同じ紫瞳を携えた女性。

 第二皇女、リリアーヌ様だ。


「そのような冗談、たとえお兄様の婚約者である貴女であろうとも赦されるものではありませんわよ!」


「いえ、しかし。その……」


 実際問題、嘘なのだから言い返す言葉もない。だからといってこの場で正直に伝えたところで、それこそ苦し紛れについた嘘にしか聞こえないだろう。

 しかし、ここで引き下がってしまえばアルベール様の身が危ない。


 自信満々なその様子でこちらを見下してくる彼女に、なにも言えず。

 ただただ、ギリッと。歯を食いしばってここまでかと。そう思ったとき。


「いや、イザベラ。よくぞ気を遣ってくれた。……正直少し体調が優れなくてな。しかし主催側の我々が出ないのも失礼だろうと少し無理を押して出席していたのだ。しかし、やはり君の言うとおり、この場での飲食は控えることにしよう」


「お兄様!? しかし、お兄様の体調はどこから見ても――」


「リリアーヌ。お前は私以上に私の体調を理解しているというのか?」


 冷徹に、淡々と告げたその言葉に。リリアーヌ様はジリと一歩引き下がる。


「しかし、それはそうとイザベラ。君のほうがよほど体調がよくないように見える。顔も随分と青ざめているし、呼吸も乱れている。部屋を用意させるから、控えているといい」


「……ありがとうございます」


 私の意図を察してくださったのか、或いは――。どちらにせよ、兎にも角にもアルベール様が私の圧倒的に足りない言葉をカバーしてくださったようで、ひとまず私の醜態がこれ以上晒されないで済んだ。

 すぐさま侍女の方が一人来て、そのまま案内をしてくれる。

 退室するその前に、一礼(カーテシー)をして。最後にひとことだけ。


「その、葡萄酒については下手な火種にならぬよう、そのまま下げることをお薦めします」


「ふむ。それもそうか。ありがとう」


 アルベール様は眉一つ動かさず、そう言ってくださる。このモノいいなら、表面上は皇子が飲みかけた葡萄酒というプレミアの価値の取り合いを避けたように見えるだろう。

 とりあえず、これでなんとかひとつ切り抜けることができた……のだろうか。

 夢での私の見立てが正しければ、アルベール様のあの症状は毒によるもの。誰によってなされたものなのか、などはわかったものではないが、しかし彼が言ったようにこの場での飲食をしなければ、服毒することはないだろう。


 アルベール様に諌められたことに関するやつ当たりだろうか。リリアーヌ様から、鋭い視線が飛んでくる。

 彼女の周辺にいる人たち、リリアーヌ様の派閥の方々からも同様の視線が送られてくる。

 おかげさまで相当にこの場における私の立場が危ういため、そういう意味でもアルベール様の取り計らってくれたことがありがたかった。

 そのまま退こうとした、そのとき。「ああ、そういえば」と。アルベール様がひとつ、言葉を漏らした。


 私が顔を上げ、彼の方を向くと。柔らかな笑みを浮かべたアルベール様が。


「そのドレス。よく似合っているよ」


「ありがとう、ございます」


 まさか、そんなことを言ってもらえるとは思ってもおらず、不意のその言葉、その表情にドキリとしてしまう。戸惑いながらに私はそう答えてから、ゆっくりと下がらせてもらう。


 周囲から黄色い歓声があがったり、対極に面白くなさそうな表情を浮かべていたり。様々な感情の入り乱れている中でそんなことを言われてしまっては。……それはそれは、なかなかやりにくかい。

 付いてくれた侍女の方もどうやらある程度私の心情を察してくれたようで、こちらに向けられた表情に苦笑いが浮かんでいた。






 控え室に下がらせて貰い、侍女の方にいろいろと手伝ってもらいながら、少し頭と身体を休める。

 ……とりあえず、やれることはやったはず。

 けれど、夢の中でどれだけ様々試してもどうにも変えることができなかった結末だっただけに、まだ、気が休まり切らない。

 今にも悪い知らせが扉から飛び込んでくるのではないだろうかと、そんなことを思っては、ドキドキとしてしまう。


 ガチャリ、と。音を立てて扉がゆっくりと開く。

 嫌な予感の浮かぶ頭をなんとか振り払いながら顔を上げる。


 そして、開いた扉から覗いたその顔に、ただひたすらな安堵を感じる。


「……アルベール様」


 よかった、と。そう言おうとしたが、込み上げてくる感情にそれ以上の言葉は出ず、代わりに涙が溢れ出してきた。


「イザベラ。君には言いたい言葉や聞きたいことがたくさんあるが。とりあえずは、この言葉を伝えるべきだろう」


 彼はそう言うと、ありがとう、と。そう言ってくださる。


「君が下がったあと、言われた通りに信頼のできる者にあの葡萄酒を預け、そのまま調べてもらった。もちろん、秘密裏に」


 当然ながら、アルベール様の体調は悪いわけもなく。どうやら、しっかりと私の言葉の意図が伝わっていたらしかった。


「結果に関しては、言うまでもないだろう。君の予想通りだ」


 つまりは毒が検出された、ということだ。もしもあのままアルベール様があのグラスを口にされていたら、夢でのあの光景がそのまま起こっていたのだろう。

 そう考えると、今でもぞわりと悪寒が走る。


「さて。ここで疑問が二つほど。誰がこの毒を仕掛けたのか、ということと。そして、どうやって君がそれを察知したのか、ということだ」


 それは、当然の疑問だろう。なにより、彼は毒を仕掛けられた張本人なのだ。殺されそうな目に遭ったのいうのに、それを気にせずになにを気にするというのだろうが。

 ……曲がりなりにも王宮で実施された夜会、そこで提供された葡萄酒だ。当然それらは提供前に確認をされている。そんな中、どうやって仕掛けられ、そして、それにどうやって気づいたのか。


「前者はともかく、少なくとも君は後者については知っているはずだ。君の知っていること、わかっていること。どんなことでもいい、教えてくれないだろうか」


 さて、困った。正直に話してしまうほうがいいだろうか。それとも、適当にはぐらかすべきだろうか。

 実際、その程度の薄い確信のもので行動に移したのかと、そう言われてしまいそうなほどの理由だ。リリアーヌ様の言葉を借りるわけではないが、冗談を言っていいような場ではない。


 ……いや、正直に言うべきだろう。アルベール様相手にそのような誤魔化しが通用するとも思えないし、仮にバレてしまったときのリスクのほうが大きいだろう。

 たとえ、伝えたその内容が冗談だと、そう思われてしまう可能性を鑑みたとしても。


「わかりました。しかし、その前にできれば――」


「なるほど。話しにくい内容か。わかった」


 彼はそう言うと、控え室の中にいた従者の方々を退室させてくれる。これで、この部屋の中にいるのは私とアルベール様のふたりだけ。

 防音性についても、余程大きな声で話さなければ問題はないだろう。


「これで大丈夫だろうか?」


「はい、ありがとうございます。……それでは、お話させていただきますが、その」


 今から話すことを考えると、その内容のバカらしさに思わず視線を少し反らしてしまう。

 そんな様子の私に彼は首を傾げて不思議そうにこちらを見つめていた。


「私は今から、とてつもなく突飛なことを言う、と思います。どうか、御容赦を」


「構わない。話してくれ」


「それでは――」


 私はそう前提を置いてから、彼にここまでの経緯を説明していく。誤魔化すことなく、悪夢が根拠の理由である、と。

 最初から完全に信じていたわけではなかった。しかし、あまりにも繰り返し見るそれに、そして、今日になって再現されたいくその光景に。


「なるほど、な。些か……いや、到底信用できるような話ではない。が、毒の混入を言い当てているのも事実」


 私の話をどう捉えるべきか相当に困っている様子で、アルベール様は額に皺を寄せながら難しい顔をする。

 しかし、私からはこれ以上は信じてください、と。そう言うしかない。彼の言葉を待ちながら、ゆっくりと目を伏せる。


「わかった。イザベラ、君の言葉を信じよう」


 そう言うと、彼はすっと立ち上がり、手近にあった紙に、サラサラとなにかを記入する。


「もし、同様の夢を見ることがあれば、これを使って私に知らせて欲しい。こちらでこれがある手紙については私の元まで検閲なしに届くようにしておく」


 また、そのときは私が動きやすいように取り計らってくれる、ということだ。

 まさか、信じてもらえるとは思ってもみなかったが。しかし、彼のその言葉に私は強く安堵を感じる。


「とりあえず、今日は君もとても疲れたことだろう。必要ならば部屋を用意させるが」


「いえ、大丈夫です。おそらく友人……マリエルも心配していることでしょうし」


「それもそうか。……改めて、今日はありがとう。助かった」


 そう言ってくださるアルベール様に私は礼をして、部屋から出る。

 シンと静まり返った廊下に、トクトクとはやっていた心臓の音が少しずつ落ち着きを取り戻していく。

 ……アルベール様が、助かった。死なずに、済んだ。

 その事実に、キュッと手を握る。たしかな実感を掴み取る。


 結果が、変わった。


 夢ではなく、現で。たしかに結末を変えることができた。

 そう思ったとき、私の中でひとつの可能性が浮かび上がってくる。

 ――もしかして、あの夢の結果。私がアルベール様に婚約破棄を突きつけられるというあの夢も、変えられる?


 ほんの少しの希望を抱きながら、私は彼に託された紙を見つめる。

 この紙が、必要になるようなことがなければいいけれど。


 そんな、どこか拭いきれない不安を感じつつも。しかし、私は顔を上げる。


 夢の結末を変えるため、悪夢を振り払うため。私はひとつ、決心をした。

 必ず、幸せな未来を掴み取ってみせる、と。





   * * *





 パタン、と。イザベラが退室をして。部屋の中にはアルベール一人が残された。

 いや、正確に言うならば。見える範囲には、アルベール一人だけが。


「……あのような話を信じられるのですか?」


「お前の言いたいこともわかる。だが、あのイザベラがそのような不用意なことをするとも思えないのだ」


 どこからともなく現れた腹心(かげ)に、アルベールはそうゆっくりと伝える。


 彼女の言ったことはあまりにも信用には足らず、普通に考えるならば彼女が仕掛けた事案、だというように思うほうが筋が通る。

 例えば、あの場にいたアルベールではない誰かを狙って毒を仕込んだが、しかし、アルベールがそれを手に取ったがために、慌てて服毒を阻止するために引き止めた、というように。


「彼女は優秀な人間だ。だからこそ、信じられるのであれば、信じたい」


「しかし――」


「安心しろ。私を謀るつもりであったり、そういう気配があれば、容赦はしない。たとえそれが、婚約者であろうと」


 少なくとも、今回の発言は抜きにして、イザベラは信用に足る人物だとアルベールは思っている。だからこそ、信じるために――、


「お前には、彼女の偵察を頼みたい。お前が感じているように、あの話は信用するには説得力に欠ける。だからこそ、そこを補填するためだ」


「はっ」


 彼はそう言うと、そのまま気配を薄れさせていく。相変わらず、恐ろしくも優秀な部下だ。


 気配を察知することはできずとも、慣れ親しんだ腹心(かげ)の動きである。おそらくは、もう行動を始めたことだろう。

 改めて本当に一人になったところで、さて、と。アルベールはソファに腰を下ろして考え始める。


「どちら、だろうかな」


 イザベラのあの言葉が、真実か、あるいは虚言か。


 今回の件がイザベラの狂言でないとするならば、謀った人間がまた再び行動に移してくる可能性は高い。

 アルベール自身、己が命を狙われるような立場にあることは自覚している。自分が執り行った政策がかなり反発を受けている立場にあり、仮に自分が皇位継承権争いから退いた場合に変わりに立つであろう弟たちの中にはそういった反発勢力から支持を受けている者もいる。


 つまり、アルベールが死ぬと都合のいい人間は少なくない。


「……悪いが、利用させてもらうぞ。イザベラ」


 困ったことに、今回の事件。イザベラ以外の誰一人として察知することができていなかった。

 そしてそれは、これから先に起こるかもしれない殺人計画にも同じことが言える。そうなると、対抗手段がほぼ無いことになる。


 唯一、イザベラの夢というイレギュラーを除いて。

 判断した自分でも笑ってしまいそうな頼り先だが。しかし、現状犯人を突き止めるに至る唯一の手段がそれしかない。


「私だけでなく彼女も無事ならばいいが」


 腹心(かげ)を向かわせたもうひとつの理由は、イザベラの警護もある。今回の夜会での騒動はほとんどの人間にとってイザベラがアルベールの体調不良を見抜いた、という程度でしか伝わっていない。

 しかし、ただ三人のみ。イザベラ、アルベール。そして、犯人だけは、そうでないことをわかっている。

 アルベールだけでなく、彼女が狙われる可能性も、十分にある。なにせ、こちらからの唯一の対抗手段であり、犯人からすれば懸念材料でしかないのだ。


「まあ、なにごとも起こらないことに越したことはないのだが」


 そんなことはないだろうな、と。アルベールはひとつため息をついた。

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