21−36 恋は神さえも狂わせる
本当に、恋は人を狂わせる。いや……この場合は恋は神さえも狂わせる、と言った方が適切か。
元はと言えば、マナは最初から「神」ではなかった。ゴラニアという大地が生まれ、芽吹いた「トネリコ」の大樹がマナのルーツであり……そして、彼女は「トネリコ」が特に強固な魔力への適合性と強靭な魂を持つ事によって生まれた、「初めての精霊」でもあった。だが、当時のマナは現在の「精霊」という存在とは趣が大幅に異なる。彼女は霊樹の影響を受けたわけではなく、トネリコに宿った魂が意思を持ち得て、自らの足で闊歩するようになった「使者」であり、偶発的にゴラニアの濃密な魔力に魂が結合しただけの、樹木の精(魔法生命体)の一種でしかない。女神の始まりも、詰まるところは「太古の魔禍」に近いものだった。
「だが……私は見ての通り、血も肉も持ち得る生命体までに昇華した。魔力を長時間留め、形を維持するだけの魔力の器……要するに、魔力適合率が飛び抜けて高い性質に恵まれたが故に、女神としてゴラニアを見守ることとなった」
しかして、マナはあまりに孤独過ぎた。ようよう天空に浮かぶ彼女の箱庭……「神界」が出来上がっても尚、ポツンと1人きり。いつの間にか眼下に広がる下界では数多の命が芽吹き、人間という種も発生していたが。そんな彼らもまた、互いに寄り添い、互いの死を悼み……そして、命のサイクルを懸命に全うし、魂を在らん限りに輝かせていた。
既に永遠を得ていたマナには、その当たり前の生命の在り方が何よりも尊く、美しいものに思えると同時に……狂おしい程に羨ましく感じられた。何せ……当時の生命達は純真無垢で、汚れを知らない善性に満たされていたのだから。そう……人間は昔から、互いを蹂躙するまでに愚かではなかったのだ。善に満たされた彼らが助け合い、困難に立ち向かう姿は、まだまだ穢れを知らないマナに深い感銘さえも刻み込んだ。そして、それが「愛」という慈悲と慈善の心情であることに、マナが気付くのにも……そう時間はかからなかった。
「……そんな折、オリエントからヨルムンガルドの前身でもある龍神がやってきた。まぁ、後の顛末はお前達も知っての通りだが。当時の私は愚かにも、下界で命を謳歌する皆と同じように……愛というものを知ってみたいという欲求に突き動かされていた。故に、あやつの求愛を断るどころか……嬉々として受け入れた」
「あぁ、その辺の話も、もういいぞ。男神・女神それぞれの醜聞も含めて、たんと聞いておる。恥の上塗りも、大概にしておけ」
「うぐっ……相変わらず、ルシフェルは可愛げがないの。そんなんだから……」
「恋ができぬとでも、申すのか? おや……知らぬとは言わせんぞ? これで、私も既婚者なのだが」
普段はあんなにも毛嫌いしていた指輪を、ここぞとばかりにマナの女神に見せつけるルシフェル。彼女の左薬指で美しいサファイア色を放ったそれは、見事な幸せ色の空気を存分に振り撒く。そのこれ見よがしの輝きに……マナは負け惜しみ混じりの譲歩を示しては、やれやれと首を振った。
「ま、まぁ……確かに、この辺りは語り尽くした内容か。……ちょっと悔しいが、肝心な話もせねばならんし……ここは勝ちを譲ってやろう」
「ふん。分かっておるではないか。だったら、サッサとアリエルを蔑ろにしてきた理由を説明しろ。そもそも、どうして我らの前に、もう1人天使を作った事を黙っておった」
「……いや、それは……その」
「それは?」
「妾はうっかり、アリエルに与えてはならない力を分けてしまったのだ。故に、彼女には翼も授けず、寿命を設定し……天使の失敗作と位置付けることで、ようよう自尊心を保っていた」
だが、アリエルは人間に紛れるには強い魔力を備え過ぎていた。神の基準では「瑣末な存在」であっても、人間の基準では「偉大な存在」になり得る。そして、マナがアリエルにうっかり与えてしまった能力とは、神界で同居するにあたって……非常に都合の悪い力だった。
「妾以外に芽吹きの力を持つ者がいるなんて、認めるわけにはいかぬ。新しい生命を作るための礎になること、そして、新しい風を生み出すこと。……それは女神か霊樹にのみ許される特殊な力だ。しかし微弱とは言え、アリエルは芽吹きの力……要するに、樹木や水の力を活性化し、清らかな風を生み出すことができた」
当時のマナが「自分のスペア」が出来たと解釈すれば、まだアリエルにも神界で生きていく選択が生まれていたかもしれない。だが、彼女は非常にタイミング悪く……愛しいと錯覚した男神・ヨルムンガルドに愛想を尽かされ、孤独に逆戻りしたばかり。不本意にも中途半端な女神の性能を受け継いでしまったアリエルを、マナは単純な「話し相手」としてではなく、女神の座を奪いかねない「好敵手」として誤認してしまったのだ。
孤独を埋めるどころか、自分から神としての役割も、そして愛をも奪いかねない相手……マナは女神の資質を意図せず持ってしまったアリエルを、一方的に敵だと決めつけた。
「当時の私は、この世界に女神は1人でいいと盲信していた。そして……クシヒメを怒りに任せて亡き者にしたように、妾は自分こそが唯一神であり続けるためにアリエルの力を削ぎ落とし、自らの手を汚すことなく……彼女が野垂れ死ぬことを期待して、人間界へ追放したのだ」
「なんと愚かな。それでよく、神を名乗っていられるな? お前の行いは悪魔以下……いや。お前なんぞと並べたら、悪魔達に申し訳も立たぬか」
「うん……折角、お友達になれたのかもしれないのに、追い出しちゃうなんて」
「女神様、ハクジョー!」
「れーこく! そんでもって、とってもお馬鹿さん!」
「……なんとでも言え。そんな事……改めて言われずとも、今の妾が1番よく知っておる。あぁ、分かっておるとも。今も昔も、妾はどこまでも失敗だらけの愚神でしかなかった」
辛辣な天使長の言葉に続き、深い意味が分からないなりにも、ブーイングを飛ばす子供大天使達。そして、そんな彼女達の「不敬」に対しても怒るどころか、粛々と受け入れるマナの女神。おそらく、「大主」と呼び習わされている「天使達の意思の集合体」でもある霊樹に長らく抑えつけられていた影響もあるのだろう。今のマナはかつての独善も、狭量も……やや緩和されていると言っていい。
「……ただ、更に無様な言い訳をさせてもらうとすれば……あの時の妾には、身も心も余裕がなかったのだよ。自分の存在を脅かす相手が存在する事にも、いつか自分の居場所さえも奪われる事にも……勝手に怯えて、戦う相手を作り出す事でしか、存在意義を見出せなかった。故に……ヨルムンガルドが吐き出した毒で、下界が穢れていくのはある意味で好都合だったのかも知れぬ。世界を正すという大義名分が生まれれば、妾の神聖性は保証される。穢れた世界がある限り、妾が生み出した天使は絶対の正義として、活躍できる。……もう、分かったであろう?」
天使が頑なに悪魔を排除対象としてきた理由。それはただただ、ゴラニアの唯一神で居続けたかったマナの独占欲による、一方的な排他性の産物でしかない。マナは仮想敵に憎っくきヨルムンガルドが生み出した尖兵……悪魔を据えることで、自分の分も含めて天使達の存在意義を醸し出していただけに過ぎなかった。
「そんな中、お前は最高傑作であることは間違い無かったのであろうと思うぞ……ルシフェル。妾はアリエルを生み出した時の失敗……自分の力を意図せず分け与えてしまった事を鑑み、お前には妾の特殊能力以外の部分を引き継がせた。神ではなく、あくまで神の代理者。妾の立場を脅かさない、どこまでも神の眷属として……お前は、妾にとっても満足のいく仕上がりだった。しかし……」
まだまだ未熟だった、自分の存在意義を守るため。当時のマナの女神は思い通りにならないものを排除する事でしか、神界の平和を保つ術を知らなかった。それに、大天使達を作り終える頃のマナは太古の姿へと逆戻りさえしつつある。そうして、結局は霊樹として「芽吹きの力」を最大限に発揮し、原点回帰を遂げたマナの女神は……いつの間にか、天使という眷属を通じて下界を見守るだけの存在へと「先祖返り」していたのだった。
「もう、いい。……それ以上はたくさんだ。言っておくが、私はお前が宣うほど最高傑作でもないし、そんな扱いをされる覚えもない。マナツリーに忠誠を誓った以上、神界を離れる気も、見捨てる気もないが……今の話で、お前が尊敬するべき神だという認識は完全に霧散したとだけは言っておく」
「分かっている。……それでいいぞ、ルシフェル。妾とて、自分の愚かさにはとっくに気付いておるし……唯一神であろうとする拘りも捨てておる。そうだな。……この争いを無事に収められたのなら、アリエルにはきちんと謝るべきであろう。それに……妾の補佐に別の女神を受け入れるのも、一考か」
「とりあえず、今はそれでよしとしておこうか。これ以上の言い争いは、今はするべき時でもなかろう。いずれにしても、グラディウスなる霊樹はこの世界を蹂躙し尽くす気だぞ?」
「そのようだな。……ドラグニールが降臨したとて、仲良くできそうな気配もない……か。ふむ、仕方あるまい」
ルシフェルの痛烈な批判さえも、すんなりと飲み込んで。マナはいよいよ、ある決断を下し……ルシフェル達に、新たなる命令を出す。
「こんなことを言えた立場でないのは、重々承知だが。改めて、お前達に新しい役割を与えよう。……グラディウスなる霊樹をしかと、鎮めてこい。もし、燃やし尽くす以外の手段がないのであれば、それも構わぬ。あれを燃やし尽くして、世界のバランスが崩れるというのなら……妾が身をもって、後始末をすると誓おう。だから……」
「それこそ、それ以上はいいぞ。……だが、な。勘違いするでない。それはどこまでも、最終手段だ。……そうならぬよう、我らも尽力するさ」
不遜な様子で「フン」と鼻を鳴らしながらも、話すべきことは済んだと判断したのだろう。背後で待機している妹達に戦場に戻ることを伝えると、彼女達の小さな手を引いて、ルシフェルがその場を後にする。そんな彼女の背中を見送って……マナは有り余る後悔に、身を震わせる。それもそのはず……。
「……この波動は、アリエルの差金だけではなさそうだな。……そう、か。妾はアリエルだけではなく、あの子の存在にまで……気づけなかったのか」




