21−31 愛されることを諦めてはいけません
「……」
箱庭の住人だと思っていた、元・従者が去った後。静寂と一緒に、闇が落ちてくる。グランディアにはその静寂がとても長い時間にも思われたが、既に傍観者となってしまった脇役には……もう、関係のないことかもしれない。しかしながら、機神族の体となったとは言え、彼女には血も流れていれば涙を流すこともできる。ただ、ローレライの防衛本能に囚われているために、易々と死ねないだけだ。それがどれ程までに残酷なことか……グランディアは冷たくなっていく脳裡の隅で、粛々と半生を思い返していた。
(結局……私は、何になれたのだろうな……? 女神として、上り詰めたと思ったら……また、粛清を待つ身になるとは)
どうして、自分は1番になれないのだろう。
どうして、自分は誰にも相手にされなくなってしまうのだろう。
どうして……自分は誰にも理解してもらえないのだろう。
(……どうしてだ? どうして、私がこんな目に遭わなければならない? 神の眷属としても、最高の存在だった私が……あぁ、いや。違うな。……神の最高傑作は私ではない。……姉上だった、な……)
そうか。そうだった。
彼女がまだ、ミカエルだった頃。天使の頂点にはいつだって、天使長・ルシフェルが君臨していた。誰よりも正しいのは、8枚の翼しかないミカエルではなく、12枚も翼を授けられたルシフェルの方。だとすれば……。
(……姉上のいう事を聞き入れていれば、私は天使のままでいられたのだろうか……)
今更、そんな事を悟ったところで、どうしようというのだろう。彼女の運命はもう、取り返しのつかないところまで、終焉に近づいている。今のグランディアは傍観者の囚人として、ひっそりと息が止まるのを待つしかない身だ。
(もう……何もかもがどうでも良くなってしまった。私は誰にも気付かれることもなく……消えていくしかない)
夢見た新しい世界は、グランディアを神に据えるどころか、ただの踏み台として使い捨てにするつもりらしい。いくら彼女が強く願おうとも……真の神様とやらが現れた世界には、彼女の居場所は日陰にすら用意されていない。
「あぁ、頭がズキズキしますね……と。おや? ここは一体、どこでしょうか……?」
しかし、残りわずかと思われたグランディアの静寂に、やや間延びした目覚めの声が響く。グランディアが心なしか縋るように檻の外を見やれば……そのまま転がされていた憤怒の上級悪魔が、ようやく悪夢から目覚めたところだった。
「なんだか、妙な感じですね。これは先程の夢の続き……でも、なさそうでしょうか?」
「……ここはグラディウスの中枢だ。お前は私の配下……だったプランシーに攫われてきたのだよ」
「攫われた……私が? あぁ、あぁ、思い出しました。確かに、意識を失う前はヴァンダートの上空にいた気がしますが。……はぁぁ。だとすれば、なんたる失態でしょう。このヤーティが裏切り者に拐かされるなど……」
意外にも、ヤーティの意識はハッキリしている様子。あれ程までに、悪夢にうなされていたと言うのに……彼は頭をフルフルと軽く振るってみせると、しかと立ち直ったとばかりに、乱れた戦闘服の襟を整え、シャンと背筋を伸ばした。
「ところで、お前は……何ともないのか?」
「何ともない……とは、どう言う意味でしょうか?」
そんな意外なまでに気丈なヤーティに、訝しげな視線を投げるグランディア。位置的にはヴァンダートの上空であることには間違いはないが、場所はグランディア城内……しかも、最深部である。その場を満たしている空気は、瘴気に慣れている悪魔にとっても劣悪なはずだが。
「……ここはグラディウスの懐中だ。特殊な魔力で満たされたこの空間で、機神族以外に正気を保てる者はあまりない。見たところ、お前にはまだ影響はないようだが……」
「言われてみれば確かに、そんな話もございましたね。であれば……急ぎ、ここから脱出せねばなりませんか。おそらく、まだ影響を受けていないだけで、無事でいられる保証はございません。しかし……どうしましょうかね? これは」
一刻も早く脱出しなければならない局面にも関わらず、ヤーティは冷静そのもの。悪条件に嘆くでもなく、悪環境に慄くでもなく。ツカツカとグランディアの檻に近づくと……サーベルを構えては、堅牢な黒鉄に剣戟を浴びせ始めた。
「お前は……何をしようとしている? 私の話を聞いていなかったのか⁉︎ ここは逃げる場面だろうに!」
「まさか! か弱い淑女を置き去りに逃げるなど、言語道断! 無論、あなた様の詳しい事情は存じませんし、お伺いするつもりもございません。ですが……これだけは、覚えておいて下さい。この世の全てのレディには、愛される権利があるのですよ……レディ・ミカエル様。だから、最後の瞬間まで愛されることを諦めてはいけません」
「……!」
姿形は変わろうとも。目の前の囚人がミカエルだと見抜くと、ヤーティは優美ににこりと微笑んで見せる。そんな彼の様子に……ミカエルはとうとう、懺悔の言葉を漏らした。
「……すまぬ、ヤーティ。お前を巻き込んだのは、他ならぬこの私だ。……だから、私の事など気にせず逃げろ。……どうせ、私は助からぬ……見捨てた方が互いに好都合であろう」
「おや、いつになく弱気なのですね? ふふ……大丈夫ですよ。私はアドラメレク……守護に長けた上級悪魔。普段は守る側ではありますが、守りを崩す方策も熟知しておりましてね。この程度の檻、すぐに叩き割って見せましょう」
「しかし……!」
「あぁ、そうそう。さる魔界の剣豪がおっしゃるには、どんなものにも必ず脆い部分があり、弱点があるそうです。まして動く相手ならともかく、対象が動きもしないのであれば、弱点を見つけるのは造作もないこと。そして……ほら、見つけましたよ。ここの組成がやや甘いようですね」
浴びせていた剣戟の手応えと反響から見事、セフィロトの檻の弱点を見つけ出したヤーティが一層激しくサーベルを振るう。そうして、宣言通りに檻を叩き割り、いとも容易く彼女の鎖を断ち切ると……当然のようにグランディアを抱え上げた。
「さ、逃げますよ」
「……何故、私を助ける? 私はお前達にとって……敵でしかなかろうに」
「まぁ、これは一種の自己満足でしょうね。お気になさらず。それでなくても……あの時、あなた様は約束を守ってくださったのです。そんな取引相手を助けない選択はあり得ませんよ」
「約束? 私はお前と約束なんぞ、した覚えはないが……」
お忘れですか? なんと、嘆かわしい。
やや芝居がかったセリフと、キザな視線を零しながら……再度、フフと微笑むヤーティ。そうして、さして勿体ぶることもなく、約束の意味を呟いた。
「墓前に花を残していただければ、それで十分だと……あの時、そう申したではありませんか。忘れやしませんよ、あなた様のご配慮を。その御心に報いるは、今をおいて他にありません」
約束なんぞ、した覚えはない。あの時はただ、仕方なく提示された条件を飲むしかなかっただけだ。それなのに……自分を抱え上げる悪魔は、敢えてそれを「約束」だと定義し、自分を助けようとしている。
そんなあまりに馬鹿げた状況に……グランディアは僅かに残っていた涙を、静かに流す事しかできない。




