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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第20章】霊樹の思惑
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20−20 紋章が隠し持つ意味

 陽が落ちるまでが勝負。そう引率係のジャーノンに言われて、リヴィエル一行はリルグを目指していたものの。途中から急激に冷え始めた空気にまず、実地経験豊かなジャーノンが警戒の色を強める。彼によれば、いくらロマネラの標高が高いとは言え……ここまで、「得体の知れない寒気」は感じたことがないそうだ。


「それは、たまたま今年が寒いからではないのですか?」

「もちろん、私もその可能性は考えました。だけど、であれば……降るのは雨ではなく、雪のはずです。それなのに、ほら……」

「言われてみれば、確かに……。この空気はまさか……」


 ジャーノンの指摘通り、あたりは霧雨による白い靄で覆われていた。しかし、彼らを取り巻く空気が氷結していないのを見ても、上空の気温はそこまでは低くないらしい。ともなれば……寒いのは彼らを取り巻く一帯、つまりリルグの周辺だけだということになる。

 そんなことに気づいては、リヴィエルが腰にぶら下げているサンクチュアリベルを握りしめる。きっと、この寒気は瘴気によるものだろう。そうして瘴気耐性に乏しいはずの天使と、半分真祖な人間とで顔を突き合わせている一方で……セバスチャンは割れそうになる頭の痛みに、必死に抗っていた。


(この感じは……もしかして……?)


 そうだ。あの時感じた、急激な寒さ。だけど、今回のそれは……前回の時よりも、寒気が“強い”気がする。

 片手を額に充てながら、あれでもない、これでもない……と、セバスチャンは記憶を引っ掻き回す。確か、分厚い外套を借りて、それは確か……。


「あぁ、そう言えば……借りた上着には、リンドヘイムの紋章が入っていたかも……」

「えっ? セバスチャン、それ……どういう事?」

「……この寒気、僕が前にリルグに来た時と同じ雰囲気なんだ。ま、まぁ……前回はここまで酷くなかったんだけどね。でもその時も、不思議と上着を借りてからはそんなに寒気を感じなくなってね。もしかして、あの時に借りた上着も特殊なものだったのかも知れないな……なんて」

「そう。それで、セバスチャンが借りた上着に刻まれていたのは、リンドヘイム聖教の紋章だったのですね?」

「うん、間違いない。あれは、教会の人達が着ているものだと思う」


 寒さの記憶と一緒に、外套のディテールも思い出して、苦しげに息を吐くセバスチャン。そんな彼の背中を摩ってやりながらも、リヴィエルが更に何かを思い出したらしく、今度は白い衣装を呼び出してみせる。


「リヴィア、それは……?」

「リンドヘイム聖教の修道服です。……実は以前に、アーチェッタに潜入捜査をした事がありまして。その際に変装用で、衣装を拝借していたのです」

「そ、そうだったのですか……」


 しかし、こうして今も持っている時点で……それは拝借ではなく、窃盗なのでは?

 思いがけない天使様の手癖の悪さに、ジャーノンは人知れず苦笑いしてしまうが。それでも、リヴィエルが取り出した修道服の意匠に注視しては、いよいよあることに気づく。


「……うん? これは一体、何だろう?」

「何か、お気づきのことがおありですか、ジャーノンさん」

「えぇ。ほら、ここの部分の文字ですが……これ、現代の言葉ではないように思います。少なくとも、私が知らない文字です」

「あっ、言われれば確かに……。これは、もしかして……」


 何気なく潜入のためだけに着た衣装だったものだから、リヴィエルも今の今まで修道服を引っ張り出すこともなく、返しそびれていた事も半ば忘れていた。しかし、こうして改めて見やれば。紋章を囲む円の部分には確かに見慣れない文字が細かく刻まれているのにも、否応なしに気づく。


「セバスチャンはこの文字……なんて書いてあるか、分かる?」

「ちょっと待って……えぇと……うん。何となくは分かるよ。これはヨルム語だね」


 悪魔になりたてなものだから、セバスチャンはまだスラスラとヨルム語を読めるまでには至っていない。それでも、師匠に叩き込まれた知識を元に読み解いてみれば。紋章が隠し持つ意味へと、無事に辿り着く。


「……クーランの守護ありて、汝を魔の眷属と見なす……? これ、何のことだろう? そもそも、クーランって……何?」

「クーランは、確か……野生ロバの一種だったかと。止血や造血促進、はたまた美容に効果があるとされる、阿膠……オリエント原産の薬種ですが……の原料として乱獲された経緯があり、現在は絶滅危惧種に指定されていましたね」

「そ、そうなのですね。ジャーノンさんは流石、薬屋さんですね……」

「これも仕事の一環ですから。……薬種を扱うには、原料の生産背景や、それに伴う条約を守らなければならない部分があります。ですので、うっかり禁制品を仕入れてペナルティを喰らわないように、知識を身につけるのも大切な事なんですよ」


 とは言え、ここで言うクーランは「そういう意味でのクーラン」ではないだろう、とジャーノンは続ける。


「おそらく、このクーランも何かの意匠なのでしょう。ですが、リンドヘイムでそれらしいシンボルを見かけたことはないような……。ご存知かも知れませんが、ウチは裏で教会とオトメの取引をしていましてね。確かに彼らは一律同じ白い衣装を着ていましたが……ロバどころか、動物をあしらった紋章が施されていたものはなかったかと……」

「紋章に動物……あっ、もしかしてッ!」

「セバスチャン、何か知ってるの?」

「うん、知ってる。僕はこれで、正式な悪魔だからね。僕達強欲の悪魔はみんな、本性に猫科の動物の姿を借りるんだけど、それはボス……マモン様の本性が虎だからってことに起因するらしい。で……ボスだけじゃなくて、他の真祖さんもみーんな本性の動物に沿った色と紋章を持っているんだ」

「そう言えば、そうでした! そうそう、マモン様は虎の封蝋で紹介状を書いていましたっけ。それで、えぇと……」


 確か、リッテルがまとめていた悪魔の資料に紋章の事もあったはず……と、リヴィエルが該当の報告書を読み始めるが。だが……紋章の種類に牛科の動物はあれど、馬科の動物はなさそうだ。


「……ベゾアールって、ロバの種類じゃないですよね……」

「今度はベゾアール、ですか。こちらは野生のヤギですね。ヤギは偶蹄目なので、同じ4本足の草食動物とは言え……奇蹄目のロバとは、やや系統が違うかと」

「ですよね……。だとすると……あぁ、そういう事、ですね。きっと、クーランの紋章の持ち主……そして、リルグに魔法をかけた悪魔さんは、ここに記載のない真祖さんなのでしょう。それになんとなくですが……この衣装はその真祖さんの特注品なのだと思います。2人とも、ちょっと触ってみてください。……なんだか、暖かくありませんか?」

「あっ、本当だ。ほんのり、暖かい……!」


 先程までは文字の意味に気を取られていて気づかなかったが、リヴィエルが示した紋章のあたりを中心に、修道服自体が微熱を帯びて、発光している。しかも……。


「……どうやら、この修道服はリルグへ向かう際の防護服にもなりそうですね」

「えぇ。でしたら……ふふ。ここは天使の腕の見せ所ですッ! ちょっと待っていて下さいね……!」


 メンバーは3人、だけど修道服は1着のみ。そんな微妙な不足分を補うため、リヴィエルがある魔法を発動させる。


「分け与えることを認めたまえ、生み出すことを許したまえ。持たざる者に、新たなる希望を齎さん……マテリアルレプリケイト、フォーキャスト!」

「おぉ〜!」

「なんと、素晴らしい! 天使様の魔法は万能なのですね……!」

「いいえ、そういう訳ではないのです。……マテリアルレプリケイトは複製魔法ではあるのですが、対象が手元にあることが前提でして。それに……あぁ。こんな時にすみませんが……ちょっとだけ休ませて下さい……」

「リヴィエル⁉︎ 大丈夫かい?」

「はい……大丈夫です。実はマテリアルレプリケイトは少し、魔力消費が大きい魔法なのです。それに……セバスチャンにも、お願いがあります」

「うん、遠慮なく言って。僕ができることなら、なんでもするさ」

「ありがとう、セバスチャン。それで……見ての通り、マテリアルレプリケイトは全く同じものしか複製できないのです。この修道服では、お2人にサイズが合わないかと……」

「あっ、確かに……」


 だからこそわざわざ4つに複製したのだと、リヴィエルは少しばかりくたびれた様子で続ける。どうやら、彼女の目論見としては……セバスチャンにとある魔法を使ってもらい、更に作り替えようという事らしい。


「なるほど! フィギュアエディットを使えばいいんだね!」

「えぇ。確か、セバスチャンは水属性でしたよね? フィギュアエディットも使えたはず、と思って」

「もちろんさ! 任せて!」


 こうなったら、効果時間は最大にしておこうかな……と、セバスチャンはフィギュアエディットの構築について考え始める。正直なところ、セバスチャンは悪魔でもあるため、瘴気がいくら濃くても平気である。だが、こうして2人分の材料を無理してまで捻出してくれたのは、純粋にリヴィエルの優しさでもあるだろう。そうして、きちんと師匠から教えてもらったことも、思い出して。今度はセバスチャンの魔法が綺麗に展開される。


「心なきものよ、我に応えよ……今ひとたびの仮初を持って、望む姿とならんことを! フィギュアエディット、ダブルキャスト! ……ど、どうかな? これで、大丈夫そう?」

「セバスチャン殿もお見事です! これなら私達も余裕で着れそうですね」

「うん、上手くできたみたいだね。どんなもんだい! って、言いたいところだけど。ただ、この魔法に制限時間があって……。錬成度からしても、効果は1日くらいなんだ」

「そうなのですね。1日どころか、今から1時間もあればリルグには余裕で着くとは思いますが……」

「であれば、いいんだけど。それと……破れたりしたらその場で魔法が解けちゃうから、そこも気をつけて」

「承知しました。では……ここで少し休憩してから、再出発としましょう。大丈夫です。……ここまでくれば、リルグまではあと少しですから」


 そう言いつつ、水筒からお茶を注いでは、リヴィエルとセバスチャンに配るジャーノン。彼によれば中身は気力回復に効果がある、オリエントハッカのお茶だそうだ。


「あぁ……なんだか、生き返る感じがしますね」

「やっぱり、お薬屋さんのお茶は違うなぁ。初めて飲む味ですね、これは。うん……でも、僕も気に入ったかも」

「それは何よりです。本当はこういう平和な薬種だけを扱えればいいのでしょうけど。……なかなか穏やかにはいかないのが、マフィアの懐事情というものでして。……まぁ、今はそんな事を言っている場合ではありませんね。失礼いたしました」


 そう悲しそうに言いつつも、ニコリと微笑むジャーノン。そうして、内心では「穏やかにいかない」最大の理由でもあるオトメキンモクセイを思い出しては……真っ赤な花畑の「今」にも想いを馳せるのだった。

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