19−41 正体不明の躍動感
目の前の光景を食物連鎖だと、言ってしまっていいものだろうか。魔力の塊でもある貴重な宝石・ヨルムアイをガリガリと齧っている「指虫」。自分の頭程もある、気色の悪い「指虫」を丸呑みにし始める「ヘビさん」。プランシーが指を放り出してから、実に10分足らずの情景であるが……なんとも言えない後味と気色の悪さが残る。
「ヘビさん……そんな物を食べたら、お腹を壊すわよ?」
「……そんな事を言っている場合ではないと思いますよ、バビロン」
だが、バビロンにはヘビさんが気色の悪い虫を退治してくれる、頼もしい味方に見えるらしい。オロオロとヘビさんの腹の具合を心配しつつも……黒い羽虫が白の鱗で隠されていくにつれて、安心できるものがある様子。
「それこそ、そんな事を言っている場合ではないでしょう! この……穢らわしい下等生物共が……!」
だが、堪らないのはプランシーだ。大切な宝石を「下等生物」に狙われた挙句に、それを丸呑みにしようとする「下等生物」がクネクネと暴れているのだから、彼が本格的に怒るのも無理はない。そうして、白蛇の尻尾を思い切り引っ張ると、胴体に仕込み杖の刃を立てるが……。
「ま、待って、神父様! ヘビさんを殺さないで!」
「えぇい! うるさい! こいつらを駆逐しないと、気が済まないぞ!」
「あぁ、あぁ……プランシー、とうとうプッツンしちゃいましたかね。……この沸点の低さは流石、憤怒の悪魔と言ったところでしょうか……」
「あなたもうるさいですよ! ハインリヒ!」
熱り立つプランシーを不安そうな顔で見つめるバビロンと、冷ややかな顔で見つめるハインリヒ。だが、プランシーがゴリゴリと白い鱗に刃物を滑らせようとも。一思いにスパリと切断できないのを見るに、ヘビさんはそれなりに頑丈らしい。首根っこを握られようとも、胴体を引っ張られようとも、ようようヨルムアイごと羽虫を丸呑みせしめる。そして……。
「……ふぅ……お腹、いっぱいです……あっ、でもちょっとお腹が重たいので、バビロンさん。もう少し、鎧の中に匿ってもらえます?」
「ヘビさんが……喋った……?」
「あっ、ヘビさんでもいいですけど。……そうですね。僕の事は、バルドルと呼んで欲しいです」
「バルドル?」
「うん、まぁ。そんな感じの名前でお願いします。それで……匿ってもらえるのですか?」
「虫がくっ付いたブローチ」の形をありありと残す、ぽっこりとしたお腹のまま、ヒョイとプランシーから離れてバビロンの所へ逃げ帰るバルドルと名乗る白蛇。そうしてバビロンの足元までニョロニョロとにじり寄ると、お腹が重たいので抱き上げて欲しいと首を傾げる。
「えぇ、別に構わないわよ。さ、いらっしゃい、バルドル」
「うふふ。ここで僕をきちんと扱ってくれるのは、バビロンさんだけです。大丈夫ですよ。僕はこれで、とっても無害ですから。……あなたに光の加護があらんことを」
先程の所業を見せつけておいて、綽々と人畜無害を主張するバルドル。しかして、そんな彼を手放しで信用するのはバビロンだけらしい。他の4人の冷たい視線もものともせず、嬉しそうにバルドルに頬擦りしたかと思うと、いそいそと首元から鎧の中へ彼を受け入れる。
「……おばさん、よくそんなものを鎧の中に入れられるよね……」
「う、うん……気持ち悪くないの?」
「別に平気よ? バルドルはとっても良い子で大人しいもの」
バルドルを「そんなもの」扱いするタールカに、「気持ち悪い」と呻くロジェ。そんな子供達2人の一方で……ハインリヒは彼らの「変容」について思いを巡らせていた。
(彼らが生命や知性を持ち始めたのは……まさか、ここの魔力の影響ですか?)
当のバビロンも言っていたではないか。「ここの魔力はおかしい」のだと。それに、自分達を包み込む正体不明の躍動感も異常だ。この城の佇まいは、ミカエル好みにローレライが姿を変えた結果だと思っていたが。進めば進むほど、脈打つ鼓動のリズムが不穏な魔力と空気とを余すことなく伝えてくるのを感じるにつけ、ハインリヒにはそれだけではないように思える。
「なるほど。……ここはやっぱり、どこまでもローレライの腹の中……なのですね」
「えっ? ハイン……それって、どういうこと?」
「ローレライの魔力を礎にしていた機神族は、生命体に昇華した無機物の集まりです。本来は理性や生命を保ち得ないはずの道具が、ローレライの魔力によって生命体として活動するようになった物を指します。……さっきの指の様子からするに、ローレライの魔力には無機物から生命体をも作り上げる因子が含まれていると考えて良いでしょう」
だから、プランシーの指は命を吹き込まれて暴れ出したのだろうと、結論づけるハインリヒ。そして、その事にもっと早くに気づいていれば、自分を満足させる肉体も作れたのではないかと嘆息する。ハインリヒとて、タダの機械になるつもりはないが。先程の躍動感を見る限り、ローレライの魔力はほんの小さな義指にさえも、本能レベルの嫌悪感を引き出すまでに、滑らかな生々しさを与えていた。であれば……。
(完璧な肉体を作り出すことも、ローレライを利用すればできたのかも知れません……)
だが、今はそんな事を気にしている場合ではないと……ハインリヒは別枠の危機感を前に、考えを改める。確かに、ローレライの魔力はガラクタさえにも命を吹き込む奇跡を内包している。だが、その魔力が及ぶ範囲が無機物だけとは限らない。現に……言葉を持たなかった白蛇は、「バルドル」という「知的生命体」に進化しているではないか。
「……これは、このまま進むのも一旦、考え直した方がいいかも知れません」
「……ハインもそう思う?」
「おや、奇遇ですね? そう。バビロンも気付きましたか。ローレライが齎す、想定外に」
「えぇ。だって……ここの魔力はとってもおかしいもの。それこそ、神父様の指を動かしたり、バルドルにお喋りさせてみたり。私達が思っている以上に、悪戯好きなのだと思うわ」
「……上出来です、バビロン。僕も、そう思いますよ」
ハインリヒからそれらしい褒め言葉を掛けられて、バビロンが驚くと同時に、嬉しそうに目元を緩ませる。ハインリヒのお言葉は相変わらず、妙に上から目線なのは否めないが……バビロンにしてみれば、それだけでも十分だった。だが、そんな2人の悪魔による互いの再認識と共通認識が気に入らないのだろう。プランシーが指と貴重な宝を奪われた悔しさも相まって、いかにも不機嫌そうに強行突破を宣言し始めた。
「でしたら、臆病者はここでリタイアすればいいでしょう。……私は例え1人になっても、新しい世界へ辿り着いてみせますよ」
「待って、神父様。……悪い事は言わないわ。一旦、一緒に外に出ましょう? このまま進んでも、きっと……」
新しい世界なんて、ないと思うの。きっと、あなたの望む世界は存在しないと、思うの。
だが、バビロンが本心からの忠告をする間もなく……プランシーはいかにも勇ましげに、仕込み杖片手にローレライの最奥へと歩みを進め始めた。
「……大丈夫かな、神父様……」
「うん……1人は危ないと、僕も思う……」
怒りに任せて、孤独を選んだ背中をロジェとタールカも心配そうに見送るが。プランシーは子供達の心配を受け取ることもなく、苛立ち紛れの大股歩きでグングンと離れていく。
「仕方ないんじゃないですか? 何せ……彼、ヨルムアイも取られた後ですし。……きっと、色んなタガが外れてしまったのでしょう」
「そんなものなのかな。それにしても……リヒト様はあの宝石が何なのか、知っているんだ?」
「一応、は。あの宝玉はヨルムアイ……魔界の主人であるヨルムツリーが真祖に1つずつ与えたと言われる、魔石の一種でしてね。……何かと欲望に飲まれがちな真祖を安定させるために、気休めとして持たされていたもののようです」
だが、気休めの宝玉はそれこそ……アケーディアとバビロンという、失敗作への反省も込められて作られたものなのだという事を、ハインリヒはよく知っている。本当は誰よりも、自分達がそれを必要としていたのに。だが、彼らにそれが与えられることはなかった。そのことに……ヨルムツリーは2人の出来損ないの真祖よりも、新しい真祖を完成させることに注力していたのだと、ハインリヒはまざまざと思い知る。
(そう、ですよね。僕達は所詮、失敗作。もう……)
無駄に虚勢を張る必要もないか。自身に付属している憂鬱からは、絶対に逃げられない。であれば、少しは楽なやり方で周囲と馴染んだ方がいいだろう。
「あぁ、そうそう。ロジェにタールカ。この際です。僕のことは、リヒトでいいですよ。こんな状況で様付けで呼ばれたところで、皮肉めいていて不愉快です」
「ふぅ〜ん。そうなんだ?」
「それじゃ、この鎖も解いてくれない? 僕達が仕方なしにあんたに従っているのは……」
「……ちょっと甘やかすと、すぐ調子に乗るのだから、子供というのはいけませんね。それは無理ですよ。……君達には僕の紋章が刻まれています。紋章による“隷属”の効果を打ち消すには、紋章の“剥奪”するしかないのですが。祝詞に紐づく紋章を剥奪した場合、あなた達は姿を保つこともできずに最下級の魔物に身を窶すことになります。……紋章を刻まれて自由を失った者は、どんなに望もうとも元には戻れないのです」
「そ、そんな……」
「それに、この鎖はオズリックが作ったものでして。僕も千切り方を知らないのですよ。自由になるのは、諦めることですね」
ハインリヒの説明に、ガックリと肩を落とすロジェとタールカ。それでも、ハインリヒはこれ以上彼らを苦しめるつもりも放棄していた。そうして、勘違いしていた立場への固執くらいは千切るつもりで、ヒョイと鎖を放って見せる。そうされてロジェとタールカを戒めていた光の鎖は、器用にシャラシャラと音を立てて、彼らの首元にスッポリと収まった。
「……自由にしてあげることはできませんが、鎖を手放すことはできます。今はそれで、我慢してください」
責任を取るつもりも、必要以上に馴れ合うつもりもないが。今あるモノで我慢しなければならないのは、全員一緒。そうして臆病者のリタイア組はめいめい、自分の立場にそれなりの折り合いを付けて。ローレライからの脱却へと歩みを進め始めた。




