3−9 天使言語と悪魔言語
「被害者」からある程度の情報を引き出したところで、例の白い部屋へ行く事になったが……通された部屋の窓から中庭を覗けば、それなりに人通りが多いようだ。さて、どうしたものか……。
「なぁ……今日はやけに人が多いみたいだけど、どうするよ?」
「そうだな……今更、催眠魔法を使うわけにもいかなさそうだし……。このままぞろぞろ歩いても、きっと目立つだろうな……」
ルシエルと2人で顔を突き合わせて悩んでいると、部屋の端でマディエルが何かを見つけたらしい。タンスをガサゴソと漁っていた彼女の手には、白いローブが摘まれている。
「あのぅ。これを着て、教徒の皆さんに混ざるというのはいかがでしょう? どうやらこの部屋、普段は教徒の皆さんの更衣室みたいですよぅ?」
「なるほど。確かにそれを上から被ればバレないかもな。試しに着てみるか?」
「そうだな。それを着て、もう少し状況を確認するとしようか」
にしても……まさかもう一度、修道服を切る羽目になるなんて、思いもしなかったが。今はそんな事を考えている場合じゃないか。そうして、修道服と揃いの中折れ帽を被れば。どこからどう見ても、俺は一端の神父に見えるだろう。
「アゥ、ちょっとキツイかも〜……」
どうやら……マディエルが余裕で着れるサイズはなかったみたいだが、少しの間、辛抱してもらうしかないか。一方でルシエルとリヴィエルは……シスター姿が妙に似合いすぎていて、逆に怖い。
「よし、それでは行くとしようか?」
その場凌ぎの変装がしっかり功を奏し、混雑している中庭を無事通過できた後は……程なくして例の隠し扉がある廊下に潜入成功するものの。……こちら側の廊下は普段誰も出入りしていないのか、妙に静かなのが却って気にかかる。仕掛けも以前と変わっていないらしく、すんなりと地下室への入口が俺達を誘っているように開かれたが、相変わらず明かりが煌々と点いているのが、とても不気味だ。
「足元、気をつけろよ?」
「あぁ、大丈夫だ」
「あぅぅ、待ってください〜」
「ほら、早くしないとマディエル様、置いていきますよ?」
そんなことを言いながら、例の忌々しい扉の列がある廊下に到着すると……意を決して中を覗くが、今日はどの部屋も空っぽらしい。前回のこともあるし、流石に子供達を集めるのはやめたのだろうか。
「……妙だな」
「あぁ、不自然なくらいに綺麗になっていやがる」
以前来た時は色々な意味で異臭がしていたのだが、今は相変わらず陰気な空間ではあるものの……そこまで状態は悪くない。一通り掃除が入ったらしい牢獄は全ての扉が開け放たれており、中も綺麗に保たれている。小さめの粗末なベッドが設えられているところを見ると、おかしな言い方ではあるが……いかにも一般的な監獄、といった雰囲気だ。あれ以来の利用者もなさそうな様子だが、そうなると例の「お仕事」で集められた人々は……そのままラボとやらに運ばれているということか?
「ここだな……」
「ここがあの、『あなたの肩に愛を預けて』のお芝居の舞台になった手術室、ですか?」
「……あぁ、確かにそうなんだが……」
規則正しい扉の列を通り抜けて奥の白い空間に踏み込むが、リヴィエルが例の小説のタイトルを持ち出したもんだから、ルシエルがちょっと困った顔をしている。
「そうですよ〜。しかし、ここの綺麗さは以前と変わりませんねぇ〜」
「そうだな」
相変わらず真っ白な空間と、中央に据えられた手術台。以前より心なしか狭くなっているように思えたが、前回は元の姿に戻った部分もあったし、気のせいかもしれない。それにしても……ここで俺は一度死んだことになるんだな。なんだか、妙な気分だ。確か、あの時はこの辺で……。
「ん? これは……?」
手術台の台座の下の方に、見覚えのある文字が刻まれているのが見える。こいつは……。
「ヨルム語……? なんで、こんな所にヨルム語が刻まれているんだ?」
「ハーヴェン? どうした?」
「この手術台さ、よく見たら悪魔言語が刻まれているんだ。以前は気づかなかったが……上下逆さまになってるけど、こいつは紛れもなくヨルム語だ」
「悪魔言語?」
「ほれ、例えば……光魔法の最上位魔法は全部、天使言語の魔法だろう?」
「え、そうなのか?」
「なんだ、知らなかったのか? ……ゲルニカが言ってたぞ? 例のシールドエデンを含む光魔法の最上位魔法は、5種類あって……いずれも天使言語の魔法だから、他の精霊は絶対に使えないそうだ」
「そうだったのか? ということは、あの司祭にシールドエデンをかけたのは……」
「あぁ、天使なのは間違いないと思うぞ?」
俺の言葉に絶句する3名様。そうか、彼女達は自分達が使っている魔法がどんな言語の魔法かはあまり、意識していなかったんだな。無理もない。光魔法は全部が全部天使言語の魔法じゃないし、逆に闇魔法も同じように全部が全部悪魔言語の魔法でもない。それこそ、ゲルニカみたいに年がら年中魔法書とにらめっこしているような連中でなければ、普段使っている魔法が何の言語の魔法かなんて、意識しないのは当然だろう。
ただし、何気なく使っているとは言え、天使言語と悪魔言語などの種族限定言語の魔法は、呪文の方が対象の種族を選ぶ特殊な言霊だ。だから、アルゴリズムを理解して同じように呪文を唱えたとしても、それぞれ対応する種族が発動しない限り、効果を発揮しないようになっているんだけど。
「……ま、それは置いておいて。で、ここに書かれているのは天使言語じゃなくて、悪魔言語の……う〜ん。何か恨み言みたいだな……」
「なんて書いてあるんですか?」
リヴィエルが興味津々で、俺が示す逆さ文字を見つめる。
「えぇと……う〜ん、所々文字がかすれていて読めない部分があるが……“深き禍根を以て……に血の楔を打ち込め”……随分、穏やかじゃないな?」
「正直、ちょっと恐ろしい内容ですね……」
「何れにしても一応、覚えておいたほうが良さそうだな。マディエル、きちんと記録しておいてもらえるか?」
「もちろんですよ〜」
記録係に徹しているマディエルに、記録をお願いするルシエル。しかし、ある意味で平和な光景を見守っていると……。
「……⁉︎」
背後から光の矢のようなものがこちらに打ち込まれたのを、咄嗟に抜いたコキュートスクリーヴァで防ぐ。そうして光の残滓を振り払い、矢の主と思われる相手を見やるが。……ご本人様ではないにしても、俺としては見忘れるはずのない顔がそこにはあった。




