3−3 黒い血
目の前には懐かしい優しい黄色のリゾットと、玉ねぎのスープが並べられている。食材が調達できなかったとのことで、デザートはなしだったが……それでも久しぶりに暖かい食事が食べられることに、幸せを感じずにはいられない。
「……美味しい。とても、美味しい……!」
「そか。それはよかった。しかし……さ、まさか、お前が自主的に食材を持って帰ってくるなんて、思いもしなかったよ」
「そうか?」
「あぁ。で……あの食材で、俺は何を作ればいいのかな?」
「ビーフシチューと木苺のムースが食べたくて、材料を持って帰ってきたつもりだったけど……? 足りないか?」
「そ、そうなんだ……」
私の答えに対して、歯切れの悪いハーヴェンだが……何か、間違えてしまっただろうか。
「あのな、ルシエル。ビーフシチューはその名の通り、ビーフ……つまり、牛肉が必要なんだよ。で、お前が持ち帰ってきたのは……どう見ても、鶏肉なんだが……」
「そ、そうなのか? 肉ならなんでもいいのかと思っていたのだが……やっぱり食材リストがないと、私に調達は難しいみたいだな……」
「ま、そういう事なら明日はビーフシチューに必要な食材リストを渡すよ。鶏肉は折角だし……トマト煮にでもするか。で、ムースも木苺だけじゃなくて、生クリームもあれば美味しいものが作れるんだが……だから、そっちはとりあえずシャーベットにするけど、いいか?」
「……はい……」
ビーフシチューとムースはどうやら、明後日にお預けになるらしい。それはそれでいいのだが……ここまで料理に対する知識がないとなると、ハーヴェンがいなければまともな食事に有り付けないことを痛感させられる。本当に……色々と情けない。
「そんなにガッカリするなよ。とにかく明後日はビーフシチュー、だな?」
「……はぃ、それで異存ありません……」
「ところで、さ」
「ん?」
茶を淹れながら、ハーヴェンが何やら真剣な面持ちをしている。何やら、食事以外のことで重要な話があるらしい。
「お前、ノクエルって天使知っているか?」
「ノクエル……今は行方不明になっている、元・アーチェッタの監視役の天使だ」
「そか、どうりで」
「……ノクエルが、どうかしたのか?」
「俺さ、生前は……リンドヘイムで働いていた人間だった」
「その辺りは、ベルゼブブからも少し聞いているよ。……どうやら、私達のせいでとても辛い思いをさせていたみたいだな……。本当にすまない」
「別に、お前が謝る必要はないだろ? その頃は、お前はお前で大変だったろうし……恨む相手を間違えるほど、俺はイカれちゃいないよ」
「……そうか。そう言ってもらえると……助かる」
もしかしたら天使全てを憎むようになっているかもしれないと、言われていた手前……本人の口からそう言ってもらえると、とても嬉しい。少なくとも、私はこのまま一緒にいてもいいのだろうか。
「しかし……では、お前が恨んでいるというのは……?」
「あぁ、そのノクエルって奴だよ。実は一度……悪魔になってからも、こっちで会ってる」
「えっ⁉︎」
「ほら、以前にアヴィエルって奴がエルノアとの契約を迫ってきた事があった、って話したろ? 例のピキちゃんを連れて帰ってきた日のことだけど」
「あぁ。そんなことも……あったな」
ピキちゃん……か。結局、救えなかった精霊のことを今更ながら思い出すが……。天使は契約を口実に、とても残酷なことを平気でしているものなのかもしれないと、改めて考えてしまう。
「で、その時にアヴィエル親衛隊とか言って、一緒に襲ってきた奴の片方がノクエルって奴だった」
「……そう、だったのか?」
「その時はすぐに思い出せなかったんだけどさ。……追憶の中で、奴をハッキリと思い出したよ。記憶の中であいつは、魔禍を利用して精霊を作り出し、そして人間界を救うんだって言ってた。そして、そのために……俺の目の前で女の子を3人、惨殺しやがった」
「……⁉︎」
「あいつはさ、こうも言ってたよ。魔禍は意思を持った瘴気だ、と。だから、それをうまく利用すれば、精霊を作り出して霊樹を復活させる事ができるって。でも、魔禍は待っているだけじゃ、都合よく出てこない時もあるだろう? だから、あいつらが血と痛みに反応する性質を利用するために……女の子達を使ってたんだ」
「そ、そんな事が? しかも、天使の手で……?」
「……それを邪魔しようとした俺も、あいつに殺されたんだけど……。そのまま、闇堕ちの条件を満たしちまったらしい。その後はベルゼブブに拾われて、お前と出会って……今に至るってところかな」
「……」
「で……今、ノクエルはどこにいるんだ?」
「それが……未だに分からないんだ。随分前から、行方不明になっている。ただ、例のアヴィエルだが……しばらく懲罰房に繋がれていたのが最近、脱走してな。で、脱走を手助けした者の中にノクエルもいたらしい。多分、親衛隊というやつの誼みだろう」
「……本当にそうだろうか?」
「ん?」
「ノクエルはわざと、間抜けなフリをしていたんだと思う。実際、俺の記憶の中のあいつはいかにも偉そうな振る舞いをしていやがったし、多分……小物の下で世話を焼くタイプじゃない」
「……わざと情けなく見せるような演技をしていた、ということか?」
「多分な。お前達も欺いて……あいつは何か、水面下で色々やっていたんじゃないか?」
「……」
「あぁ。……ところで、天使の血って何色なんだ?」
「え? 普通に赤だけど……どうして、そんなことを聞く?」
「そう……だよな。実際、初めて会った時にお前が流していたのは、紛れもなく赤い血だったし……」
「いくら天使が冷酷でも、青い血は流れていないよ」
「別に、そんなことは言ってねぇだろ? ……ただ、さ。あの時のノクエルは、黒い血を流していたんだ。俺が足掻きの氷で奴の腕を切り裂いた時、赤じゃなくて……黒い血を流していた」
「黒い……血?」
天使の血が黒くなるなんて、それこそ……。
「天使は堕天すると、翼と一緒に血も黒く染めると言われるが……まさか?」
「……そう、なのか?」
「あぁ。私自身は堕天使にお目にかかったことはないが……堕天使は天使としての建前と、堕天使としての本性を持ち合わせるそうだ。だが、翼の色はごまかせても血の色はごまかせない、が一般的な認識で……だからお前に負けた時に、自分の赤黒くなっていた傷を見て……慌てて、自分の血が黒くないかを確認して安心した記憶がある」
「……ごめん、変なことを思い出させて」
「いや、その情報はとても重要なものだ。ところで、今の話……ラミュエル様の耳に入れても、大丈夫だろうか?」
「あぁ、構わないよ」
「なんだか、辛い思いをさせた上……に利用までしてしまって、すまないな」
「気にするなよ。俺はお前の精霊でもあるんだから。精霊の情報を主人が有効活用するのは、当然だろ?」
そう言って、ハーヴェンは優しく微笑む。そんな彼をこれから先、「私達側」の事情に更に巻き込んでしまうと思うと……ちょっと辛い。
「それでなくても、近いうちにもう一度アーチェッタに行くことになりそう……しかも、荒事になりそうなんだ。……新しく派遣された天使が何者かに殺されてな。一度、様子を見に行かなければならなくなった。また、お前の力を借りることになりそうなんだが……大丈夫だろうか」
「あぁ、もちろんさ。でも……だとしたら、子供達を迎えに行くのは、その後の方がいいかもな?」
「そうだな。あの場所は……あの子達にはとても辛い場所だろう。……それは、お前も一緒かもしれないが……」
「別に俺は大丈夫さ。可愛い嫁さんのために頑張るよ」
「……ありがとう、ハーヴェン」
そう言って、テーブルの上に置かれている彼の右手の上に、左手を重ねる。こういう時、素直に笑えればいいのだが、未だにうまく微笑むこともできない。ならばせめて、行動で示すのみ。そうして重ねられた左手の薬指に嵌められた指輪が、明かりに灯されて……ユラユラと輝いていた。




