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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第2章】記憶の奥底
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2−30 勇者と悪魔(中編)

「お呼びでしょうか、ガラムサ様」


 昨日のこともあるので、あまり彼と顔を付きあわせたくないのだが……こればかりは仕方ない。もし、他の民を傷つける命令が下されるようなら、思い切って信仰を捨てるのもやむを得ないと思っていたが。……その日、彼の口から出た言葉は意外なものだった。


「今日はお前に異端審問ではなく、護衛の任に就いてもらいたい」

「護衛……ですか?」

「今夜は教皇様、それと司教の皆様が集まり……催しを行うことになっていてな。お前には教皇様の護衛をと、お声がかかったのだ。……ついでに、信仰がどういうものかを学び直してくるといい」

「……かしこまりました」


 催し? そんな話は聞いていなかったが。それに、ガラムサ様の最後の言葉も妙に気になる。とはいえ、今日は誰かを傷つけなくて済むのであれば、きっといい日になるだろう。少しは……私の祈りが神に届いたのかもしれない。


「……こ、これは?」


 しかし指定された地下の催事場に向かい、配置に着くものの。教皇様のお側から見える景色は、どう見てもただの催し物の雰囲気ではなかった。これは明らかに……。


「これは一体、何が始まるのでしょうか? 何かの……冗談でしょうか?」


 思わず口を衝いて出る言葉に、教皇様……年端もいかない少女に見えるミカ様が、お怒りになる様子もなく薄ら寒いくらいに柔和に答える。


「今日は天使様が直接お越しになる、神聖な日なのです。お前はこの儀式に参加するのは、初めてでしたね?」

「天使様……ですか? しかし、その割には……」

「えぇ……初めてのお前の目には、異常に見えるかもしれませんね。でも、天使様は供物の見返りに……素晴らしい贈り物をしてくださるのですよ」

「贈り物……?」

「まぁ、見ていなさい。これが真の信仰……神の御技というものです」

(神の……御技⁇ でも、あれは間違いなく……)


 お粗末な木組みのステージに3つほど並べられているのは、かの人型の処刑具のように見えるのだが……。


「おぉ! 天使様のお出ましだ! ノクエル様‼︎」

「……⁉︎」


 そんな困惑している私の思考を阻むように、突如上がったどよめきの先を見上げれば。背中に4枚の翼を生やした天使様が今まさに、舞い降りるところだった。しかし、初めて見る天使樣の姿はどこか神々しい以前に、あからさまな違和感を纏っている。


(……ほ、本物⁉︎)

「忠実なる、我が愛子達よ……今日という日を迎えられて、嬉しく思います」


 天使様のお言葉に、隣にいた教皇様が立ち上がって彼女に首を垂れる。


「本日もこのような穢土にお越し頂き、至極恐縮でございます。さぁ、仰せの通りに本日も神への供物をご用意しました。これから儀式を致しますので、どうぞお納めください」

「いつも、ご苦労様です。ありがたく……頂戴いたしましょう」


 天使様の言葉に……興奮した様子の教皇様や司教様達。しかし、私には彼らの興奮の意味が分からず、かの天使様の笑顔に凍りつくような戦慄を覚えていた。……言葉にはできないが、何かがおかしいことだけは確かだ。


「さぁ、今日の供物を連れてこい! その命を今、まさに! ノクエル様に捧げるのだ‼︎」


 私が1人で混乱しているのをよそに、教皇様の合図で鎖に繋がれた少女が3人引きずられてやってくる。無理やり歩かされているようにしか見えない、少女達のあまりに哀れな姿が嫌でも目に入るが……まさか、1番最後に繋がれているあの子は……!


「教皇様! 一体、何が始まるのです⁉︎ あの子達をどうされるのですか⁉︎」

「あら……そちらの坊やは、私の儀式に参加するのは初めて?」


 堪らず騒ぎ出した私の問いに、教皇様ではなく……今度は天使様ご本人が答える。


「……えぇ、今日この場に居合わせるのは初めてです。しかし、これから起ころうとしている事が、どんなに恐ろしいことかくらいは想像できます! あの子達を殺して、どうされるのですか⁉︎ 一体、なんの意味があるのです⁉︎」

「フフ、随分と純情な坊やがいたものですね。まぁ、いいでしょう。……お前は、魔禍というものを知っていますか?」

「魔禍?」

「そうです。人間界の霊樹が燃え尽き、魔力が汚れ始めたことによって生まれた化け物です。でもね、この魔禍は瘴気が意思を持って生まれたものでもあるので、うまくいけば……霊樹を復活させるために利用できるかもしれません」

「霊樹の復活……?」

「霊樹の始まりを、お前は知っていますか?」

「……いいえ、存じません」

「そう。素直に知らないことを知らないと言えるのは、とても素敵なことです。その誠実さに免じて……特別に、1つの事実を教えてあげましょう。霊樹・ユグドラシルは精霊の死骸を苗床にして育つ、呪いの樹でもあるのです。もちろん、長い年月をかけ、自然に亡くなった精霊の亡骸を栄養としているので……霊樹の存在が精霊の死に直結するわけではありません。でも、枯れてしまった霊樹を復活させるには、大量の精霊が必要になるのですよ」

「だとしても……それが、この儀式となんの関係が?」

「魔禍を利用して、精霊を作るのですよ」

「作る? 精霊……を?」

「魔禍は意思を持つ瘴気。精霊は意思を持つ魔力。……似ていると思いませんか?」

「私には、似て非なるものにしか思えません」

「まぁ、生意気だこと。でもね、私は魔禍を利用して……お前達の世界を蘇らせようとしているのです。ただし、魔禍を呼び出すには大量の血と、利用する為の依代になる人間が必要なの。大義の前に、多少の犠牲は仕方ないでしょう。少ない犠牲で、多くの命が救われる。それこそが……正しい救済の在り方だと思うのです」


 そんなことを話している間に、いよいよ少女達が舞台の上に並べられていた。

 ……なんという事だろう。神の使いであるはずの天使様が自ら、殺人を命じられるなんて‼︎

 気がつけば、私はなりふり構わず走り出していた。私を取り押さえようとする他の護衛を魔法で吹き飛ばし、あの子の元へ急ぐ。大きな青い瞳をした、あの子。昨日、私の髪を引っ張り助けを求めた、あの子。


「お兄ちゃん……!」

「ルーシー! 待ってて! すぐに助けるから……!」

「そうはさせません‼︎」


 背後から響く鋭い言葉と同時に、腹部に言いようもない痛みが走る。そうして……自分の腹を見下ろせば、天使様の手が貫通していて、手が引っ込められると同時に大量の血を吐く。無残に自分の腹に収まっていたらしい内臓が、足元に飛び散っているのが微かに見えて……これはどう考えても、致命傷だ。他人事のように冷静になっていく頭は、既に自分の命を諦めている。それでも、あの子達を助けなければ。自分は助からなくてもいい。少なくとも……目の前にいるあの子達だけでも、助けなければ……!


 しかし。私の思いも虚しく……目の前の少女達が無慈悲にも、大きな口を開けた処刑具に放り込まれていく。扉が閉じると同時に、吹き出す……悲痛な叫びと、赤い血潮。


「そんな……! そんな……どうして、こんなことが……許されるというのだッ⁉︎」


 顔に降り注ぐ赤い雨に打たれて、自分の中で何かが燃え尽きるのを感じた。

 信仰が……なんだというのだ? 神の意志が……なんだというのだ? もう、何も……何も信じられない……!


「……しぶといですね。しかし、そうですね。いいことを思いつきました」

「いい事ですか?」

「グッ……‼︎」


 血が流れるのと同時に走る激痛とは別の場所に、痛みを感じる。そうして、不意に髪を引っ張られ無理やり立ち上げられると、背後からさも楽しそうな……そして、底なしに非情な声が聞こえてきた。


「うふふ、お前にも協力してもらいましょう。ハール・ローヴェン。お前はこのアーチェッタでも英雄として、人々からの信奉も厚いと聞きます。でしたら、存在だけは利用させてもらいましょうか」

「私の……私の髪に……そ、のリボンに、汚い手で触るな……‼︎ この髪はお前のために……伸ばしている、わけじゃない……‼︎」

「……⁉︎」


 最後の抵抗で、なけなしの魔法で氷の刃を作り上げ……刃を消えそうになる意識の中で、背後に振るう。当たるか、当たらないかさえも分からない、最後の抵抗。だけど……。


「この……‼︎ 愚か者がぁ……‼︎」


 どうやら……私の最後の抵抗は髪を落とすと同時に、一緒に彼女にも深い傷を負わせることができたらしい。薄れゆく視界の端で、残酷な天使様の取れかかった左手から黒い色の血が大量に噴き出しているのが見えるが……しかし、後頭部を引っ張られる感覚が無くなったと同時に、全ての痛みも無くなっているのにも、すぐに気づく。そうか……私の方も、血を流しすぎてしまったみたいだ。


(私の命は……どう、やら……ここまで……みたいだな……)


 私は死んでも構わない。だけど。せめて、せめて、せめて……あの子達が次に生まれる時には、人並みの人生を。人並みの暖かい食事を。それだけ、それだけはどうか叶えてやってくれないだろうか。この際、神様じゃなくてもいい、なんでもいい。お願い、誰か、力を貸してくれ……!


「……⁉︎」


 揺らぐ視界の中で、自分の体に黒い何かが纏わり付いているのに気づく。だんだんと曖昧になる記憶と引き換えに、底から溢れるような力。ふと意識が途切れたが……それすらも無理やり継続させようとする、得体の知れない黒い力。明らかに悪い気配のそれに縋りながら、ようよう息を吹き返す。


 そうだ、悪いものに縋ってでも。

 それでも。それでも、それでも、それでも。それでも、俺は……!


「……そうですか。お前はそこまでして、私に抗うと……⁉︎」

「グルルルルッ‼︎ 子供達に酷い事をするようなら、許さない! 何があろうとも、俺が俺でなくなろうとも! この子達を暖かく、優しい食事で満たしてやれるならば……俺はどうなろうと、構わないッ!」


 そう咆哮した刹那、目の前の天使もろとも……あたり一面が氷漬けにされていく。記憶も……感情も……すべてを凍てつかせるような吹雪の中で。俺はなけなしの温もりを頼りに、間違いなく大事なものだったらしい女の子の亡骸を拾い上げた。

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