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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第2章】記憶の奥底
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2−29 勇者と悪魔(前編)

 むかしむかし

 あるおうこくにおうさまがいました

 そのおうこくはとてもへいわで

 みんなでたのしくくらしていましたが

 あるひおおきなあくまがやってきて

 ひとびとにひどいことをして

 わるさをするようになりました


 おうさまはひとりのきしにおねがいをしました

 このくにのひとびとをあくまからまもっておくれ

 あくまをこわがらなくてすむようにたいじしてきておくれ


 きしはおうさまのねがいをかなえるために

 たびにでました……


***

「お呼びでしょうか、ガラムサ様」

「おぉ、ハール。先日の異端者狩り、ご苦労様。相変わらず、見事な手際だったな」

「……いえ、恐れ入ります」

「で、早速で申し訳ないが……今度はアルーの異教徒どもを鎮めてきてくれんかね?」

「異教徒……? でも、アルー教徒は我らと不可侵の条約を結んでいたと思いますが」

「まだ、そんなことを申しておるのか? リンドヘイムに改宗しない異教徒は、まとめて異端者だと先日の司教会議で決まったと申しただろう。現に、教皇様もそれが神の思召しだとおっしゃっている。ハール。お前であれば、かの魔法で奴らを鎮めることも容易い。とにかく、異端者どもを片付けてこい」

「……承知いたしました」


 ここはカンバラ法国、宗教都市・アーチェッタ。リンドヘイム聖教の総本山があるこの街で私はいつも、英雄として扱われる。霊樹が燃え尽きたという日から、魔法を失いつつあるこの世界で。未だに魔法を使うことのできる奇跡の子として、私は幼い頃から教会に囲われて育てられてきた。


 初めは自分の手から湧き出る水が聖水として広まり、その聖水は万病に効くという触れ込みの元、アーチェッタは常に水と救いを求める大勢の人達でごった返している。魔力は無限ではないにしても、私はどんな相手にでも手を差し伸べ、助けることが神の意思だと信じていた。


 しかし、教会の方はそんな私の行いをあまり快く思っておらず……教会にとって不利益な相手は苦しんでもいい、殺してもいい。そんな妄執を教え込まれた結果、私はいつしか異端審問官として、悪魔とされる異教徒を討伐するだけの存在に成り果てていた。そして、アーチェッタの人々は悪魔……異教徒という害悪から自分達を守ってくれると信じ込まされて、英雄として私を崇め続けた。


 ……私は苦悩していた。本当に、リンドヘイム教徒以外の民は邪教徒なのだろうか。

 本当に、リンドヘイム教徒以外の民を殺すことが、神の意思なのか。

 毎晩、毎晩……神に祈りを捧げても、答えは返ってこない。


 いつも旅路の途中で見上げる夜空には、たくさんの星が煌めいている。もし、伝説の通り……この星の数だけ、浮かばれない魂が眠るとするならば。私の行いは、星々を増やす行為にはなりかねないのだろうか?


「……」


 ガラムサ様に言われた通りの場所には、確かにアルー教徒の村落があった。標高の高い山間にひっそり広がる、小さく、貧しい村。そんな村の井戸はとうに枯れているらしい。カラカラに乾いた大地での暮らしぶりは、生きる希望さえも干上がっているようにしか見えない。


(こんな状態の村の民をも手にかけろと……神は仰るのだろうか?)


 馬を降りて井戸を覗くと、底の水源は枯れていない様子だ。清めてやれば、水を吐き出してくれるようになるかもしれない。そう思い立つと……誰に頼まれてもいないのに意識を集中し、井戸に向かってお清めの魔法をかける。どうやら、幸いにも私の思惑は当たってくれたらしい。井戸はまた、役目を果たす気になったようだ。


「おぉ、水! 水だ!」

「……きっと、しばらくは大丈夫でしょう。私にはこの程度のことしかできませんが、皆さんで大切に使ってください」


 井戸の復活に集まってきた村民にそう言い残し、私は命令に背いて村を後にすることにした。そんな私を、不意に呼び止めるものがある。振り向けば、そこには相当の長齢と思しき老人が立っている。


「お待ちください。……見た所、あなた様はリンドヘイム教の方ですよね? 異教の私達にまで、ご慈悲を与えてくださるとは……。是非、お礼をしなければいけないと思うのですが、あいにくと……」

「礼には及びません。……私は本部の命を受け、村の様子を見にきたのです。水がなくてはさぞ、お困りでしたでしょう。……辛いことも沢山あるかと思いますが、神の思し召しの元、あなた達にも聖なるご加護があらんことをお祈り申し上げます」


 そう言っていよいよ、馬に跨ろうとしたところ……今度は髪を引かれ、小さな女の子に呼び止められた。


「お兄ちゃん。あの、これ……」

「ん?」

「お兄ちゃんの三つ編みに、似合うと思うの。……お水のお礼」


 女の子が差し出す何かを受け取ってみると、それは綺麗な綺麗な赤いリボンだった。私は早速、自分の髪を手繰り寄せ……結び目に赤いリボンを巻いてみる。するとその瞬間、なぜか言いようのない、とても温かい気持ちになった。


「うん、とてもいいみたいだ。ありがとう」

「お兄ちゃん、お名前は? 私、ルーシーって言うの」

「ルーシーか。可愛い名前だね。私はハールって言うんだ。このリボン……ずっと、大切にするね」

「うん!」


 元気に満面の笑みを見せ、青い綺麗な瞳を輝かせる痩せっぽちの女の子の頭を撫でる。……こんな女の子が邪教徒だなんて、とても思えない。やはりリンドヘイムの神の思召しは、間違っているのではないだろうか。

 そんな事を考えながら、村を出て少ししたところで聖書を取り出し……ガラムサ様から命じられた異端者リストに「否」と書き込む。異端審問官が異端者を狩るのは、きちんと相手が邪教徒であると確実に判断してからだ。この状況で彼らを殺すなど……私には到底、できなかった。


「何故、命令に背いた‼︎ 私はあいつらを片付けてこいと、言ったはずだ‼︎」

「……お言葉ですが、ガラムサ様。彼らは異教徒であっても、異端者ではないと私は判断しました。異端審問官はまず始めに、対象者の本質を見定めることが仕事です。少なくとも……私には彼らが悪魔に憑かれた邪教徒には、とても思えませんでした」

「言い訳など、聞きたくないわ! 今回アルーの教徒さえ鎮められれば、私は司教として迎えられるはずだったのに! なんてことをしてくれたのだ‼︎」

「……」


 そうだ。結局、この人は自分の権威のことしか考えていない。私は少なくとも、間違ったことはしていないように思う。なのに、ここにいる限り……自分が正しいと思うことをしても、待っているのは懲罰だけだ。


「……ッ‼︎」


 そうして……鞭で打ち据えられた背中の傷はなかなか癒えず、私の寝床のシーツは今晩も赤く染まっていく。こんな夜を何度、繰り返したろう。


 集落、村、町。どこの暮らしぶりも貧相で、子供達はいつもお腹を空かせている。せめて、彼らの空腹くらいは満たしてやりたい。どうすれば……彼らを救ってやれるのだろう。何故……神は私の問いに答えてくださらないのだろう。


 そんないつもの問答を繰り返したところで……女の子からもらった赤いリボンがふと、目に入る。

 神様は後ろからでも救いを求める手が捕まえられるように、髪の毛を伸ばすという。私もそんな風に自分の目に入らなくても自分の髪を引き、救いを求めるものがあれば助けたいと願ってきた。そして、その髪に今日は赤いリボンを添えてもらって……。そうだ、自分の行いは間違っていない。例え、私が鞭で打たれようとも……こうして髪を引いてくれる者がいるのだから、もう少し頑張れるはずだ。

 そんな事を考えると、心なしか背中の痛みも和らぐようで……ようやくなけなしの安堵を覚えて、私は目を閉じた。

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