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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第2章】記憶の奥底
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2−24 1人きりの夜

 ブルーベリーソースが添えられたチーズケーキを平らげてもなお、エルノアはおネムに襲われなくなったらしい。今日は私と風呂に入ると言い出して、部屋着を用意してくるようになったのを見ると……初めの頃に比べると、自分でできる事が大幅に増えているように思える。


「何だか、ルシエルとお風呂はいるの、久しぶりだね」

「そうだな」


 心なしか、楽しそうなエルノア。一緒に入っているのが私であっても、嬉しそうにしてくれるのだから……ハーヴェンと一緒に入った時とは違う、くすぐったさがある。


「……ねぇ、ルシエル。ハーヴェンって、時々元気ない事があるんだけど……何か知ってる?」

「元気がない? ハーヴェンが?」

「うん……」


 2人で同じような格好でバスタブのフチに顎を乗せながら、エルノアの言葉に耳を傾ける。


「なんかハーヴェン、今までもたまに具合悪そうな時があったの。でもね、今日は特に具合が悪そうだった」

「どんな風に?」

「頭が痛かったみたい。それと、なんか嫌なことを思い出していたみたいで」


 そう言えば……以前、あいつが人間だった頃の話をしていた気がしたが。深く考えもせず、気にもとめなかった。別に私としては、ハーヴェンがどんな人間だったかを気にするつもりはなかったし……今となっては、一緒にいられればそれでいいのだが。


「そうか。私の方からも、ハーヴェンに聞いてみるよ」

「うん、そうしてあげて。多分、恋人に心配された方がハーヴェンも喜ぶと思うの」

「……恋人?」

「うん、あの本に書いてあったよ。私もそんな風に……誰かと、素敵な恋というものをしてみたい」


 ……あの本。間違いなく、ハーヴェンが既の所で取り上げたという呪いの書のことだろう。


「エルノア。あの本に書かれていることは、ほとんど嘘だから。真に受けちゃダメだよ」

「そうなの? ……何だ、残念」


 そこで残念そうにされても、どうしようもないのだが。

 それにしても恋人、か。……私達の今の関係は、恋人と呼んでもいいものなのだろうか。

 そんな妙にヤキモキした気分を引きずりながら。エルノアを屋根裏に見送り、寝室に戻る。そうして眠る準備をしようと、ふと、テーブルの上を見やると……見慣れない絵本が置かれていた。見た所レシピではなさそうだが、なんだろう。


「勇者と悪魔……?」


 そうして手に取った絵本の表紙に描かれている、男と向き合うような悪魔の姿は、私もとても見慣れたものだった。何故か既視感のある姿に、一抹の不安を抱きながら……居ても立っても居られずに、慌ててページをめくる。


 むかしむかし

 あるおうこくにおうさまがいました

 そのおうこくはとてもへいわでみんなでたのしくくらしていましたが

 あるひおおきなあくまがやってきてひとびとにひどいことをして

 わるさをするようになりました


 おうさまはひとりのきしにおねがいをしました

 このくにのひとびとをあくまからまもっておくれ

 あくまをこわがらなくてすむようにたいじしてきておくれ


 きしはおうさまのねがいをかなえるために

 たびにでました……


 中身は平易な文章で書かれた、よくあるおとぎ話のようだ。1ページあたりの文字も少なく、読み切るのにも10分もかからない。

 騎士は途中魔物に苦労させられながらも、最終的には悪魔の元に辿り着き……囚われていた子供達を救い出すが、最後に死にかけていた悪魔の反撃にあい命を落としてしまう、という筋書きだ。最終ページでは、功績を讃えられて「きし」は「ゆうしゃ」と呼ばれるようになりました……めでたしめでたし、と結ばれている。

 ただ……挿絵に描かれている勇者と悪魔のデザインが、妙に引っかかる。

 まず勇者の方だが、こういう絵本の勇者はいかにもな感じ……例えば鎧兜を身につけているとか、選ばれし者っぽい装飾を身につけているとか……大抵は子供にも分かりやすい特徴をしているのが、普通だ。しかし、この勇者の髪色は淡い水色をしており、長い髪を後ろで三つ編みにしている様子がしっかり描かれているところを見ると……かなり特徴的な風貌で、手には剣の他に聖書のようなものが握られている。おそらく、この物語の主人公にはハッキリとしたモデル……多分、元々は聖職者か何か……がいるのだろう。

 そして、悪魔の方はかなりデフォルメされているとはいえ、狼のような頭といい、2本の青い尾といい。まるで……。


(まるで、ハーヴェンみたいだ)


 そこまで考えて、家の中が妙に静かなことに気づく。いくら待っても、ハーヴェンが寝室に戻ってくる様子がない。風呂場にもキッチンにもいないし、リビングにもいない。


「あれは……」


 見れば、誰もいないはずのリビングのテーブルには置き去りにされたように、黒い宝石が埋め込まれた鍵といつものメモ……にしては、少し大きめの紙切れが置いてある。


 “ちょっと出かけてくる。

 しばらく帰れないかもしれないが、エルノアとギノのことをよろしく頼む。

 そうそう、明日の夕食分くらいは作り置きがあるから、適当に食べていてくれ。


      お前の精霊より、愛を込めて”


 半ば殴り書きにされている文字を読み終わる間も無く、急に目の前が真っ暗になるのを感じた。こんなことになるのだったら、もう少し気をかけるべきだった。


 ちょっと出かけてくる、だって? ちょっとで済ませるつもりなら、なぜサンクチュアリピースを置いていく必要がある? ちょっとで済む用事なら……どうして、何も言わずに出ていく? ちょっとで済まないから、私を置いて出て行ってしまったのだろう?


 何も……何も言ってもらえなかった。彼にとって、私は相談すらできない相手だった、ということだろうか。いくら後悔しても、すぐそこには……1人きりの夜が迫っていた。

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