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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第14章】後始末の醍醐味
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14−12 復讐の歩み

 ひっそりと仄暗い、カーヴェラの裏路地。まだ昼前だというのに、暗鬱な翳りを落とす闇は逢魔時を彷彿とさせる危機感がある。大都市であろうとも、大通りから外れた細道には危険はつきもの。だから、この辺りを何気なく歩くのは余程の世間知らずか、腕に自信がある猛者かのどちらかだ。そんな裏道を……あろう事か、まだ年端も行かないと思われる少年が2人、お喋りをしながら歩いている。時折、足に絡みつく物乞いの手を忌々しげに振り払いながらも、彼らはどこか楽しげだ。


「そうそう、この辺だったっけ。僕達が出会ったのって」

「そうだったな。でさ、この道をずっと行って抜けた先の……ブルー・エリアの貴族街に僕の屋敷があるんだけど」


 何やら屋敷持ちらしい気の強うそうな少年が指差す方向を、興味深げに見つめる利発そうな面立ちの少年。彼らは仲もいいのだろう。「どんな場所だったの」と片方が尋ねれば、もう片方が気さくに答える。だが……その身に生える角や尻尾を見れば、彼らがタダの人間ではないことは一目瞭然だ。一見すれば、いわゆる精霊落ちに見える彼らの名前は……ロジェとタールカ。今ではすっかり仲良しな同じデミエレメントの2人。少し前まで、ちょっとしたアクシデントで満身創痍だったロジェの傷もすっかり癒え、快気祝いともなれば。仄暗い道のりとは言え、足取りも軽い。そして今日はそんな彼らの片方……タールカの悲願を叶えるついでに、肩慣らしでもしようと2人揃ってカーヴェラにやってきていたのだった。


「へぇ、そうだったの? ……タールカ、孤児じゃなかったんだ」

「うん、まぁ。これでも元々は貴族だったんだよ。で、さ……その屋敷なんだけど」


 今じゃ僕の屋敷じゃないんだけどね……なんて、タールカが悔しそうに呟くところによると。カーヴェラの貴族街にある屋敷はアイネスバート家の別邸で、普段は父方の叔父夫婦を「住まわせてやっていた」のだそうだ。その妙な上から目線は他でもない、アイネスバートの正統な当主だったのはタールカの父であり、兄であり……彼の叔父はその縁にぶら下がっていただけの、金食い虫でしかなかった事に起因する。そして家長でもある兄が失脚すると、あろうことか叔父は何かの当て付けのように、グランティアズにある本邸へ引っ越した後にカーヴェラの別邸を赤の他人に売り払ったのだ。

 家長であるエドワルドが失踪したとなれば、本来の相続人は彼の母親になるはずだが、そこは名高い騎士の名家。アイネスバート家では相続も含めて、家督は全て男子が引き継ぐしきたりになっており、タールカの母親には一切の遺産相続は認められなかった。であれば、次点の正当な相続人はタールカになるはずだが……叔父はとある理由を盾にして、相続権を彼に残すこともしなかった。


「僕の兄上は裏切り者でね。……背信行為で断罪されたとかで、アイネスバート家に泥を塗った恥さらしだったんだ。だから……弟も同類だろうって事で、僕には銅貨1枚さえ残らなかった。今思えば、叔父上がうまくやった結果だったんだろうけど。その叔父上は後で探し出して、ぶっ殺すとして。今日はそんな僕の屋敷で……見ず知らずのよそ者のくせに、僕と母上を追い詰めた悪徳商人を成敗してやろうって訳さ」

「そっか。ま、僕はついでに憂さ晴らしができればそれでいいけど。……タールカも何だかんだで結構、苦労してるよね。僕、貴族に生まれたら幸せに暮らせるんだろうなとばかり、思ってたよ」


 生まれた場所を間違えただけで、自分は不幸なのだと思っていた。自分は両親に恵まれなかっただけで、本当は場所さえ間違えなければ幸せだったはずなのだと信じていた。幼い頃から痣だらけだった体を抱えて、無作為に考えていたこともあったけれど。ロジェにしてみれば、タールカの転落人生のあらましは、既定概念を覆す不条理の新要素にも思えて、少しばかり新鮮だ。

 そうして妙な新鮮さに好奇心を覚えていると……とある場所に差し掛かったところで、急に胸を締め付けられる錯覚に襲われるロジェ。レッド・アベニューとブルー・アベニューを繋ぐ細道の合間にひっそりと佇む古い工場跡を見つけては、思わず足を止める。


「ロジェ、どうした? ここは確か、元々は製鉄所か何かだったっけか?」

「そう、だね。……僕、さ。タルルトの孤児院に引き取られるまでは……人買いに売られて、ここで働いていたんだ」

「えっ?」


 思いがけないロジェの告白に、思わず自身の足も止めて振り返るタールカ。タールカが見つめるロジェの面影は……懐かしさと悲しさとを、困惑混じりの表情で包み込むような痛ましいものだった。


 ロジェが生まれたのは、ルクレスとミットルテの間に挟まれた農業国・ペペロ。ルクレスの首都であり、要衝でもあるカーヴェラから物理的な距離は近いものの、残念な事にペペロ地方に停まる列車は現代では絶えている。そのため、ペペロの人々がカーヴェラに「出稼ぎ」に出る時は、列車も通らない線路の上を延々と歩かなければならない。とは言え……列車が走っていたところで、全体的に貧しいペペロの住人に運賃を支払う余裕があるのかも怪しいが。

 それはさて置き、ペペロの中でも極貧とまで言われる片田舎・リニアーテの農家に、ロジェは生を受けたのだが……ロジェの父親は仕事もせず飲んだくれてばかりで、母親も怠け者な上に浮気性。ロジェの上にも6人、下にも3人程兄と弟や姉に妹もいたが、彼らの家では両親の食い扶持のためにこそ、年長の子供から人買いに売られていっては1人、また1人と数を減らして行った。

 しかし、その別れがロジェには一種の救いにも思えて。正直なところ、人買いが迎えに来るのを待っていたフシがある。当時のロジェにしてみれば、最悪な両親から解放されれば他の事はどうでもいい程までに、彼は幼い頃から既に人生を諦めていたのだ。

 父親は常に酔っ払っているだけではなく、非常に横暴で乱暴。気に食わないことがあれば、子供達の誰かを選んで、手当たり次第に殴っては憂さ晴らしをする、最低の父親だった。酷い時には寒空の下に裸で放り出されて、子供達だけで身を寄せ合っては、何とか凌いだこともある。そして、そんな暴虐を母親も止めることもしなければ、慰めることもしなかった。


「……そっか。ロジェはそんな酷い場所に生まれたんだな……」

「うん。今考えても……本当に最悪だったと思うよ。だから、さ。僕はどんな形であれ、あの家から離れられれば何でも良かったんだよね。だけど……」


 スタートが大幅なマイナス地点からの出発では、なかなか人並みのゼロ地点に到達するのも難しい。教養もなければ、慢性的な栄養不足で体力もない。体も小さいし、特技も強みも何1つない。そんな見ず知らずの子供を相手にできる程、カーヴェラの街は優しくもなかった。

 それでも、猫の手ならぬ子供の手を借りたいと言う、奇特な人物に引き取られたロジェ。人買いからロジェを買い取ったのは……目の前で寂れた姿を見せている、かつての町工場の工場長だった。この工場では煙突掃除のために、身軽で狭いところに入り込める「子供という手段」を採用しており、五体満足の子供であれば、それ以上の条件を求めるつもりもなかったらしい。

 しかし採用のハードルは低い分、仕事内容は過酷そのもの。擦過傷に火傷、滑落での怪我は当たり前。その上、たまに運が悪い子供もいて……ボイラーが吐き出す水蒸気に当てられ、手酷い全身火傷を負ってそのまま短い生涯を終える者も1人や2人ではなかった。

 それでも、きちんと働いていれば殴られることもないし、最低限とは言え食事にもありつける。工場の大人達は大雑把で気も荒いけれど、憂さ晴らしの手を子供達に上げる者もなかった。しかし……。


「見ての通り、この工場……潰れちゃったんだよね。僕がここで働いていたのは、ほんの1年ちょっとだったけど。でも……そうだな。僕の人生の中で、その1年は楽しかった方になると思う。仕事はキツいし、毎日死なないように必死だったけど。だけど、理由も分からずに殴られる毎日よりは、遥かに良かったよ。だって……ここで働いている間は、僕も確かに人間として生きていられたから」

「……」


 今まで、誰にも話したことなかったのにね。

 最後はそんな言葉で締めくくりながら、タールカの復讐の歩みをロジェが促す。この親近感は多分、デミエレメントという共通の境遇に騙されているだけの、人恋しさが化けたもの。それでも。生まれも育ちも全くの別物なのに、奇妙な同族意識を芽生えさせては……1人じゃないという甘い充足感に、互いの孤独を埋めるロジェとタールカだった。

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