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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第14章】後始末の醍醐味
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14−5 狂気じみた幸せ(4)

 彼の求婚を受け入れてからというもの、彼の妻として華々しい貴族の世界に足を踏み入れて。凭れるような空気にも徐々に順応こそしてみるものの……一時の華やかな夢の後に待っているのは、どこまでも深い闇を彷徨う実験の日々でしかなかった。

 表向きは、ティーダ・グレゴールの妻。しかして、実態は専属のカウンセラーであり、ヒーラー。後ろ暗い実験の被験者でもある彼の傷の治療に、心のケアにと……私の方も積み重なっていく徒労に、嘆く日もあった。しかし、不毛な彼の実験が終わる日を心の底から願いつつも、一方で、私は心を麻痺させながら「必要とされている」という自己陶酔に溺れてもいた。

 「彼女」の実験が終われば、私は「彼」に必要とされなくなるだろう。もちろん、根はどこまでも優しくてお人好しなティーダが今更、私を無責任に放り出すとも思えない。だが、その不安は何も……自分が捨てられてしまう懸念に付随している、単純なものでもなかった。

 実験こそが、彼に生きている実感を与えている。実験そのものを止めてしまったら、彼の「生きる意味」を奪う事になるのではないかと怯え、完全に止めさせたらティーダは壊れてしまかもしれないと、心の底から恐れていた。それでも、綱渡りのような幸せでさえも……当時の私には愛おしく手放し難いものであったのは、紛れもない事実だった。


 しかし幸せというものは、いつの世も呆気なく終わりを告げるものらしい。クージェがカンバラに宣戦布告してから、既に20年程。戦争中の祖国の姿しか知らない私にとって、悲しい程に戦時中という日常は染みついていたが。不幸な戦争の時代は長い歴史の中では、どこまでもイレギュラー、完全なる由々しき事態でしかなかったようだ。そしてその惨状を放置できないと思ったのは、どうも人間だけではなかったらしい。とうとう業を煮やしたのか……いつしか、戦争を止めるために神々しく天使が舞い降りるようになっていた。

 それがただの仲裁だったら、まだ良かったのだけど。しかし、彼女達は戦争を始めたクージェ側に敵対する形で、カンバラを守護し始めたのだ。そして、人間達にとっては絶対正義の彼女達が降臨した大義名分によって、クージェはただのカンバラの敵国ではなく、瞬く間に世界中の敵国として認識される事になってしまった。戦争の被害を拡大させた「無敵兵」の起用は天使達の禁忌にさえも触れており、見過ごせない……それが彼女達が人間界の空を舞う理由ではあったが。それは同時に、クージェ最大の汚点へと成り果てていった。


「……アンナ。落ち着いて聞いて」

「どうされましたの、あなた」

「うん。……どうやら帝王様はこの国を救うために、天使様への生贄を用意する事にしたみたいなんだ」

「生贄ですか?」


 天使が戦争を止めるために舞い降りるようになった……そんな噂は、クージェの帝都内であろうとも嫌でも耳に入る。そうして全世界の敵になりつつある国を存続させるためには、汚点を雪げばいいと当時の帝王は考えたらしい。そして……その汚点は他でもない、彼女達の倫理に抵触している無敵兵の存在そのものであり、延いてはそれを生み出す技術をもたらしたグレゴール家だとしたのだ。だから、元凶を生み出した責任を取れと……散々に技術を利用してきたのにもかかわらず、帝国は一方的に密書をグレゴール家に寄越しては、脅迫してきたのだった。


「なんですって⁉︎ どうして、グレゴール家だけで責任を取らないといけないのですか⁉︎ そもそも、技術を帝王様に吹き込んだのは……」

「うん、分かっている。だけど、当人達がいなくても、この国が続くには責任を取る人間が必要なんだよ。そして、この国が続かなければ、みんなみんな困ってしまう。だから、クージェを存続させるためにも、天使様達を納得させる黒幕の存在が必要なんだ。しかも“お優しいことに”帝王様は責任者さえ差し出せば、グレゴール家を潰す事はしないと言ってくださっている。だから……」


 叔父方の従兄弟に家督を譲ってきたんだと、力なく笑うティーダ。それは要するに、彼自身は家長としての立場を捨てて、責任を全うするつもりであるということ。そして……自分1人で全てを背負うことで、この家を守ろうとしているということだった。

 だけど、そんな事のために身を削ってきた訳ではないだろうに。決して……無責任な黒幕になるために、家長になろうと努力をしていた訳ではない。それなのに、この国はティーダ1人を天使様達への誠意を示すためのスケープゴートとして、仕立て上げるつもりなのだ。

 だが、それはどこまでも意地汚い責任逃れ。自分もちゃっかりと旨味を啜っていたはずなのに、自分の身が危うくなると自分も利用されていたのですと……鮮やかに転進して見せるのだから、これが一国の主人の姿だと思うとほとほと情けなさ過ぎて、腹が立つ。


「……帝王が聞いて呆れるわ。自分は安全なところで、兵士をけしかけて満足していたクセに! 自分は綺麗なところで、見物して楽しんでいたクセに……! それなのに……自分のやったことではありません、グレゴール家が全部悪いんです……ですって⁉︎ 何が……」


 自分は慈悲深いから最後に温情をかけてやろう、なのかしら……!

 密書ではそんなつらつらと、偉そうな筆致で「グレゴール家の失策と背徳行為」をこれでもかとでっち上げて、最後はそんなムカつく結びで締めくくっているが。この内容のどこに、真実があるというのだろう。


「……あなたはこれでいいの?」

「えっ?」

「あなたは、こんな終わり方でいいのかと聞いているのです! こんな事のために死ぬつもりなのッ⁉︎ 私はイヤよ! あなたは自分が納得するために、毎日血を流していたのでしょ? 毎日、辛い思いをしていたのは、自分が自分であるためなのではなくて⁉︎ それなのに、この程度の事で自分を諦めてどうするのです!」

「ありがとう、アンナ。そんな風に私を私だと認めて、支えてくれるのは君だけだったよ。君がいてくれて初めて……私は自分が自分だったと実感できたんだ。生まれた時から、両親の言いなりで。姉がいなくなってからは、自分は幸せになる事は許されないのだと、自戒して。それでも、本当は……自分らしく幸せでありたいと、心の底から願っていた。だけど、自分の本心に気づくのが遅過ぎたみたいなんだ。もう、こうする事でしか……私は自分の矜持を支えることさえできない」


 彼の矜持……それは貴族に生まれついた厚遇の代償であり、家督存続の使命。だがその重圧に彼や彼の両親、そして先代も……地位に縋るあまりに、本当に守るべき多くのものを見失ってきたのだろう。

 そんな境遇に疲れ切って観念しましたと、最後に彼が諦めたように、部屋の外で待っていたらしいお客様を招き入れる。待たされてかなり苛立っているのだろう、彼の招きでやってきたお客様達はズカズカと部屋に入り込んできては……ティーダと私を睨みつけながら、その場で整列し始めた。どの顔も初めて合わせる相手揃いだが、軍服に身を包んでいるのを見れば、彼らが何の目的でいるのかくらいは察しもつく。

 ……そういうことか。彼らは何がなんでも、ティーダに本来の姿で死を全うすることさえも、許さないつもりらしい。そうして本当は罪人でもないのに手枷を嵌められて連行される夫の背中を、泣きながら見送ることしか……その時の私にはできなかった。

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