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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第2章】記憶の奥底
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2−23 ついに思い出しちまった

 エルノアを連れて戻った家で過ごす昼下がり。エルノアはギノのことを気にしつつも、預けている先がゲルニカのところだから安心もしているのだろう。彼女の意識は既に……夕食のデザートに傾いている様子。

 以前よりも掃除を手伝うようになったり、ベッドのシーツやらを洗うようになったのには成長した……というよりも、ギノの影響が大きいのだと思う。多分、先輩として負けていられないと思ったのだろう。兎にも角にも、一緒に庭で洗濯物を干しながら、穏やかな日差しを浴びるのは気持ちがいい訳で。クリーム色のワンピースをはためかせながら、そよ風を受けているエルノアも顔を綻ばせている。


「ハーヴェン。今日はこの後、どうするの?」

「そうだな、とりあえず……お茶でも淹れて、休憩するか。そのうち、ルシエルも帰ってくるだろ」

「うん。……でも、ハーヴェン。多分、お茶は2人だけでじゃなくなりそう……」

「お?」


 言われて見れば、庭先にやたら豪華な雰囲気の馬車が停まっている。この家は街道から外れた森の中の、それこそ、辺鄙にも程がある場所に建っている。……この辺りは若干、物騒だろうに。こんなところでピクニックとは、物好きな奴もいたもんだ。


「ハーヴェン様、お久しぶりです。今日はお願いがあって参りました。お時間、よろしいでしょうか?」

「ゲッ……!」


 しかし、馬車から降りてきたのはいつぞやの優男。こんなところにまで、人の都合も考えずに押しかけてくるとは……本当に、どんな神経をしているんだろう。


「よく、ここが分かったな……。こんな場所、誰も通らないと思っていたんだが」

「あの後、ハーヴェン様がミットルテ方面行きの列車に乗られたとの情報がありまして。しかし、街中にお住いではなかったようですので……範囲を拡張して所在を探しておりました。まさか、私もこんな場所に人が住んでいるなんて思いませんでしたので……いやはや、探し出すのに苦労しましたよ」


 何が苦労……だ? 人の家に押しかけるだけの労力を割くくらいなら、生活に苦労している民のことを考えた方が生産的だと思うのは、気のせいだろうか?

 そして……そんな事を考えている俺の気持ちを早速、読み取ったらしい。エルノアが彼女にしては珍しいほどに、拒絶の言葉を優男にぶつけ始める。


「お兄ちゃん。ハーヴェンはこの間、お誘いには興味ないって言ってたでしょ? しつこいのはよくないと思うの」

「や、色々とこちらも事情がありまして……ハーヴェン様に是が非でも、お力を借りなければならなくなりました」

「……お前の事情は俺には関係ないんだけど。まぁ、いいか。折角来たんだし、茶でも出すから上がれよ。王宮騎士殿にしたら、あばら屋だろうがな」

「恐れ入ります。では、お言葉に甘えて……お邪魔いたします」


 俺の嫌味にも、怪訝な顔1つせず上り込む騎士殿。言われずとも、勝手にテーブルの上座に座ってくる時点で……為政者の取り巻きというのは、こういうものなんだろう。つくづく、厚かましい奴だ。


「あの人自体は悪い人じゃないみたいだけど……ハーヴェンを悪い事に巻き込もうとしているみたい」

「あぁ、分かっているよ。ま、どんな話でも……俺はルシエルの命令以外を受け付けるつもりはないから。心配するな」

「うん……」


 キッチンでお茶を淹れる俺の後ろで、エルノアがソワソワしながらエドワルドの様子を窺っている。彼女の方は明らかに警戒心丸出しなのだが……それにすら気づいてこない時点でやはり、色々と難がありそうだ。


「ほれ、粗茶ですが。……で、こんなところまで押しかけてくるんだ。話があるんだろ? 悪いが、少ししたら夕食の準備もしなきゃいけないし……あんまり時間はないんだが」

「そうですか。では、早速。……単刀直入に申します。我がローウェルズ王国に仕え、殿下のためにお力を奮っていただきたい」

「断る」


 俺の答えにでしょうね、と小さく応じるエドワルド。


「……その答えは織り込み済みです。しかし、どうしても……お力を借りなければならないのです」

「いや、だから。お前らの事情は俺には関係ないだろ。大体、俺1人を召抱えたところで……何が変わるって言うんだよ」

「先日の強さ……おそらく、ハーヴェン様はただの人間ではありますまい?」


 その辺はお見通し……か。やはり、あまりにも簡単にあしらい過ぎちまったみたいだな……。いくら弱い相手とは言え、ちょっと本気を出したフリをしておけば良かった。


「……だとしたら、どうするんだよ?」

「しかも、そちらのお嬢さんは……明らかに精霊と思われるお姿をしている、と」

「だから、どうした? この子に手を出そうって言うんなら……この場で首を刎ねるぞ」

「いや、そういう訳ではないのですが。……ですが、教会の人間が知ったらどうなるかな、と思いまして。彼らには精霊を見かけたら、報告するように言われています。何でも、霊樹復活に必要不可欠なのだとか」

「この子はうちの子だ。その程度で俺を脅しているつもりなら、甘いぞ。教会なんぞ、クソ喰らえだ。……いよいよになったら、教会なんぞ丸ごと潰してやんよ。前も言ったが、俺にはご主人様がいる。他の奴に仕える気はこれっぽっちもない」

「教会を敵に回しても構わないと?」

「別に構わねぇよ。勝手にやってろ」


 エドワルドとしてはその脅し文句があればある程度、俺を籠絡できるとでも思っていたのだろう。明らかに当てが外れた顔をしている。


「どうしても、お願いできませんか」

「断る」

「……ローウェルズの財をふんだんに与えると言っても?」

「金には困っていないもんでね。大体、俺1人にそんな大枚叩けるんだったら、もっと使いやすい奴を雇えばいいだろう」


 そこまで言われて、沈痛な面持ちになる優男。

 脅しも効かない、金でも靡かない。権力も財力も通じない相手を従えようとするならば、歓心と忠誠を買えばいいのだろうが……出会って間もない上に、明らかに拒絶ムードを出している相手には、どだい無理な話だ。きっと、それを痛感したのだろう。エドワルドは最後の可能性を持ち出すことにしたらしい。権力、財力、忠誠。どれも決定打にならないのなら、後は相手の憐憫を誘うしかない。


「実は……そう遠くないうちにクージェ帝国とローウェルズ王国の間で、戦争が起こりそうなのです」

「クージェ? そもそも、ローウェルズって王国だったのか?」

「なんと、ルクレスにお住まいなのに……ご存知ないと?」

「興味なかったもんでな」


 言われれば、人間界の地理はさっぱりだ。他の地方にだって、つい最近に行った程度の知識しかない。こういう機微を養うためにも、人間界の地理くらいは把握しておいたほうがいいかな……。


「ローウェルズはゴラニア大陸の北方を治める王国です。このルクレスとナーシャ、そしてミットルテを統括し、リンドヘイム教を国教とする宗教国家でもあるのですが……」

「そか。だったら、余計に協力するわけにはいかないな。リンドヘイムには色々と、嫌な思いをさせられているもんでね」

「もちろん、殿下にお仕えいただくのに教徒である必要はありません。クージェに勝てさえすれば、良いのです。しかし、要となるはずだった研究がなぜか……ここにきて、頓挫いたしまして」


 彼の言う研究の内容を聞く必要はないだろう。司祭は人間界の霊樹を復活させるためとか言っていたが、「精霊を作る」事は……ほぼほぼ、魔法の復活もオマケで付いてくると考えていい。

 今の人間界でちょっとした攻撃魔法が使えれば一騎当千どころか、下手したら、国家1つ転覆させるのだって1人で済んでしまうかもしれない。彼の方はその研究が頓挫した理由を作ったのが、まさに俺達だとは露にも思わないようだが。この様子だと、具体的な内容だって知らされていないのだろう。……文字通り、何も知らないエドワルドが更に話を進めてくる。


「一方で悪いことに、クージェの方は高性能重火器の量産に着手したようでして。……辛うじて均衡を保っていた国家間の力関係が、崩れようとしているのです」

「で、おそらく精霊と思われる俺にお声がかかった、と」

「その通りです」

「……やっぱり正直、俺にはどうでもいい話だな。お前としてはここも戦禍に巻き込まれるから、ルクレスに住んでいるんだし協力しろと言いたいんだろうが……俺らははぐれ精霊でもないんでね。いざとなれば、きちんと面倒を見てくれるご主人様もいるし、帰る場所もあるし。ここに住めなくなっても、大して困らない」

「ハーヴェン?」


 エルノアが心配そうに俺を見上げている。もちろん俺だって、ここでこのまま暮らせる方がいいに決まっているのだが。最悪、4人で住める場所があればどこだっていい。もし、そうなったら……ルクレスを受け持つルシエルには悪いが、他の地方に越す事もやむを得ないだろう。


「そうですか。……やはり国を支えるというのは、難しい事ですね。私のような未熟者には……英雄・ハールのようにはなれないという事でしょうか」

「英雄・ハール?」

「あぁ、それもご存知ありませんか。実は私は、幼い頃からハールに憧れていましてね。この髪型も彼を真似ているのです。ハールはゴラニアに住む者ならば誰でも知っている伝説の勇者でして……なんでも、漆黒の悪魔と刺し違えてでも、ローウェルズの子供達を守ったとか」

(……ハール? その名前、どこかで……?)


 また、いつかの鈍痛が頭を駆ける。何かを思い出しそうになると……いつもこうだ。


「……ツッ⁉︎」

「ハーヴェン、大丈夫?」

「……ちょっと、頭痛がな。別に、大したことはないよ。……多分、普通の相手には至極いい話なのかもしれないが……悪いが、俺は戦争に乗っかるつもりはない。……そろそろ、帰ってくれないか」

「……分かりました。諦めたわけではありませんが、そのご様子ですと……これ以上はご迷惑でしょうし、今日のところは帰らせていただきます。そうそう。侘びと言っては何ですが、子供達に絵本をお持ちしました。この大陸に住む子供であれば……一度は読んだ事がある定番のものですが。よければ、1冊どうぞ」

「……あ、あぁ……」


 そう差し出された絵本の表紙には『勇者と悪魔』という、至極シンプルなタイトルが書かれている。そして、表紙で向き合う男と悪魔は……どう見ても、俺が知っている奴だった。


「うぐっ……⁉︎」

「ハ、ハーヴェン? 大丈夫?」

「……あ、あぁ、大丈夫だ。すまない、エルノア。……エドワルドのお見送り、頼めるか?」

「う、うん……それはいいけど……」


 さ、帰ってと……エルノアが強引にエドワルドの背中を押して、彼を家から追い出す。その背後で、俺は割れそうになる程に痛む頭を抱えていた。今までにない痛みとともに……いろんな事が頭の中を駆け巡る。


 ……そうか、そういうことか。

 ついに……ついに思い出しちまった。

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