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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第13章】鮮やかな記憶と置き去りの記憶
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13−34 失うのはゴメンだわ

「困ったわねぇ。今日は仕事で来ている訳でも、視察に来ている訳でもないのだけど。ちょっと思い出を探しに来ただけなのに。どうしようかしら。少なくとも……シルヴィア王女はお連れしないといけないのかしら?」


 思い出探し? 先程の様子に、決して分かり合えないだろうと決め付けていた相手の口から、妙に親近感のあるキーワードが漏れる。そこまで言われて、ハタと目の前の相手がタダの人間でもなさそうだと改めて気づいた。おそらく、魔力を抑えているのだろうが……明らかに、この威圧感は魔力を有した存在が醸し出す空気。まさか、こいつも中身は悪魔……なのか?


「今更、私を王女扱いして何をしようと言うのです、フェイラン。私は偽姫。今まで、散々……生まれた時から、存在すらなかった事にされてきたわ。それを、今になってどうして?」


 内心でフェイランの正体を探ろうと焦っている私を他所に、自分が王女だったことをアッサリと白状しながらも、冷静にシルヴィアがフェイランに応じている。なるほど。この子の気高さと立ち振る舞いの美しさは王族由来のものだったか。場違いながらも、感心している自分がいよいよ滑稽に思えるが。しかし、後に続くどこまでもチグハグな問答に……上ズレた気分も綺麗に吹き飛んでいく。


「あら? そうだったかしら。こちら側としては、あなたが最重要個体だって聞いておりましたけど。ユグドラシル復活の鍵となる存在をなかった事になんて、できませんわ」

「ユグドラシル復活の……鍵?」

「えぇ。現に、ジルヴェッタ様ではやはり使い物にならなかったとかで、あなたが失踪されてから王宮も教会も……あなた様を必死に探していましたのよ? 精霊の血をしっかりと引くあなた様でなければ、女神の器にはなり得ませんから」

「精霊の血? 私が女神の器……? 一体、それはどういう意味?」


 フェイランが吐き出した弁明は、明らかに重要な内容だと思うけれど。それをこうもスラスラとお喋りしていい者なのかしら? この女将軍は本当に色々とズレている……いや。浮世離れしていると言った方が、しっくりくるわね。


「あらあら……ご本人様はご自身のお役目をご存知なかったのですね。あなた様は新しいユグドラシルに宿るべき女神の依代として、生み出された存在ですわ。霊樹が本領を発揮するには本体とは別に、使者となるべき別の魂が宿る必要があるのです。ただ根付くだけでは、霊樹はきちんと魔力を吐き出すことはできません。だから……新しい世界を作るには、どうしても肉体を提供してくれる生贄が必要なのです」


 それがあなたなのですよ……と、フェイランがいかにも優しげな微笑みを溢す。しかし、彼女の語り草は要するに、シルヴィアはそのために作られた存在だから、剰え……生贄として体を差し出せとさえ言っているのだ。冷笑のフェイラン……か。言い得て妙だが、この上なくぴったりな二つ名には違いない。……これは間違いなく、笑顔で言っていい事ではないだろうに。


「……いい加減にしなさいよ、将軍様。シルヴィアの生まれはこの際、どうだっていいわ。肝心なのはシルヴィアが帰りたいか、そうじゃないか。……ただ、それだけのこと。シルヴィアはどうしたいの? あなたは……“どっち”に帰りたい?」


 シルヴィアが「精霊の先祖返り」なのではないかと、言われていた意味をしっかりと理解しながら……答えさえもあまりに分かり切った質問を、シルヴィアに投げる。

 そう、本来の姿を取り戻し始めたこの子が「偽物」に戻りたがるはずがない。だったら……今までの境遇は金輪際、かなぐり捨ててしまえばいい。今をこうして生きている相手に、本人の意図しない“献身”を押し付ける権利があってたまるか。


「私は……孤児院の方に帰りたいです。みんなと一緒に、まだ……暮らしていたい」

「そう。……今はその答えだけあれば、十分よ。と、いう事で……フェイランでしたっけ? この子はこれからも“うちの子”なものですから、サッサと帰ってくれないかしら。どうしてもって言うんなら……それなりに痛い目に遭わせるわよ」

「あら? そうなの? ……まぁ、困ったわ。どうする、姫様。お姉様は帰りたくないそうよ?」


 人が腰のショートフランベルジュに手を掛けつつ、脅してやったというのに。フェイランがそれさえも軽く受け流して、どこかあやす様に手元の人形のネジを回し始める。そうされて……どういう仕組みかは知らないが、彼女の腕に抱かれた人形がパクパクと口を動かしながら喋り始めた。


「お主……シルヴィアか? なんじゃ、その様変わりは。妾と同じ色を持った所で……王女の座はやらんぞ?」

「あなた、ジル……なの? フェイラン! ジルに何をしたのッ⁉︎」

「何を申しておるのだ、シルヴィア。何をしたも何も……妾はこうして健在ではないか。今日はフェイランに人探しで連れ出してもらったのじゃが……うぅむ。グリーン・ストリートに出入りしているとも聞いたが、ハズレじゃったかのぅ」

「あなた、自分がどうなっているのか……自覚ないの? ジル……あなた、どうしてしまったの……⁉︎」

「どうもしておらぬと、言っておろうに。妾は今も昔も……」


 今も昔も……なんだと言うのだろう。どうやら目の前の不気味な彼女は、動力が尽きてお喋りさえも叶わないタダの人形に戻ったらしい。ジルヴェッタが黙ることで生まれた冷たい沈黙が、辺りを包む。“ジルヴェッタ様ではやはり使い物にならなかった”……か。どういう原理かは分からないが、フェイランの先程の言葉から、ジルヴェッタとやらは体を取り上げられた後なのだろう。余った魂の方を取り敢えず人形に定着させたのだろうが……だとすると、あの人形自体もそれなりの魔法道具だと考えて良さそうだ。


(だけど、使い物にならなかった方の魂を残す意味は一体……?)


 しかし、だったとしても……残酷な言い方ではあるが、肉体が必要だったのなら、純粋に殺すだけで済むはずなのに。それなのに……わざわざ魂を残す意味が見当たらない。


「……う、あぅ。あぁう……」

「メイヤ、どうしたの? 何か、気づいたの?」

「あぁう……あぅぅ……! ふえぇぇぇ!」


 片言の言葉を紡ぎながら、何故かジャーノンを指差して号泣し始めるメイヤ。彼女の突然の慟哭に、それまでの考察を一時中断して……仕方なしに、涙の意味を逡巡する。バンシーの結合体でもあるメイヤが泣き出す理由は、咄嗟に誰かの死を予感したということ。しかし、メイヤが予兆を感じたのはジルヴェッタでもなく、シルヴィアでもなく……小さな指先がジャーノンなのだと示している。


「ど、どうしたの、メイヤ。そんなはず……ないでしょ?」

「あぁう! あぁぁぅぅ!」

「あら? そちらのお嬢さんは精霊として、しっかりと役目を果たしているのね。まぁまぁ、偉いわ。そう。でしたら……今日はアルスを持ち帰るとしましょうか。きっとその予感は、人としての終わりを意味しているのでしょう。フフフ、こんな風に息子に会えるなんて。やっぱり姫様のご意見には常々、従うべきですね。これで……完璧な無敵兵の実現にまた一歩、近づいたというものです」


 無敵兵……? そのフレーズ、どこかで聞いたことがあるような……⁉︎


(ウグッ……! その言葉……私、知っている気がする……。だけど、選りに選ってこんな時に、暴れないでちょうだい……!)


 奥底に居残る面影がチラチラとフラッシュバックしては、瞬きの度に頭がドクンドクンと脈打ち痛みだす。今のこの状況で記憶に目覚められるのは、この上なく困る。記憶の寝返りは時と場合を選ばないから、本当にタチが悪い。


「……まだ、そんな事を言っているのか? 大体……無敵兵なんて、何のために……!」

「完全な存在、完全な肉体。私達は遥か昔から……それこそ、気の遠くなるような年月を経ても、尚。それを求め、彷徨い続けているの。それを生み出せるのなら、母親になってみることもしたし、誰かと家族になってみることもしたわ。だけど……未だに完全なものは手に入らない。私は私が誰なのかを、肯定できないまま……完璧な容れ物がない限り、自分の存在を定着さえできないの」


 だから、お願い。私のために死んで。いよいよ、感情さえも感じさせない虚な笑顔を見せながら、目にも止まらぬ速さで剣を抜くフェイラン。左腕に人形を抱いているというのに、器用にかなり大柄の得物をジャーノンに振りかざしては……ザックリと胸を躊躇なく貫いた。その刹那を嗅ぎ取る間もなく、目の前が一瞬にして真っ赤に滲む。心臓一突き……普通なら致命傷としか思えない、最悪の一手。断末魔を上げる間もなく、彼の体がタダの肉塊としてドサリと崩れ落ちる。

 少し前は郵便局の帰りだなんて、他愛もない話をしていたのに。この間、一緒に食事してきたばっかりだというのに。それなのに……本当についさっきまで一緒にいたはずの相手が、物言わぬ屍に成り果てようとしている。これは、一体……?


(これはどういう……ことなの? どうしてまた……)


 どうしてまた、誰かを失わなければならないのだろう。前にもあったらしい、目の前の光景。気がつけば……私は真っ白だったはずのローブを愛しかった相手の血で真っ赤に染めながら、まだ温もりが残っている彼に縋って泣いていた。

 頭が痛い。頭が……割れるように痛い。痛い、痛い、痛い……痛い痛い痛いッ‼︎

 だけど、それでも……それでも。ギリリと牙を鳴らしながら、精一杯に痛みを振り払い、振り切り飛ばして。憎んでも憎みきれない相手を、何かを覆すように滾る感情で睨め上げる。


「あら? お嬢さんはアルスの恋人かしら? だとしたら……運が悪かったと思って、諦めて頂戴な」

「生憎と、ジャーノンを諦めるつもりはないわ。それに……まだ、終わったわけじゃない!」


 そう、まだ……間に合う。いつかと同じ、真っ赤に染まった自分の手を握り締めながら……痛みさえも克服して、冷静さを取り戻し始めた頭でシルヴィアとメイヤに望みを託す。


「……シルヴィア、メイヤ。悪いんだけど、すぐにザフィを呼んで来てくれる? この程度なら先生にかかればきっとまだ、間に合うわ」

「だ、だけど……アーニャさんは⁉︎」

「あぅぅぅ……」

「……私は大丈夫よ。このままジャーノンを渡すわけにはいかないもの。ちょっと腕には自信もあるし。それに、また……大事な相手を失うのはゴメンだわ」


 だから、お願い。早く、ザフィを呼んで。懇願にも近い私の言いつけをきちんと聞いて、彼女達が走り去るのを見送ると……いよいよ立ち上がって涙を拭う。

 そうよ、私は確かに愛する相手を殺していた。望んだわけでも、相手を憎んでいたわけでもない。それは、ただ……彼の因果を覚悟とを、一緒に背負った結果でしかなかった。今なら……ハッキリ分かる。「彼女が彼」であろうとするが故に……私は心から愛する相手を、この手で確かに殺していたんだ。

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