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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第13章】鮮やかな記憶と置き去りの記憶
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13−33 冷笑のフェイラン

「あら? こんなところで何をしているのよ、ジャーノン」

「アーニャ! まさか君に会えるなんて、思いもしなかったな……」


 メイヤとシルヴィアを連れた、買い出しの帰り道。グリーン・ストリートの商店街で、ネイビースーツの用心棒とバッタリ出会う。奇遇な邂逅の理由を聞いてみると、彼は郵便局で小包を出してきたのだと、少し困った様子で答えてくれた。


「郵便局に小包?」

「ナーシャに住む知り合いから、手紙が届いててね。その返事と……必要になりそうな荷物を詰めて、配達をお願いしてきたんだ」

「ナーシャ……確か、高山地帯の街でしたっけ?」

「あぁ、そうだよ。シルヴィアちゃん、よく知っているね」


 ジャーノンが何気なく呟いた荷物の送り先に、シルヴィアがすかさず反応する。現代の人間界の地理はさっぱりだが……どうも彼女の話からするに、ナーシャは山の上にある都市らしい。だとすると、ここよりも寒さが厳しい土地なのだろう。雪が降り出してからというもの、カーヴェラも十分寒くなったと思うのだが、これ以上に寒いとなると、魔界の永久凍土レベルの気温なのかも知れない。


(そう言えば、最近の魔界はどんな感じなのかしら? アスモデウス、きっと怒っているでしょうね……)


 あの女帝に、勝手に出て行った配下を迎え入れる優しさはないと考えた方がいい。真祖の中では下の方だとは言え……リリスと同じ炎属性である以上に、この上なく厄介な特殊能力持ち。しかも、魔力レベルは今の私では到底、足元にも及ばない。彼女は「アスモデウス」という唯一無二の悪魔であると同時に、有り体に言えば、リリスの上位互換だと言っても差し支えない存在でもあるのだ。だから……間違いなく怒っているであろうアスモデウスの元に、手土産なしで帰るのは危険すぎる。何がなんでも、追憶越えの試練を受けるというパフォーマンスの下地を整えなければならないだろう。


(そのためにも……やっぱり、記憶を思い出す事に専念しないと。このままじゃ、帰るに帰れないわ)


 幸せな記憶の確実な終焉を想像しては、諦めかけてもみたけれど。しかし、飛び出すように人間界に出張ってきた以上、今の私には魔界に帰るべき場所もない。リッテルを後ろ盾にしつつ、マモンを頼ることもできるのかも知れないが……そんな甘えを自分に許すのなら、あの屈辱に塗れた境遇に抵抗した意味がない。


「……って、あら? 2人ともどうしたの?」

「う?」


 メイヤの手を引きつつ、自分の境遇を考えていると。いつの間にか、孤児院に続く路地に少し入った所で……楽しそうにお喋りしながら前を歩いていたジャーノンとシルヴィアの足がピタリと止まっていた。何かを見つけて驚いているようだが……一体、何にそんなに驚いているのだろう?


「……アーニャ、少し下がってて」

「ジャーノン、どうしたのよ? 何があったの……?」


 私達を庇うように立ち塞がると、ジャーノンが少しだけ腰を低くして臨戦態勢を取り始める。彼の背中越しに見据えている相手を確認すると……そこには中年と思しき、どこか窶れた感じの女が立っていた。一体、彼女はどこの誰かしら……と私が考えていると、何故か怯えたように表情を固くしながら、シルヴィアが相手の名前をポツリと呟く。少しばかり不気味な人形を抱いている彼女は、ジャーノンだけではなく、シルヴィアの知り合いでもあるらしい。


「フェイラン将軍……。どうして、彼女がここに……?」

「フェイラン将軍……?」

「……はい。彼女はグランティアズの4傑と呼ばれる、戦士のうちの1人で……戦いに身を投じていても笑みを絶やさないことから、冷笑のフェイランと呼ばれていました。だけど何故、彼女がカーヴェラにいるのかしら……」


 それこそ、どうしてシルヴィアが畏れ多い王国将軍の詳細を知っているのか、分からないのだが。彼女の言を借りるに、フェイランと呼ばれた女騎士はあまり評判のいい剣士ではないようだ。振る舞いは掴みどころが無く、残虐で無慈悲。常に張り付いた笑顔の内で何を考えているのかが読み取れず、不気味極まりない相手らしい。


「……お久しぶりですね、シルヴィア王女。まぁまぁ……随分とお元気になられたこと。このフェイラン、とても嬉しゅうございますよ。こんな所でお会いできるなんて、思いもしませんでしたが。オズリック大臣があなた様を血眼でお探し遊ばしていましたから……このまま私と一緒に帰りましょう」


 冷笑ではないにしても、どこか空虚な笑顔でシルヴィアに帰ろうと促すフェイラン。だが……当のシルヴィアは明らかに嫌がっている様子で、顔面蒼白になりながら、フルフルと首を振っている。


「それと……もしかして、そちらはアルスかしら。……そう、生きていたのね。何だか懐かしいわ。よければ、あなたも一緒に来る?」


 しかし、大切な「王女様」の反応も意に介さず。フェイランが変わらない笑顔を張り付けたまま、ジャーノンにまで誘いをかけ始めた。……なんでしょうね。確かに、ここまでずっと同じ笑顔だと、不気味だわ。


「今更、よくもそんな事が言えたものだな。……その冷血さは相変わらず、か」

「あら? もしかして……あなたは怒っているの? 何がいけなかったのかしら? 私はあの時、あなたには付いて来てもいいとしっかり言ったわ。だけど……私の言うことを聞かずに、付いて来なかったのはあなたじゃない。それを置いていっただけなのに、何をそんなに怒っているの?」

「ふざけるなッ! あの時、お前はルトニアを見殺しにしようとしたんだぞ⁉︎ あの状態で……妹だけを置いていくなんて、できるかッ!」


 常々、必要以上に穏やかで紳士的だと思っていたジャーノンから初めて上がる、激しい怒号と咆哮。ジャーノンには妹がいて、確か……瘴気障害で亡くなったと聞かされてはいたが。それにしても、ジャーノンの怒りようは、普段の彼を知っている私の目にはあまりに異様に映る。妹思いな彼の怒りようから、フェイランとジャーノンにもかなり根深い因縁があるのだろう。と言うより……付いてくる、付いてこないの話をしている時点で、彼らはおそらく……。


「だって、仕方ないじゃない。女の子だった上に、瘴気障害で使い物にならなくなったのだもの。私はアルス、本当はお前だけいれば良かったの。何せあなたは戦士として、あの人よりも遥かに見込みがあったのだから。それなのに、どうしてルトニアを選んだりしたの? 母さんと一緒に来れば、今頃は立派な将軍なり、騎士団長なりになれていたでしょうに」

「そんなものになりたかった事なんて、1度もない! 第一、あんたには母親の自覚はないのか? ルトニアだって、自分の腹を痛めて産んだ子供だったろうに!」

「……よく分からないのよ、その自覚とやらが。母親になれば、自分の存在意義を見つけられると思っていたけど……結局、私は何も見つけられなかった。その自覚を持てれば、失敗作じゃなくて済むと思ったのに。……私には、そんな感情が一切湧いてこなかった。ですから……仕方ないでしょう? なかったものは、なかったのだから」


 何が仕方ないというのだろう? それは感情が湧いてこなかった事に対する、責任放棄の言い分か? それとも、彼らを置いていった事に対する、育児放棄の言い訳か? 何れにしても、ジャーノン兄妹の母親だったらしいフェイランの言葉が……私には何1つ、理解できなかった。

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