13−32 2ページ分の空白(+番外編「悪魔とラブソング」)
「はい、ルシエル様。どうぞ」
「あぁ、ありがとう。ところで……コーヒー、足りてる? 必要だったら、遠慮なく言ってね」
えぇ、今のところ大丈夫そうです……と答えながら何かを思い出したのか、嬉しそうにクスクスと笑うリッテル。彼女によると、あの真祖の旦那様はコーヒーがお好きなだけではなく、コーヒーミルで豆を「ゴリゴリ」するのを殊の外、楽しみにしているらしい。毎朝ミルを回しながら、気まぐれに歌を口ずさんでいるというのだから……なんとも可愛げがあるというか。
「フフフ。しかも主人は結構、歌も上手なんですよ。何の歌なのかは分かりませんけど……歌詞からするに、ちょっとしたラブソングっぽいですね」
「……マモンにラブソングって、全然似合っていない気がする……」
手渡されたコーヒーを啜りつつ、呟いてみれば。私の何気ない反応に、そうですね……と、リッテルが更に嬉しそうに口元に手を充てて、笑いを噛み締めている。ラブソング……か。それこそ何の曲かは知らないが、ハーヴェンもご機嫌がいいと、よく鼻歌を鳴らしていたっけ。
「……さて、と。マモンの歌の正体も気になるけど、それ以上に……」
「名簿の突き合わせ、でしたよね」
「うん。もし、最新版の名簿とマモンが持っていた名簿に差異があれば、その部分に重要な手がかりがあると思う。誰が、この世界からいなくなってしまったのか。それが分かれば……彼女達を抹消した奴を探し出すヒントになるかも知れない」
2人で頷き合いながら、緊張感一杯で並べた2冊の名簿を1ページ、1ページ……確かめるように、捲っていく。そうして……やはり、最新版の方に2ページ分の空白が存在することに気付いては、背筋が凍りつくのを感じた。
かつて確かに存在したらしい彼女達の名前は、「リーエル」と「ヨフィエル」。2人とも救済部門の中級天使だったようだが……。薄情なまでに、元は救済部門の天使でもあった私の記憶には、彼女達の面影は微塵も残っていなかった。
「……魔界にあったせいなのか、それともマモンの固有空間にあったせいなのか。まさか、こんなにもハッキリとデータが残っているなんて……思いもしなかったな」
「そうですね……。それにしても、この2人はどうして……この世界からいなくならなければならなかったのでしょう……」
2人でしみじみ話し込んでいると、私達の感傷を吹き飛ばすように突然、「チュドーン‼︎(効果音としてはありきたりではあるが)」と妙に派手な衝撃音が聞こえてくる。何ものかが、衝突音と一緒に不時着したようだが……?
「今の音、なんだろう? 物凄く勢いがあった気がするけど……?」
「気にされなくても大丈夫ですよ、ルシエル様。また主人が大暴れでもしているのでしょう」
「大暴れ……?」
悲しそうな顔から、安心したような苦笑いを浮かべたリッテルが解説してくれるところによると。マモンはたまにアドバイスを与えるだけではなく、集まってきた悪魔相手にご本人様自らが模擬試合をするらしい。しかし模擬とは名ばかりで、その鍛錬はかなり激しく……よく相手役の悪魔が盛大に吹き飛ばされるのだそうだ。
(上級悪魔までは怪我は治るって、聞いていたけど……勢い余って、死者とか出たりしないんだろうか?)
目の前の手がかりの重さ以上に、お弟子さん達の怪我を心配している私を他所に、そんな騒動も慣れたものと、リッテルが澄ました顔でコーヒーを口に含んでいる。オオゴトになった場合は、回復魔法を施してやればいいと考えているのだろうけど……あまりのリッテルの落ち着き具合に、却って落ち着かないのは、心配しすぎだろうか。
「とにかく……必要な情報は確認できたし、私は一旦神界に帰るよ。リッテルはどうする?」
「私はこのままこちらに残ります。先程の騒ぎですと、私の出番があるでしょうから。それに……」
「それに?」
「主人もお稽古の後、皆さんとお風呂に入るのが楽しいみたいなのです。ですから、手加減はしていると思いますし……ここはうるさく言わずに、お声が掛かるのを待つに限ります。それでなくても、主人は自分のペースを崩されるのが嫌いですので。過干渉は夫婦喧嘩の元です」
妙に含蓄のあるお言葉を紡ぎながら、いよいよ花のような笑顔を綻ばせるリッテル。彼女の異様なまでの落ち着き具合はやはり、お役目の自覚から捻出されているものらしい。奥様としての気品をしっかりと搭載している彼女が殊の外、羨ましいが……今更、私が奥ゆかしさを習得したところで、ハーヴェンは気味が悪いと怯えるに違いない。
そこまで考えて、なんて失礼な奴なんだと1人で腹を立ててみても……それが自分勝手な独断であることくらい、痛い程に分かっている。生来から意地っ張りな私には、リッテルのように旦那様を立てるなんて挙動はもう無理だ。つくづく情けないと、自嘲してしまうが……私の気質についてはきっと、ハーヴェンもよく分かってくれていると思う。これはこれで私達の「夫婦」としての在り方なのだし、あの旦那であれば、笑って許してくれるだろう。
(これ以上は邪魔しても、悪いかな……)
そうしてリッテルにマモン側の名簿を返却して、そそくさとマナゲートを発動させる。本来であれば、私もこのまま残って回復要員になるべきなのだが……名簿の確認内容を神界側に持ち帰る方も重要だし、必要以上に彼らを怯えさせる必要もない。しかし、私とて、こちらでそんなに大暴れしたつもりはないのだけど。いつになったら、「凶暴・凶悪」の汚名返上ができるのだろうか。
【番外編「悪魔とラブソング」】
ひとっ風呂浴びた後のコーヒーは、淹れたてに限るな。そうして、すっかりお馴染みになった「ゴリゴリ」を実行していると。俺の背中に、これまた馴染み深い感触が乗っかってくる。
「……リッテル、どうした?」
「ねぇ、あなた。今の歌……何の歌なの?」
「えっ……」
何の歌……って聞かれても、もの凄く困るんですけど。純粋に俺自身がご機嫌なだけで、歌うことに意図も意味もないし。何より……。
(言えない……。これが所謂、口説き文句の早覚え歌だなんて……言えないんですけど!)
ルシファーがちょっとした黒歴史を拵えた時期の魔界は、変な方向に「ラブラブ期」だったらしく……「直談判(強硬手段とも言う)」よりも、「愛を囁く」的な小っ恥ずかしいお遊びが流行っていた。
で、当時落ちぶれに落ちぶれていた俺も一夜限りのお相手をゲットするために、仕方なしに流行に乗っていただけなんです。リズムと語呂が良くて、未だに口ずさんじゃう程に歌詞が染み付いているだけなんです。
「あなた?」
「えっと……(どうしよう。正直に言ったら、怒られるかな……)」
「……それが何の歌なのか、教えてくれる?」
「別に何の歌ってわけじゃないけど。一応、君のために歌っています……」
「まぁ! ウフフ。あなたったら、意外とロマンチストさんなんですから」
ハイ。一旦、そういうことにしておきましょう。きっとこんな冗談を言ったらば、また向こうで変な噂を流されるのかも知れませんが。俺としては、嫁さんに嫌われなければ、御の字です。
本当に……本当にありがとうございました……。




