13−26 喪失感の正体
ハーヴェン経由でマモンから教えてもらった紋章魔法の概要を報告書にまとめていると。奥様の方が私の部屋にやって来た。どうやらリッテルにも、相当の報告内容があるらしい。ほんの少し、緊張した面持ちで私の都合にお伺いを立ててくる。
「ルシエル様、少し報告と確認があるのですが……お時間、頂いてもよろしいでしょうか?」
「もちろん。どうしたの? 何かあったのかな?」
「はい。実は……」
入り口で人だかりを作っている天使達に遠慮を示しながらも、私が勧めたソファに腰を下ろすリッテル。そうしてまずは報告から……と、例の妖刀について話し始める。
「主人が十六夜ちゃんに、刈穂ちゃんのことを聞いてくれまして。それで、お話を要約する限り、多分なのですが……刈穂ちゃんは少し、問題のある子だったみたいなんです」
「問題のある子……?」
おずおずとリッテルが説明してくれるところによると。陸奥刈穂は実際にはかなり血を好み、攻撃的な性質の武器だったそうだ。そしておそらく、本来は持ち主に力を与える役目を持つだったはずの存在が、ふとした時に「奪う側」になった事で性質が変化しているのだろう……との事だが。それ以上に厄介なのは……。
「なるほど、陸奥刈穂は悪魔を敵対視しているんだな。それで、ハーヴェンにも食ってかかっていたのか……」
「えぇ。刈穂ちゃんはどうも、ヨルムンガルド様を主人と認めていなかったみたいです。彼は自分の主人はクシヒメ様のみと定めていたため、お願いを叶えなかったヨルムンガルド様に失望したのだろうという事でした。ですから……魔界そのもの、延いては悪魔を嫌っているのではないかと」
あぁ、それはそうだろうな。十六夜丸の「昔話」を聞いた後だから、言えることなのだろうが。ヨルムンガルドは結局、浮気性を改めた気配はない。1度に8人もの相手に、暴挙をしでかしている前例もあるし……彼の所業はクシヒメ様からしたら、ただの裏切り行為でアッサリ片付けられるものでもないだろう。
(って、8人? ……あれ? ヨルムンガルドがあの時、相手にしたのって……)
8人だったっけ? 何だか、その人数に妙な違和感がある気がする。8人でも相当な数だろうが、何だろう。もうちょこっとインパクトのあった数字だった気がするが。もしかして……。
「ルシエル様、どうしましたか?」
「う、うん……気になることに思い当たってね。ほら、少し前にヨルムンガルド様が天使に手を出した……って、騒ぎになった事があったでしょう? その時のお相手って、何人だったかな……って」
「確か8人……あら? でも、8人じゃなかった気がしますけど……」
やっぱり。リッテルも私と同じ違和感を感じているらしい。指折り数えてみたところで、かの冥王の毒牙にかかったのは8人なのだろうが、私の記憶もリッテルの記憶も片隅で人数が違うと、確かに主張してきている。もしかして……あの魔法の餌食になった天使は、ヨルムンガルドの餌食にもなったのだろうか?
「あっ! でしたら、ルシエル様。それこそ、主人に聞けば分かるかもしれません」
「……どうして、そこでマモンが出てくるの? いくら物知りな彼でも、そんなに都合よく……」
「いえ、主人にではなく、彼が持っている天使名簿を確認したらいかがでしょう? 主人もあまり目を通していないみたいですけど、少なくとも……情報に関しては、手付かずなのではないかと」
「そ、そうか! マモンに渡した名簿は当時のまま、更新もされていないはず。だとすれば、こちらの現在の名簿と付き合わせれば……」
この喪失感の正体が分かるかもしれない。誰の記憶がこの世界から抹消されてしまったのか。それが分かれば、「名もなき彼女」の最後の足取りを辿れる可能性も出てくる。
「そう言えば、ルシエル様。それとは別に確認したいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「もちろん、いいけど……何かな?」
「はい。主人が刈穂ちゃんの持ち主は、“向こう側の堕天使”だと申していましたが……。その堕天使って、まさか……」
「……」
リッテルも薄々、その堕天使が誰なのかを知っているんだろうな。そして直接的ではないとは言え、彼女が自分を嫌っていたこともなんとなく察している。だからこうして、彼女は不安というよりも悲しそうな顔をしているのだろう。
「……今の陸奥刈穂の持ち主はティデルらしい。そして、彼女は向こう側の思想にしっかりと染まりきっていて……自分には特別な権利があるのだと、主張していた。とても無責任なことを言うようだけど……彼女の軌道修正はほぼ、不可能に近いだろう」
「そうだったんですね……。刈穂ちゃんの持ち主がまさか、ティデルだなんて。彼女が堕天したのは、やっぱり私のせい、ですよね……」
「いいや? それは間違いなく、リッテルだけのせいではないよ。……私だって彼女の気持ちをあまり考えずに、適当にあしらってしまったこともあったし……」
彼女の堕天はどちらかと言うと、神界そのものの在り方にまつわる蟠りの結果なのだと思う。
今までの神界は、翼の数で否応なく決められた序列で雁字搦めになっていた。ティデルはきっと、序列の中で悔しい思いをしたり、理不尽な目に遭ってきたのだろう。
「神界の無意味な序列のせいで、ティデルは悔しさや理不尽をたくさん感じていたのだろうね。その鬱積が一線を超えた結果が、翼を黒くしてしまった原因なのだろうと、私は思うよ」
さも偉そうに、言ってみるものの。結局、私も翼の数に物を言わせてリッテルを納得させた挙句に、自分自身をも鼓舞しようとしているのがつくづく、情けない。彼女のせいではないと言いつつ、自分のせいでもないという主張を織り交ぜながら、希望的観測を嘯いているこの身の、なんと醜いことか。
「だとしても、ティデルは大丈夫かしら……」
「大丈夫……って、何が?」
「十六夜ちゃんも申していたのですが、今の刈穂ちゃんは“味を占めている”状態なので、持ち主を取り殺す可能性もあるのではないか……との事でした。ですので、早めにティデルから刈穂ちゃんを引き離した方がいいと思うのですけど……」
そうか。リッテルはティデルの身を案じて、先ほどから悲しそうな顔をしているのか。彼女の堕天が自分のせいかも知れないという不安以上に、彼女が取り殺されてしまう状況を憂慮しているのだろう。その心持ちの鮮やかな差に、私は俄かに自身に失望しているのにも気付く。大天使になったという慢心か、或いは、自身の高慢さか。何れにしても……私の思考回路は保身が第一になっている時点で、あまりに情けない。
「……リッテル。この後、マモンのところにお邪魔することは可能だろうか?」
「えぇ、大丈夫だと思います。午後は商材の確保と、お弟子さん達のお相手をすると言っていましたから。家にいるのではないかと」
「そう。それじゃぁ……この後、お邪魔するとして……。それにしても、商材? それって……?」
「フフフ。主人は何だかんだで、真面目ですから。少し前にギノ君とオトメキンモクセイの種を探してくる約束をしていたみたいで、種をお持ちの商人さんと取引をするつもりなのです。それで、武器商人らしく商材を用意しようと、色々と悩んでいるみたいでした」
そこまで答えてくれると、今度は本当に嬉しそうにコロコロと笑うリッテル。鮮やかなピンク色のワンピースも手伝って、ただ微笑むだけでもパッとその場が華やぐのだから、本当に羨ましい。グズグズと気持ちを切り替えられない私とは、存在感も含めて大違いだ。
(それでも、落ち込むだけでは絶対に終わらせない。落ち込むのは、全てをやり切ってからにしよう)
ティデルの堕天は神界の責任であり、その一員でもある私にも責任がある。特に大天使階級ともなれば、罪過から逃げ出すことは決して許されない。「我々の役目は世界に住うもの全てを守護し、導く事」。私自身がそうティデルに言い放ったのだから、最後まで信念を貫かなければ。
それは、薄っぺらい綺麗事かも知れない。それは、理想という名の虚妄かも知れない。それでも……手を差し伸べる対象から彼女を外すのは、絶対にしてはいけない。その仲間外れは間違いなく、ただの私怨を伴う自分勝手な不公平でしかない。手を差し伸べる相手を選り好みしているようでは、それこそ調和の大天使の名が廃る。




