13−21 孔雀の朝鳴き(2)
キン、キン……と甲高い金属音が鳴り響く、訓練場。ピリリとした空気の中で、剣を交わすのは……先日14歳の誕生日を迎えたばかりの第6王子・アーベントと、成人を次月に控えた第2王子・ロッサム。
第1王子が病弱だということもあり、最も王座に近いと噂される第2王子は自身もその母も、王の権威は既に自分達のものだと勝手に思い込んでいた。しかし、ラーズ王の思惑は全くもって違うところにあったらしい。王子達に公平に王位継承の機会を与える事にしたと、あろう事か、末弟のアーベントを含む王子達に王座獲得の総当たり戦……もとい、「ポイント稼ぎ」を命じたのだった。
そんな「ありがた迷惑」な王の思惑に巻き込まれる形で連日、アーベントは剣の相手に、知恵比べにと大忙し。おそらく、どの王子も最も幼いアーベント相手であれば、容易く武力でも知力でも降せると考えていたのだろう。王座レースの首位を守ろうとする第2王子と、首位に躍り出ようとする他の王子達と。総当たり戦と銘打てば、真っ当に聞こえるが。他の全員がこぞってアーベントを相手に選ぶ時点で、これは一方的な弱い者いじめに近い。しかし……。
「勝者、アーベント様! いやぁ、お見事です、王子!」
「……ありがとう」
いくら先端を丸めてある訓練用のサーベルと言えど、打撃でもかなりの威力になるらしい。訓練場で膝を折るロッサムは目つきこそ尽きない野望で鋭いままだが、体は付いてきておらず……全身打撲の激しい痛みで、立つこともままならない。更に、勝てると思っていたはずの相手に返り討ちにされたとあれば、プライドも一緒に打ち据えられたに等しく。悔しさにギリギリと歯を鳴らしながら、顔を歪めている姿は無様以外の何物でもなかった。
「……ルークス。悪いんだけど、すぐにお茶を用意してくれる? 魔法講義の前に少し、休憩したいのだけど」
「えぇ、かしこまりました。そのご様子ですと……回復魔法ではなく、疲労回復が必要みたいですね? でしたらば、紅茶ではなく花茶に致しましょう。この間、バンリから質の良い工芸茶が入って参りましたので……そちらをご用意いたします」
「あぁ、いいね。お願いできる? それにしても……全く、連日ご指名をいただく方の身にもなって欲しいよ。おかげで、まともにお茶の時間も取れないじゃないか」
一方で、いよいよ涙を流し始めたロッサムとの余興さえ下らないと……余裕と一緒に吐き捨てるアーベント。一方で彼からサーベルを預かりつつ、彼の代わりに深々と一礼をするルークスだったが、アーベントを褒め称える兵士達に混じって、明らかな「偵察」が混ざっているのにも、すぐに気づく。
連日連勝のアーベントの動向を気にしているのは何も、王子達や王妃達だけではない。彼らの「取り巻き」とて同じこと。自分の未来の立場を考えながら、「誰に付くか」を慎重に考えているのだろう。そんな見え透いた思惑に、別の意味での交渉も増えそうだと……ルークスはため息をつく。それにしても……。
(……王子、あなたは何を望んでいるのですか? あんなにも争いは嫌いだと、おっしゃっていたのに。やはり、あなたも……)
王座が欲しいのですか?
最初は王座など興味はないと、苦々しく言っていたのに。しかし、アーベントは今や、積極的にゲームに身を投じつつあった。自分から吹っかけることは無いものの、王座に興味がないのなら、断ればいいはずなのに。しかし彼は言葉とは裏腹に、他の王子達の挑発に漏れなく応じては、この数日でかなりの勝ち星を重ね続けている。不意に出来上がった一人勝ちとも言える状況が、アーベントを狂気に駆り立てているようにも見えて。ルークスには、彼の危うさが不安に映る。
恐らく、ここまで大々的な「力比べ」の場を与えられなかったせいもあるのだろう。最も幼く、最も弱いと思われていた、14歳の第6王子。しかし、アーベントがどの王子よりも優れている事を遺憾無く示し始めた事で、彼自身も自分こそが王座にふさわしいと、手に遍く滾る権力の上澄に酔うのも……一種の摂理なのかも知れない。
そんな彼の変化を機敏に感じ取りながらも、日々の業務は弛まずこなさなければと、廊下をいそいそと移動するルークス。アーベントが魔法講義を大人しく受けている時間帯はルークスにとって、休憩時間であると同時に、細々とした用事を済ませるのに丁度いい時間でもある。王子の身の回りの大まかな掃除や洗濯は、他の使用人が済ませてはいるものの……ルークスは完璧主義者だ。自身の部屋以上に王子の部屋の「チェック」を入念にこなしながら、今日もちょっとした「悪戯」の痕跡を見つけて、意地悪く1人で肩を竦めてしまう。全く……商売敵達はこんな「古典的な手法」から、ルークスがアーベントを守れないとでも思っているのだろうか?
(なんて稚拙で滑稽なのでしょう。この程度では私はもとより、アーベント様を驚かすにも至らないでしょうに)
誰かさんがアーベントの枕に幽閉したらしい大きなネズミを摘み出しては、汚れきった前歯がカタカタと鳴り響く不愉快な音を止めようと、事もなげにファイアボールを発動するルークス。そうして「悪戯のタネ」を無慈悲に燃やし尽し、遺灰さえも穢らわしいと……窓を開け放って散骨してみるが。アーベントの目に付く前に未然に防げても、悪戯があった現実が彼の立場が脆い事を示しているのは変わらない。
悪戯の手が緩んだ事は今まで、1度もなかった。アーベントが頭角を顕し始めた今だって、一向に止まる気配もない。むしろ、日頃の連敗続きの憂さを晴らすかのように……悪戯の内容はどんどん憎たらしい程に、可愛げを増していった。
「流石、王宮内随一とまで言われる執事さんですね。無駄のない振る舞いに、洗練された後処理。どれをとっても見事ですわ」
「おや? どなたかと思えば、ヴェルナータ様ではありませんか。こんな所でいかが致しましたか? 一応、申し上げておきますが、ここはアーベント様のお部屋ですよ。お迷いでしたら、あなた様のお部屋にご案内いたしましょうか?」
甲高い声で見事だと褒められても依然、皮肉まじりの態度を崩さないルークス。そんな恐れ知らずの切り返しに、ますます気に入ったと、ヴェルナータが高笑いをし始めた。
「アハ……! 本当に、連れない執事さんです事。私を前にしても、そんなに余裕でいられるなんて……少し、悔しいですわね」
彼女の言う「悔しい」の中身を深追いする必要はないだろう。
目の前のヴェルナータは第2王子・ロッサムの姉であり、第1王女でもある美少女。しかし美しいのは外見だけで、智謀の悪辣さは政治家さえも舌を巻く。見た目も中身も存在感のある彼女を前にして、平静を保てる者は王宮内でもあまりない。
自分に恐れをなさない者がいるなんて。
自分に魅了されない者がいるなんて。
地位に付随する「裏事情」を自身も熟知しているからこそ……彼女は悔しいと、正直に言ってみせたのだろう。
「まぁ、いいわ。実はルークス。あなたにお話があるの。よければ、私にもお茶を淹れてくださいません事? そちらの席でゆっくりと相談に乗っていただきたいのですけど」
「申し訳ございません。後、30分ほどでアーベント様がお戻りになります。折角のご用命ではありますが、私はアーベント様の専属執事でございますので。いくらヴェルナータ様のお申し出でも、お受けする訳には参りません」
「あら、そうなの? でしたら……ねぇ。今すぐ、私の専属執事に鞍替えするつもりはない? 聞けば、あなたはカンバラの騎士の出なんですって? 私もあなたみたいに頼りがいのある、素敵な執事が欲しいと思ってたの。もちろん……」
「それ以上は結構ですよ、ヴェルナータ様。私の主人は後にも先にもアーベント様ただ1人です。そのご要望はお茶のお誘い以上に、お受けできない内容ですね」
王女の先の言葉を聞く必要もないと、ルークスが鋭く言葉を遮る。柔らかな微笑に似つかわしくない、明らかな拒絶に……流石の王女もしばらくは開いた口が塞がらない。自分の申し出を撥ねつけてくる者がいるなんて。何もかもを平伏させてきた彼女にしてみれば、想定外が過ぎる。
「ちょ、ちょっと! いきなり、それはないでしょう⁉︎ お父様にもきちんと承認は取りますし、それに、あなたの生家にも褒賞は差し上げましてよ?」
「あぁ。そんな事をされましたら、私は生家の門を2度と潜れなくなります。当家の教えでは、自分が仕えるべき君主は生涯1人。その君主から離れなければならない事情があるとすれば……それは、死別以外にはあり得ません。私自身が若輩者なのは、もちろん自覚もしていますよ。しかし、この身に刻まれた主人への敬愛は過ごした年月の積み重ねで示し切れる程、軽薄でもありません。差し出がましい物言いで恐縮ですが……奢りに塗れた尺度で、この忠誠を判断しないでいただけますか? ……私のプライドを甘く見ないでいただきたい」
「……!」
柔和な微笑からはかけ離れた、険しく鋭い眼差し。彼の気迫は執事のものではなく……まさに老練な猛者のそれでしかない。あまり歳も変わらないはずの青年執事の迫力に圧されて、「覚えてらっしゃい」……と、ありきたりな捨て台詞しか紡げない王女の背中をやれやれと見送る、ルークス。意図せず、王宮の「権力者」をやり込めてしまったが。この程度であれば、周囲はともかく……アーベントは許してくれるだろうし、寧ろ「よくやった」とさえ、言い切るかも知れない。




