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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第13章】鮮やかな記憶と置き去りの記憶
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13−10 こんな所にいたんだね

(あぁ、あったあった。この記録は使えそう……おやおや? もしかして、マモン⁇)


 ノクエル側の魂が何気なく引き継いでいた、輪廻のおこぼれの記憶。擦り切れたフィルムのように穴だらけの記憶の中で、先ほどノクエルがもがいたのと同じように……砂の上を這っているらしい低い視線が、黒い仮面の相手を見つめていた。相手はこちらを蔑むように口元を歪ませて、彼女の頭を面白半分に踏みつけているらしい。否応なく視界がガクンガクンと上下に揺れては、その度に映像が乱れる。


「……これが本当の強者の傲慢ってヤツなんだよ。それはともかく……ふ〜、これでようやく帰れるなー。うん、ま。今回は結構、いい暇つぶしになったか?」

「ま、待て!」


 この映像は……あぁ、ヴァンダート崩落時のものか。そんな事を考えているベルゼブブを他所に、次の瞬間に画面が真っ赤に染まる。突然のショッキングな赤の浸食に何事かと思っていると、画面の中央でマモンがさも嬉しそうに乳白色のバングルを指でクルクルと弄びながら、悍しい笑顔を浮かべていた。その表情に……同じ真祖とは言え、ベルゼブブは背筋も凍るような錯覚に見舞われる。

 マモンがこの顔をしている時は、非常に危険な状態だ。おそらくこの記憶の持ち主であるノクエル、延いては、前世のウリエルは彼の尾を踏む真似をしでかしたのだろう。それが何なのかは、この映像からは分からないが。おそらく、彼の美意識に反する事をしたのだと推測はできる。

 この時期のマモンは所謂、最盛期……他の真祖が束になっても歯が立たないとまで、言われていた時期だった。それでも、魔界中の全てを奪わなかったのは、自身の「仕組み」に遠慮せざるをなかった部分もあるが……彼が悪魔に似合わず、非常に高邁だったからに過ぎない。


(ウリエルちゃんは何か、意地汚ったない事をやっちゃったのかもねぇ……。そんで……あぁ、そういう事……)


 マモンがさも汚らわしいとオラシオンを放り投げながら、魔界に去った後。視界がぼんやりと滲んでいくのを見るに……ウリエルは泣いている様子。視界の先で情けなく転がっている左手を見つめるばかりで、天使であれば大抵は行使可能なはずの再生魔法を使う様子もなかった。その不自然さに、1つの事実を悟るベルゼブブ。きっと、彼女は再生魔法を使いたくても使えない状態……器の機能が強制停止させられているのだ。


(マモンの奴、エターナルサイレントを使っちゃったの。あぁ、あぁ……何をして、そこまで彼を怒らせたんだろね、ウリエルちゃんは)


 いつかにお邪魔した時に、彼がお嫁さんにヴァンダートの話をしていたのは、知ってはいるものの。ベルゼブブが盗み聞きできたのは、まさに映像にあった通りにマモンがウリエルからバングルを奪った……という所からだ。こんな事だったら、もう少し早めに覗き見に行けば良かったか。


(って! 今は残念がっている場合じゃなくて)


 常々、脱線しがちな思考を自分で制御しながら、ウリエルの状況について考えてみる。

 マモンはお仕置きのつもりでウリエルにエターナルサイレントを発動した挙句に、わざわざ生かしたのだろう。エターナルサイレントの構築と合成には風属性魔法・サイレントカノンが含まれるため、地属性のベルゼブブには行使不可能な魔法ではあるが……それを使われた場合の制裁が如何程の効果を発揮するかは、よく分かっているつもりだ。


 エターナルサイレントは術者が死ぬまで効果が消失する事もない、永久継続構築込みの異種多段構築魔法。そのため、魔法効果を解除するには術者が天寿を全うするのを待つか、亡き者にするしかないのだが……この場合は、そのどちらも採択できない。

 悪魔の寿命は基本的に存在しないため、術者の寿命を待つのはどこまでも非現実的。更に、悪いことに……この場合の術者は悪魔である以上に最強の真祖でもあるため、それを倒すのは、悪魔の寿命が尽きる事を待つ以上に困難だと言わざるを得ない。


(……おや? これは誰だろな?)


 情けなく蹲って泣くばかりと思っていたウリエルの視界に、今度は誰かの足が2人分映り込む。そうして……片方の足元に俄かに戦慄すると同時に、違和感の正体に思い至るベルゼブブ。この緑の鱗はまさか……。


「……へぇ。こんな所に野良の大天使が転がっているなんて。しかも……ヴァンダート、滅ぼされちゃいましたか。結構、思い入れのある場所だったんですけどね。なんだか、残念ですねぇ……」

「……ハイン……」

「あぁ、君はお腹が空いているのでしょ? でしたら……ほら、ここに餌がありますよ。まずはこれ、いただいたらどうです?」


 ウリエルの存在を認めはしつつも、助けるつもりはないのか……彼女を半ば無視しながら、ハインと呼ばれた男が転がっている左手をもう片方に差し出す。そうして、差し出された左手を嬉しそうに平らげると……ゲフンと、どこかで聞いたことがあるゲップを漏らしながら、満足そうに腹を摩る手が見えた。その腹は真っ黒く、存在も不安定らしい。手だけはしっかりと見覚えのある色をしているが、それ以外の姿は……虚ろで真っ黒な怪物でしかない。


(ウリエルちゃんの視界がぼやけていて、ちっとも見えないけど……だけど、僕には君が誰なのかが分かるよ。そう。君は……)


 こんな所にいたんだね。

 ウリエルの左手を嬉しそうに取り込んだ後、いつかの様に被害者とそっくりの姿に変身して見せる、ベルゼブブの約束の相手。自分の名前さえも忘れてしまった……虚飾の姫君。そんな彼女が、映像の向こうでウリエルと思われる顔で微笑む。そして驚いたことに、彼女はいとも容易く再生魔法を発動し始めた。


「深き命脈の滾りを呼べ、失いしものを今1度、与えん。リフィルリカバー……」

「リフィルリカバー、だと……?」


 突然の温情に戸惑いを隠せないウリエルの声が、虚しく響く。一方で、その声色に僅かに顔をしかめると……彼女がどこかウリエルを慰める様に静かに呟いた。


「……手はとっても大事。……私も、この手だけは失くしたくない。だから、あなたの手も戻してみた」

「そ、そうか……。ところで、お前達は……一体?」


 器は取り戻せないけれど、左手は取り戻せたことに安心したのだろう。どこか、高揚した声でウリエルが目の前の相手に正体を尋ねる。そうされて……饒舌なハインと呼ばれた男が嬉しそうに答えた。


「あぁ、申し遅れましたね。僕はハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ。ついこの間まではここ、ヴァンダートで暮らしていたんですけど。で、この子のことは……フェイルランと呼んでいます」

「フェイルラン?」

「えぇ、そうです。フェイルラン、不合格の駆動。この子は自分の存在さえも、うまく維持できない出来損ないでして。でも……相手の体を取り込むことで、形を保つことができるのです。そしてそんな事を繰り返していたら、いつの間にか、相手の能力をある程度引き継げるようになったみたいですね」


 ……フフフ、面白いでしょ? 隣の相方を嘲るように笑い、ハインリヒは上機嫌も上機嫌。高揚した気分も好調と、止まらないお喋りを続けている。


「あ、そのお顔は……僕達に興味津々な感じでしょうか? でしたら、僕達と一緒に、世界と神様を作り直しません? 手始めにあなたにも、色々と抜け道の方法を伝授しましょうか?」


 まぁ、それなりのリスクもありますけれども。

 ハインリヒがそう呟きつつ、さも嬉しそうに腹を抱えて笑う一方で……悲しそうな表情を見せるフェイルラン。

 ……どうやら、共鳴魂のおこぼれの記憶はここまでしか残っていないらしい。最後に悲哀の顔を映し出した後に、真っ黒になった画面を茫然と見つめるベルゼブブ。呆気に取られたまま暫くした後に、彼女の表情の意味を誰よりも理解すると……ハインリヒと名乗った相手に、彼にしては珍しい怒りの感情を滾らせる。

 彼女は決して、望んでそんな状態で生まれたわけではない。彼女はただ、自分自身さえを忘れない様に必死だっただけだ。それなのに。それなのに……!


(何が不合格、なんだろうね……? 何が出来損ない、なんだろうね……⁉︎)


 かつて自分もそう言われて悲しい思いをしたベルゼブブには、言われる側の気持ちも痛い程、理解できる。きっと、彼女は自分の名前さえも忘れてしまったまま。一方的に蔑まれて、悲しい思いをしていたのだろう。さっきの記録はヴァンダート崩落時、約1300年前のもの。その時点からこんな風に呼ばれて、もし……彼女が今も自分の存在を偽って生きているのなら。そうだ、だったら今度こそ……絶対に君を探し出してみせるよ。

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