13−2 あまりに平和すぎる平穏
どうして、こんな事になったのだろう。あれ程までに楽しみにしていた、ハーヴェンが持たせてくれたザッハトルテが……何故か、きっちり6分の1になっている。それもこれも、何かにつけ、目敏い化石女神のせいだ。
(それよりも……私の馬鹿! 独り占めできるまで、引っ込めておけばよかった……!)
何を血迷って、あんなにも目立つ机の上(悪魔人形の隣)に何気なく置いてしまったのだろう。これでは、見つけてくれと言っているようなものではないか。
「おぉ! 流石、ハーヴェンのケーキ。絶品じゃのう! あぁ……妾は、すっかりこの味わいの虜になってしまいそうじゃ……!」
「左様ですか。……しかし、お代わりはありませんからね。今後は一切、お裾分けはございません! ハーヴェンのお菓子は私だけのものです!」
「ルシエルは相変わらず、ケチじゃな。大主様が認めたとは言え、その狭量はどうにかならんのか?」
マナの化身……元を辿れば、マナツリーの遣い。延いては神の代行者とも言うべき幼女の暴言に、彼女には永久永劫に引っ込んでいただいた方がいいのではないかと考える。そんな風に不満を沸々と滾らせ、いよいよお仕置きをしようかと意気込む私よりも先に……見るに見かねて、ルシフェル様がマナの脳天にゲンコツを落とし始めた。自身もしっかりザッハトルテを頂きつつも、彼女としてもマナの横暴に思うところがあった様子。
「いい加減にせんか、この化石女神が! 調子に乗るでない!」
「はぬッ⁉︎ い、痛い……! ル、ルシフェルの乱暴者! 妾を誰だと思っておる! 我こそは、畏れ多い……」
「それ以上の講釈はいらん! 毎度毎度、ワガママ放題、言いおって! 我らの足を引っ張るつもりなら、サッサと霊樹に引っ込まんか! 聞き分けのない子供女神はお呼びでないわ!」
「うぐ……! ルシフェルの……意地悪! 馬鹿! そんでもって、大年増ッ!」
相変わらず、稚拙な悪口を一方的に毒づいて、泣きながら走り去るマナの女神。そんな彼女が退出したところで……やれやれとルシフェル様が首を振る。ようやく本題に入れるとばかりに、呆気にとられて大人しかった他の3人にも水を向け始めた。
「集まってもらったのに、すまんな。今日来てもらったのは、情報共有もあるが……色々と手がかりを整理する目的がある。まずは……ルシエル。魔獣界で見聞きした事について、話してくれるか」
「かしこまりました。先日、意図せず魔獣界へ足を踏み入れる事になりましたが……。その際に、あちら側に与していると思われる……堕天使・ティデルと遭遇致しました」
「そう。ティデルは向こう側にいるのね……」
「えぇ。翼を真っ黒にし、あの方と新しく正しい世界を作るのだと、世迷言を申していました」
一方的に彼女の理想を「世迷言」と切り捨てる自分に辟易しながらも、事と次第を淡々と報告する。結果的には魔獣界を一応の形で「救う」に至ったが、油断は許されない状況だろう。
「して……ティデルの手に、かの妖刀があると言う事だったが」
「えぇ。ハーヴェンに対してやや敵意を見せていたのを考えても、彼も向こう側の協力者に成り果てていると見て、間違いないかと」
各員、私が提出した報告書にも目を通していたのだろう。私の話が途切れたところで、ルシフェル様がオーディエル様に彼女の調査結果について話を促す。そうされて、今度は鎮痛な面持ちを浮かべたオーディエル様が、自分が見てきた事を粛々と述べ始めた。
「異常な魔力検知があった場所に出向いたが。そこには、ミシェルの前情報とはあまりにかけ離れた、平和な景色が広がっていた」
「えぇ⁉︎ そんなハズ、ないじゃない。あれだけの魔力反応があって……平和だったとか、あり得ないでしょ⁉︎」
「無論、私もそんな状況はあり得ないと思っていた。しかしな、実際に目の前に広がっていたのは、どこまでも普通の人間達の、普通の日常でしかなかったのだ。しかし一方で、あの平穏は表面だけのものにしか見えなくてな。実際に住人にも話を聞いてみたが、彼らは何もなかったと示し合わせたように答えおって。どいつもこいつも、最後にここは平和だと……一律、同じ返事しか寄越さなかった」
俄かに騒ぎ出したミシェル様にもきちんと同意を示して、違和感の理由を乗せて答えるオーディエル様。普通の人間の、普通の日常。しかし、あまりに平和すぎる平穏に、オーディエル様は確かな異常事態を嗅ぎ取ったのだろう。
「……あぁ、そうそう。現地にて、明らかに誰かの忘れ物と思われる手袋を見つけたので、持ち帰ってきた。こいつは多分、神界で誰かが交換したと思われる魔法道具だ」
「これ……まさか、お清め済みのグローブかしら?」
「そうだ。何もなかったはずの場所で、天使のものと思われるグローブが落ちていた。しかも、こんな物が落ちていても、リルグの住人はこいつに気づきもしなかった。本当に、何もかもが穏やか過ぎて落ち着かん。……ミシェル。済まないが、これの鑑識をお願いできるか? 塔の魔力情報と、こいつの持ち主の魔力照合をしてほしいのだが」
「はいはーい。もちろん、バッチリ調べてあげるから安心して。それじゃ、ボクの方で預かるよ」
「うむ、頼んだぞ」
オーディエル様から軽い調子で貴重な物的証拠を受け取るミシェル様だが……妙に引っかかる。そんな物が人間界に落ちていたということは、オーディエル様が向かう前に、誰かがリルグに向かっていたという事だ。しかし、その痕跡は神界の履歴には何1つ、残っていない。そこまで考えて……例の紋章魔法のクダリで、ハーヴェンが言及していた内容を、俄かに思い出す。
「……ルシフェル様、まさか……」
「どうした、ルシエル? 何か、気になる事があるのか?」
「えぇ。だって……おかしいとは思いませんか? そんなグローブが現場に落ちているという事は、オーディエル様以外にも誰かが調査に行っていたという事ですよね?」
「あっ。そう言われれば、そうね……」
「しかし、リルグには誰かが出向いた履歴は残っていません。だとすると、その誰かは……既に抹消されている可能性を考えた方がいいのでは?」
「存在を抹消される……? ルシエル、どういう事? ボク、よく分からないんだけど……?」
きっと真祖の紋章魔法には2種類の構成がある事を、彼女は知らないのだろう。手元のグローブをマジマジと見つめながら、ミシェル様が首を傾げているが……意図が分からないのは、ラミュエル様とオーディエル様も同じ様子だ。しかし、そんな中にあって、かつて魔界に君臨していたルシフェル様にはきちんと伝わったらしい。私の指摘に急激に眉間にシワを刻むと……ギリリと歯を食いしばり、苦虫を噛み潰したように呻く。
「人間界で使われた魔法はエンチャントではなく、ブロークンの紋章魔法……最下落ちを作るための断罪の魔法だったという事か……! 一体、誰だッ⁉︎ 我が同胞に、そんな汚らわしい魔法を使った痴れ者はッ……‼︎」
突然のルシフェル様の剣幕に、訳がわからないと驚き始めるミシェル様達を他所に……私は彼女のお怒りの理由をイヤという程、理解していた。
祝詞を刻むか、逆に取り上げるか。ハーヴェンは何気なくそんな事を言っていたが、祝詞を取り上げる方の魔法だった場合は当然ながら、対象は既に天使として存在していない事を意味している。祝詞を失えば、存在を存続できないのは私達も一緒だ。そして、祝詞を取り上げるという行為は、完全一致とまでは行かないにしても、名前を取り上げて有無を言わさず隷属させる理不尽を考えれば……天使の強制契約の原理と、ほぼ同じだと言っていい。
だからこそ、このルシフェル様のお怒りなのだろう。一方的に誰かの存在を取り上げるという事。それはどんな事情があろうとも、決して許されない事に違いないのだから。




