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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第12章】恋はいつだって不思議模様
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12−32 お迎えに来てみました(+番外編「仮面を着けてみました」)

 ここは……どこだろう? それに、自分は……一体?

 小さな小さな夕焼けしか見えない、どこかの底で息を吹き返しても……何1つ、思い出せない。ただ自分の名前は薄っすらと心当たりがあるものの、それさえも正しいのかは、怪しい。


「あ、いたいた。……ったく。ちょっと反応があったから、お迎えに来てみれば。随分と間抜けな感じだな……。俺が面倒を見ないといけないのか……?」

「そんな言い方、しないの! これからあなたの配下になる方なのでしょ? でしたら、ちゃんと受け入れてあげないと」

「ハイハイ。勝手について来て、口うるさく言うなよ……。心配しなくても、ちゃんとお仕事はしますから」


 やや投げやりな男の声と、男を詰る女の声。そのやり取りが頭の先の方から聞こえて来たかと思うと、突如、視界の右半分を覆うように……男がこちらを覗き込み始めた。虎を模しているらしい漆黒の仮面に、奥に覗く長い睫毛と紫の瞳。顔半分を隠しているとは言え、容貌はかなり整っているようにも思える。


「もしも〜し、生きてますかー?」

「えっ、あ……ハイ。多分、生きてるんじゃないかと……」

「生きてるんじゃないかと、って。……お前さん、自分の置かれた状況が何1つ、分かってねーみたいだな。あぁ、こいつは面倒だな……」


 仮面越しでさえも、彼が困った顔をしているのが分かって、面白い。得体の知れない見た目の割には、そこまで悪い相手ではなさそうだ……そう思って、上半身をようやく起こしてみると彼の全容が見えてくる。しかし、その瞬間に、黒づくめのマントに身を包んだ背に生えている翼を認めて、思わず後退りする寝覚めの男。この様相は、まさか……。


「あ、悪魔……!」

「いや、悪魔に悪魔とかって言われたくないんだけど」

「は?」


 その反応に悪魔と呼ばれた男が、やれやれと深くため息をつきながら、彼の置かれている状況を説明し始める。男のご説明によると、どうも自分には生前にやり残したことがあり、禍根が原因で悪魔に成り下がってしまった、という事らしい。そして、死際に余程のことがあったのか……記憶はかなりの部分で、封印されているだろうということだった。


「う、嘘だ……! 僕が悪魔になっただなんて……!」

「嘘でも何でもないけど。大体さー、どうしてお前さんはそんなに悪魔を嫌がるんだよ……。悪魔になったからって、そこまで悲嘆することでもねぇぞ?」

「悪魔の言うことなんか、信じられるか! 悪魔は諸悪の根源! 僕が……あれ? 僕が……どうするんだっけ?」


 記憶が封印されている。お言葉通りの何も思い出せない現実に、ようやく喪失感と焦燥感がジリジリと脳裏を跋扈し始めると同時に、混乱し始めた。ある意味で痛ましい光景に、今度は男ではなく女が柔らかく話しかけてくる。その声に縋るように見つめれば……彼女の方は光り輝く翼を持った、女神と見まごう程に美しい天使だった。


「闇堕ちされたからには、とてもお辛い思いをされたのでしょう? でも、大丈夫ですよ。これからは主人と私とで、あなたの魔界ライフをしっかりサポートしますから!」

「あぁ、そうか! 悪魔の魔の手から天使様が助けに来てくれたんですね……って、え? 主人に、魔界ライフ? それは一体……?」


 見た目の神々しさとは裏腹に、明らかに方向性の危うい事を言い出す天使。その当然のツッコミに……仕方ないと、悪魔の方が色々足りない情報を埋めるべく、補足を付け加え始める。


「あ〜……そう言や、自己紹介がまだだったな。俺はマモン。魔界では強欲の真祖をやってまーす。久しぶりに大きな闇堕ちの予兆を感じ取ったもんだから、お迎えに来てみました……っと。で、こっちの天使はリッテル。俺の嫁さんだ」

「はい? 真祖の悪魔に、天使の嫁さん? いやいやいや! 絶対悪の悪魔に、清く正しい天使のお嫁さんがいるなんて、前代未聞だ!」

「うん、まぁ。言いたいことは分かるよ? 悪魔が天使と所帯を持ち始めたのだって、ここ最近の話だし。そりゃ、すぐに納得はできないよな。でも、さ。天使だから絶対に正しいわけでもねーし、悪魔だから何が何でも悪いわけじゃねーんだよ。お前さんの天使観や、悪魔観は知らねぇけど。善悪を頑なに分けるのは、無意味だぞ?」

「無意味……?」


 何気なく吐き出されたマモンの問いに、咄嗟に応えられない新入り悪魔。しかし、彼の種類が種類のため……しっかりと説明しないとこいつは納得しないだろうと、一方のマモンは既に腹を括っていた。


「性善説に性悪説。生まれた時は正しい存在だったのか、正しくない存在だったのか? 自我が悪い事をするのは、本当は正しいはずの善意が悪意に唆されて、屈したから? 自我が正しくあろうとするのは、悪意にも良心があって、善意に絆されたから? ……正直なとこ、俺にしちゃ、どっちもどっちだ。生まれた瞬間から絶対に正しい奴はいないし、絶対に悪い奴もいない。天使だろーと、悪魔だろーと。人間だろうが、精霊だろうが。1つの体には1つしか魂は乗っからないし、善意も悪意も、1つしかない魂にくっついている自我の産物でしかないんだよ。天使にも悪意はあるし、悪魔にも善意はある。勿論、逆も然り。だから、無意味だって言ってんの。どいつもこいつも、正しい時もあれば間違っている時もある。……ただ、それだけのこった」


 これは……論破されたのか? やや釈然としない解説だが、彼の言い分を要約するに、善悪を分けても無意味だから悪魔を絶対悪と決めつけるな……という事なのだろうか?


「よく分からないけど、一応……分かりました……」

「何だか、不安な返事だが……まぁ、いいか。俺の説明下手は今に始まった事じゃないしな。しかし……ここでダンタリオンだったら、突っかかって来たんだけど。お前さんはまだ、あいつよりは扱い易いって事か?」

「ダンタリオン?」

「俺の配下に、お前と同じアークデヴィルの先輩がいてな。そいつがまた、頭でっかちの気難しい奴で。2100年前くらいにお迎えに行ってやったら、自分が悪魔になった理論と理屈を5000文字以内で論文にしてくださいとか言われてなー。仕方なしに、それなりのロジックとメソッドを示してやったら、超上から目線で及第点ですね、とか吐かしやがって。俺……それ以来、人間界に出張ってお迎えに行くのが、億劫になったんだよな……」


 真祖という肩書の割には、苦労を抱え込みがちなマモンを、よしよしとリッテルが慰め始める。優しいお嫁さんに慰められるのが嬉しい反面、相当に恥ずかしいのだろう。ちょっと強気な勢いを取り戻すと、照れ隠しとばかりに、解説の続きを話し始めた。


「べっ、別に慰めてもらわなくても平気だし! とにかくだ! お前はアークデヴィル……強すぎる知識欲が原因で、闇堕ちした悪魔なんだよ。ベルゼブブみたいに覗きの趣味はないもんだから、お前さんの死際は詳しく知らないが。ダンタリオンの前例を考えると、研究途中の志半ばで殺されたとか、成果をパクられて非業の死を遂げたとか……そんな無念を晴らせなくて闇堕ちした、ってところだろうな」

「……そう、なのですか?」

「つっても、アークデヴィルは珍しい悪魔だから、症例が少なすぎるんだけど。ダンタリオンの場合は十数年もかけた研究成果を横取りされた挙句に、不当性に声をあげたら返り討ちにあったみたいでな。吹っかけた相手がお偉い教授だったのが、非っ常〜にマズかった。結局……逆に泥棒呼ばわりされて、公開絞首刑で死際も晒し者にされたらしい」

「……まぁ、なんてひどい事を……」


 リッテルがさも辛いという表情を見せれば、だろう? と肩を竦めて、ため息をつくマモン。彼らのやりとりを尻目に……新入り悪魔はようやく、自分の立場を考える余裕を取り戻し始めていた。彼が示した「前例」からするに、自分もその類の苦難に見舞われて……。それで……?


「えぇと……要するに、僕も同じように殺されたかもって事でしょうか?」

「そういうこったな。上級悪魔は大なり小なり、信頼していた何かに裏切られて堕ちてくる奴が殆どだ。アークデヴィル……上級悪魔になっている時点で、お前さんも相当の禍根と事情とを抱えて死んだんだろうよ。ま、こんなところで延々とお悔やみを申し上げてても、仕方ない。その様子だと……そろそろ、名前くらいは思い出せたんじゃない? お前さん、お名前は?」


 目覚めた時はぼんやりとしていたが。今なら、名前くらいはちゃんと思い出せる。そう、自分の名前は……。


「……ミカエリス。ミカエリスです……マモン様」

「そっか。そんじゃ、トットと魔界に引き上げるぞ。向こうに着いたら、それなりに面倒見てやっから、心配するな。だから、これからは悪魔として堂々と胸を張れ。行くぞ、リッテル。そして……アークデヴィル・ミカエリス」

「はい! よろしくお願いします……マイ・ボス」


 ミカエリスの答えに、口元に牙を見せながら満面の笑みを見せるマモン。その横で同じく、彼を歓迎するかのように、優しく微笑むリッテル。そんな2人に伴われて……何もかもを忘れた新人悪魔は、魔界への第一歩を踏み出した。

【番外編「仮面を着けてみました」】


「ねぇ、君達。マモン様達って、いつもこんな感じなのかい?」

「そうですよぅ?」

「ママはパパに、ラブラブなんです!」

「特に、今日のパパは久しぶりのお仕事モードなのです!」

「だから……あぁ〜ん! パパ、いつも以上に格好いいでしゅ〜!」


 招かれてやって来た真祖のお屋敷……というには、あまりにこじんまりした家。しばらく部屋を使うといいなんて言われて、グレムリン達にご案内をいただいていると。2階の1番奥の部屋で、お嫁さんの「無茶振り」に耐えるマモンの姿があった。


「……リッテル。もうそろそろ、外していい? お仕事はとっくに完了したんだけど」

「ダメ! こんなにときめくシチュエーションを終わりにするなんて、勿体ないじゃない! あなた、とにかく痺れるセリフをお願い!」

「……すみません。却下しても、よろしゅうございますか?」

「イヤ!」


 グレムリン達によると……リッテルは時折、マモンを散々振り回すそうな。

 ある意味での修羅場を見つめていると、とうとう彼の方が諦めたらしい。顔を赤らめて涙目になり始めた彼女に、仕方ないと……一芝居打ち始める。


「今宵は満月。愛しい姫君とこうして、同じ月下のひと時を過ごせることは……このグリードめにとって、何にも代え難い至宝でございましょう……」

「キャ〜〜〜〜! もう、素敵! 素敵すぎるわ、あなた!」

「……ハイハイ。これでご満足ですか、プリンセス……」


 この状況、慰めて差し上げた方がいいんだろうか……?

 無理やり言わされているとしか思えないセリフに、外す事を許してもらえない仮面。真祖の悪魔って本当に大変なのだなと……その光景に何かを悟ったミカエリスだった。

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