12−31 寧ろ好都合
「グスッ。ボク、ワスレラレテタ。ボク、コレカラドウスレバ……」
「大丈夫か、ロジェ。あぁ、あぁ……ティデル姉ちゃんに何かされたのか?」
中途半端な本性のままで涙を流し続ける「親友」に居た堪れないと、浴槽の淵に顎を預けてはタールカが心配そうに話しかける。復讐心の原動力と推進力を得た者は、いつの世も予想外の底力を見せるものらしい。絶え間なく続く苦痛と苦悩さえも受け流した暁に、タールカもしっかりとデミエレメントのステージまで到達していた。まだ魔法を扱うことはできないが、それでも……普通の人間以上の力は、手に入ったも同然。何よりも必要だった力を得るきっかけをくれた、ロジェの傷心を捨て置けないと……彼の鼻先を温めるように撫でては、涙の意味を問う。
「タールカ……ボク、ドウスレバイインダロウ……。ボク、ホントウニホシカッタモノヲ……モラエナカッタ……」
「本当に欲しかったもの?」
高濃度人工エーテルの回復槽に放り込まれたとあれば、ロジェはまだ、見捨てられてはいないのだろう。何故なら、不必要と判断されれば即刻分解されるか、はたまた、赤い花の材料にでもされるか。何れにしても、命の保証は微塵も残っていない末路が待っている。だから……ここに沈められている時点で、生きることは許されたと判断していいか。
彼の処遇にタールカは少しばかり安心しながらも、傷だらけのロジェの姿に心を痛める。今まで同年代の知り合いさえ持たなかった彼にとって、ロジェは初めてできた友達だった。だからこそ、その理由を聞き終える頃にはまるで自分の事のように……ロジェが「本当に欲しかったもの」と定義した相手に怒りを爆発させ始める。
「なんだよ、それ! 一緒に遊んで、一緒に過ごしたのに……そいつ、ロジェのことをちっとも覚えていなかったのかよ⁉︎」
「ウン……ボクノコト、シラナイッテイワレタ。ボク、ワスレラレテタ……」
「……泣くなよ、ロジェ。だったらさ……そいつもこっちに引き摺り込んで、改造して貰えばいいじゃん」
「ドウシテ?」
「知ってるか? 今、オズリック様がちょっとした実験をしているんだって。内容は詳しく知らされてないけど……相手を都合よく動かすためのものだって、聞いたぞ?」
「ホ、ホントウ?」
「うん、らしい。だからさ。そいつを攫ってきて、こっち側で改良してもらえばいいんじゃない? そんでもって、ロジェのことを好きになってもらえるように作り直してもらいなよ」
「ソッカ……ソウダヨネ! ウン……ボク、マダガンバッテミルヨ」
「そうさ、その意気だ! 僕達にこんな思いをさせている奴らに復讐するまでは、負けちゃダメだ」
余興でこちら側の誘っただけの相手に慰められて、ロジェは切り傷だらけの恋心をようやく持ち直す。
そうだ。思い通りにならないのなら、従わせればいい。邪魔するものがあるのなら、壊せばいい。それを成し得るには……力が必要だ。その力を手に入れるためにも、こんなところで諦めるわけにはいかない。
***
相変わらず茫然自失としているハールに恭しく「お薬」を差し出しながら、先ほどから試していることが上手くいかないことに、俄かに苛立ちを覚えるリヒト。哀れな小説家をロマネラの谷底に葬ってから、既に数時間が経っているが……余程しぶといのか、生き延びたのか。彼の存続を示す1つの事実に、リヒトはいつになく焦っていた。
(しかも……明らかに、2つ足りないんですよね。持ち物が)
セバスチャンの後釜をきちんと引き継ごうと、彼の荷物を物色していたのだが……残された彼の「遺品」の中に、確実にあるはずだったネタ帳と雷鳴石が見当たらなかった。雷鳴石の方は肌身離さず持っていたようなので、一緒に谷底に転がっているかも知れないが……もしかして、ネタ帳も持ち歩いていたのか?
(まぁ、それらの所在はどうでもいいことです。それ以上に問題なのは……)
メタモルフォーゼが発動できないという、想定外。相手を殺しさえすれば、一応の発動はできるはずのメタモルフォーゼが発動できないとなると、考えられる可能性は2つ。彼が生き延びたか、あるいは転生したか。
メタモルフォーゼの発動には制約以上に、確固たる前提条件が存在する。それは……魂が元の肉体から離れ、別の個として還元されているという必須項目だった。
相手を亡き者にするのは、同じ人物が同時に存在しないようにするため。魔法の原理としては、そんな説明がなされるものの。厳密には、複数の自我が同じ形で存在しないようにするため……が正しい解釈だ。人生のダブルキャストはあり得ても、輪廻のダブルキャストはあり得ない。元は魂を蔑ろにして、相手を自分のものにするための欲望の原点とも言えるこの魔法は、実は非常に厳粛なロジックと制約に塗れた、かなりの難解魔法でもある。
そんな魔法を意気揚々と自由自在に、何不自由なく使いこなしてきたリヒトにとって、その想定外は誤算以外の何物でもなかった。
(……意外と面倒なことになりましたか? 男性の時点で転生してたとしても、悪魔の方ですかね? あの神父とは違い、意図的に闇堕ちを誘発したものでもありません。彼の転生は極々、シンプルなものでしょう)
万が一転生していたとしても、スタンダードな闇堕ちであれば問題ないか。大抵のことは些末な事でしかない、なり損ないの真祖にとって……セバスチャンの生存も、よくよく考えれば些細な事でしかない。機会があれば握り潰せばいいのだし、彼のあの能天気さからしても、苦痛を抱えていたとも思えない。だとすれば、転生していたとしても末路は下級悪魔だろう。
(仕方ありませんね。彼のご家族に、訃報を出しておきましょうか。場所が場所です。滑落で片付ければ、ご納得いただけるでしょうし……シンパシーカードと一緒に献金でもすれば、文句も出ないでしょう)
教会の従者らしく、一応の体裁を整えることをそれとなく決め込むと、柔らかな笑みを取り戻すリヒト。メタモルフォーゼの不発は確かに想定外だが……考えてみれば、それ以外の成果は上々だ。特に魔禍の上澄を使って、新しいタイプの魔禍を作り出せたのは、かなりの前進と言っていい。そのためにかなりの「苗床」が必要になったが、それと同時に貴重な「麻薬のお花畑」も掌握できたのだから、寧ろ好都合でもあるだろう。
自分に相応しい肉体を常に探求しているリヒトにとって、材料にすらならない人間の存在は常々、取るに足らないもの。そんな人間達をいくら消費したところで、感傷1つ、彼の心には沸いてはこなかった。




