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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第12章】恋はいつだって不思議模様
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12−22 手が届かない煌めき

 行くあてもなく、仕方なしにたどり着いたナーシャで「働く」事にしたが……。都会から隔絶された高山都市では、シャリアを知らない者ばかりで助かったものの、別の部分で容赦がない。それでも、生きていくにはこれしかないのだと諦めながら、朝の洗濯に精を出しているが。


(うぅ、水が冷たい……! もぅ! お湯は出ないのかしら……?)


 目の前の冷たい水をお湯に変える……そんな魔法があれば、きっとこの世は天国だろう。しかし、心の内で不毛な文句を垂れてみたところで、ここは僻地・ナーシャ。いくら駅のある首都とは言え、規模はカーヴェラの足元にも及ばない。インフラこそきちんと整っていたのは救いだが、それでも……寂れた空気がシャリアの贅沢体質を覆すまでには、それなりの時間を要していた。


「女将さ〜ん! 洗濯、終わりましたよ!」

「あぁ、ご苦労様。シャーリーもようやく、洗濯もこなせるようになったかい?」


 容赦がない部分……それは、シャリアがどんな育ちをしてきたかを慮る部分もないため、最低限の仕事さえできない彼女に対する叱咤が激しかった事。それでも、ナーシャ駅前で宿屋を構える女将が根気よく教えてくれたお陰で、シャリアも料理以外の仕事は0.6人前程度まではこなせるようにはなっていた。そして……自分の境遇に落とし前を着けたせいか、以前であれば嫌味を言われたらカリカリしていたのに、不思議と人に言われた事をすんなりと腹に落とし込むこともできるようにもなっていて。この調子であれば、贅沢はできないにしても、生きていくことはできそうだ。


「えぇ、それなりに。あぁ……にしても、朝は本当に冷えますわ……」

「それは仕方ないでしょ。もうすぐ聖夜祭だってのに、寒くない訳ないさね」

「そうですわね……」


 聖夜祭、か。その既に手が届かない煌めきを思い出しては、ため息をつく。

 去年の今頃は、今年こそ自分を見染めてくれる白馬の王子様が現れるに違いないと……あんなにもソワソワしていたのに。最初からそんなものが存在しないと理解した今となっては、過去の自分を嘲ってしまう。大都市・カーヴェラの政治家として目立てば、すぐに貴公子の目に留まるはず……だって、私は由緒正しいルルシアナ家の娘だもの。しかし、そんな夢想は所詮妄想なのだと、当時の自分の頬を叩いてやりたい。あの時に気づいていれば、まだ間に合ったのかもしれないのに。


(今更、考えても仕方ないわね。だって、私は既に貴族ですらないもの……)


 洗濯が終わった後の休憩へ……いそいそと自室に向かいながら、ぼんやりと過去の栄光にため息をつくシャリアを、今度は横から呼び止める者がある。お客様かしら。そんな事を考える間もなく、一端の宿屋の従業員として咄嗟に返事をするものの。そこに立っていたのは……会ったことがあるような、ないような。どこかで見た面影の雰囲気を帯びた若い男だった。


「あれ? えっと……もしかして、あなた……シャリア区長?」

「いいえ? ……人違いじゃないかしら?」

「そう……ですか? えぇと……でしたら、このお宿の方ですか?」


 覚悟を決めるついでに、髪をバッサリ切ったのが、功を奏したらしい。どうやら、カーヴェラからやってきたらしいお兄さんの追及を既のところで回避すると、危なかったと冷や汗を垂らすシャリア。今更、こんな所でカーヴェラで威張り散らしていた事を暴露されても、腹の足しにもならない。


「そうですけど。何かご用でしょうか?」

「はい……この宿屋って、非常口とかあります?」

「非常口……? 避難口のことですか?」

「そうです。避難口のことです。表のエントランス以外で、この宿屋に出入口がないかを教えて欲しいのですけど」


 変な事を聞くお客様だな……それとも、用心深いだけか?

 そんな疑問を抱きながらも、この宿屋のランドリールーム横に避難経路がある事を伝えるシャリア。そして……彼女の答えに満足したのだろう。男の方がどこか安心したような表情を見せつつも、ようやく自己紹介をし始める。


「変な事を聞いて、すみません。別に逃げているわけじゃないんですけど。いざとなったら、こっそり帰らないといけなくなりそうでしたから……聞いてみた次第なのです。あぁ、それで……申し遅れました。僕はセバスチャン・ミカエリスと言いまして。……悪魔研究を主にしている、小説家なんですけども」

「悪魔研究の小説家……?」

「一応、『ファントムバスターズ』の著者だったりしますけど……あ、そっか。ここじゃ通用しないか……」


 そんな訳ないだろう。『ファントムバスターズ』と言えば、リンドヘイム聖教お墨付きの有名な英雄譚ではないか。


「一応、知ってるけど……。で、そんな有名な小説家さんがこんな寂れた街に、どうしていらっしゃったのかしら?」

「あ、ご存知でしたか? いやぁ〜、嬉しいなぁ。えっと、それはともかく……。僕は今回、ちょっとした取材に来てましてね。英雄に同行させていただき、彼の活躍を物語として残すお役目を頂いたのです。ただ……」

「ただ?」


 取材等という華々しいお仕事にも関わらず、急に顔を曇らせ始めるセバスチャン。そうして、辺りをしきりに確認しながら……完全にシャリアを現地人だと思っているらしい、ナーシャについてやや踏み込んだ質問を投げてくる。


「……お姉さんは、リルグという街はご存知ですか?」

「え、えぇ。もちろん、知っているけど……。ナーシャの中でも、かなりの高山都市だったと思うわ」


 心当たりがあり過ぎる地名に、思わず戦慄するシャリア。ここに来るまで、ルルシアナにとって馴染みのある街が、ナーシャにある事すら知らないで生きてきたが……実を言えば、リルグはルルシアナとは切っても切れない、深い関係のある街だ。リルグにはルルシアナにとっても貴重な財源……暑さが苦手なオトメキンモクセイの生産を一手に担っている契約農家があり、ホーテンがかなりの土地を買い上げていた保有地でもあった。

 高山の上に、僻地。資源開発への公的資金注入はあるものの、ローヴェルズ首都・グランティアズからもあまりに遠過ぎるために、視察はほぼないと言っていい。

 故に、かなり危険な植物でもあるオトメキンモクセイを栽培するのにも打ってつけと、ホーテンが農家ごと買い取ったのは……シャリアがまだ物心つかない年頃の時だった。


「実は、リルグの住人が悪魔憑きだったとかで、昨日……勇者様の手で清められたのですけど……。僕には、どう見ても……」


 シャリアが内心でそんな事を思い出しているとは、微塵たりとも想像できないのだろう。セバスチャンが更に声のトーンを下げながら、少しばかり顔色さえも青くして、リルグの内緒話を披露し始める。


「どう見ても……? えっと、大丈夫ですの、ミカエリスさん。顔色がとても悪いようですけど」

「え、えぇ。大丈夫です。とにかく、お姉さんもリルグにはもう行かない方がいいですよ。教会の方によると、あの街は呪われているそうでしたから。僕は帰ったらその事実とご活躍を伝えるために、ハール様の英雄譚を書き上げるつもりなんです。だけど、勇者様のちょっとした秘密にも触れてしまったものですから、場合によってはこっそり逃げないといけないな〜……なんて、思ってまして。それで、非常口のありかを聞いたのです」

「そ、そうでしたの……。それはそれは……」

「あっ、そうだ。それと……この近くに、郵便局はありますか?」

「郵便局ですの? この宿を出まして、左手に少し行ったところにありますけど」

「そうですか。でしたら……早速、行ってこようかな。お姉さん、色々とありがとうござました。お仕事中、すみませんね」

「い、いえ……」


 重々しい内容を吐露した割には、去り際はどこまでも軽いセバスチャンが「では」と言いながら離れていくものの。今まで漠然と「ルルシアナの娘」で生きてきたシャリアでさえも、リルグの異変が生家にとって一大事であることくらいはすぐに判断できる。これは……一方的に縁を切られたとは言え、父親にも伝えた方がいいのだろうか?


(今更、手紙を出してもお父様には無視されるかしら? でも、もしかしたら……)


 もう1度、グレストフォックスを身に纏える? もう1度、白馬の王子様の夢を見ることができる? ……いいや、違う。そんなことはもう、どうでもいい。ただ、今はとにかくこの異常事態を伝えることが最重要事項だ。

 そこまで考えると、受け取った時は無関係だと思っていた手帳に挟んだままのメモの意義も、しっかりと思い出す。

 彼女が放逐された際にジャーノンからこっそりと渡されていたメモには、隠居先の住所と一緒に……本当はホーテンも寂しいのだと、それとなく書かれていた。受け取った当時はバカバカしいと憎々しげに眺めていたものだが、それでも……落ち着いたらまずは自分宛にご連絡を下さいと言っていた、ジャーノンの気遣いも一緒に思い起こす。

 父親との関係に関しては既に手遅れ、とっくに終わった事……だったとしても。シャリアは生まれも育ちもカーヴェラ、もといルルシアナ。だとしたら……親不孝娘にも、一方的な親孝行をする位は許されてもいいだろう。

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