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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第12章】恋はいつだって不思議模様
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12−16 フォンダンショコラ

 今晩のデザートは、なーにかな。そんな事を考えつつも、やはり報告書と精霊データの確認とで帰りが遅くなってしまった。……最近は子供達ともあまり話せていないし、かなり寂しい。


「おっ、お帰り。お仕事、お疲れ様でした」

「うん、ただいま。あぁ、今日もみんなとお話しできなかったか……」


 私が少ししょげているのにも目敏く気付いて、ハーヴェンがお茶よりも先に頭を優しく撫でてくれる。彼の大きな手で慰められるように触れられると……不思議と、疲れも少しだけ軽くなった気がする。


「色々と話したい事があるけど、まずは食事だよな。すぐに用意するから、待ってて」

「うん……いつもいつも、帰りが遅くなってごめんね……」


 私が申し訳ない気分で絞り出した言葉にも、カラカラと笑い飛ばして「気にするな」と言ってくれるハーヴェン。彼が運んできてくれた夕食は、並べられた途端にいい匂いを立ち上らせていて……いよいよ待ち切れぬと、口に運ぶ。いつもながらに美味しすぎる晩餐に、生きている喜びを実感するが……あぁ。今日もお仕事を頑張って、本当によかった……!


「ふっふっふ……そのご様子ですと、今晩のメニューもお気に召しましたか? ルシエル様」

「もちろん、とっても気に入ったぞ? 今宵も褒めて遣わす」

「へへぇ〜……大天使様の身に余るお言葉、感激でございます。ありがとうございや〜す」

「うむ。大儀であったぞ、料理長」


 どちらからともなく、芝居がかったセリフをやりとりしながら……これまた、どちらからともなく笑い合う。こんなちょっとした食事の合間のやり取りも、とにかく愛おしい。


「あぁ、そうそう。昼間は孤児院に様子を見に行ってたんだけど……。ちょっと気になる事があってな……」

「気になる事?」

「うん。まぁ、話をする前に……は〜い、お待たせ。デザートの登場でーす」


 少しだけ困惑気味の表情を浮かべながらも、それは後でとハーヴェンがお待ちかねのデザートを運んできてくれる。サイズはかなり小さめだが、これは……もしかして、麗しのザッハトルテだろうか?


「あぁ……! やっぱりハーヴェンのザッハトルテは、綺麗だな……」

「お? 褒めてくれるのは、とっても嬉しいけど……残念でした。そいつはザッハトルテじゃありません!」

「えっ⁉︎ 違うの?」


 確かに少しばかり、艶やかさが足りない気はしたけれど。私にはザッハトルテにしか見えないんだが……。


「こいつはフォンダンショコラと言います!」

「フォンダンショコラ⁇」

「うん。勢い、表側をちょいとコーティングしたから、ザッハトルテに見えたのかもしれないけど……ま、ナイフを入れてみれば分かるよ」

「ナイフを……入れればいいのか?」


 ほんの少し、意地悪そうな笑顔を浮かべるハーヴェンの指示に従って、疑いの余地もなままナイフを滑らせてみる。そうすると……深いブラウンのトロリとしたペーストが中央から流れてきた瞬間、辺り一面に広がる豊潤な甘い誘惑。あまりの鮮烈な香りに、様子を観察する間も惜しいと……気づけば左手に握り締めていたフォークで、しっとりとした生地にタップリとペーストをつけながら、頬張っていた。


「どう? どう? 結構な自信作なんだけど。気に入ってくれた?」

「……少しだけ、気に入らない」

「あっ、そうなの? う〜ん。やっぱり、アプリコット抜きはダメだったか……」

「違う、そうじゃない」

「お?」

「……サイズが小さすぎる……」


 わざと口を窄めて言ってみれば、困った顔をしつつも……安心した様子で頭を掻くハーヴェン。全く……一体誰のせいで、私はこんなに欲張りになったと思っているのだろう?


「気に入らないって、そっちか……」

「こんなに小さかったら、あっという間になくなってしまうじゃないか……。もう1つ食べたい……」

「ルシエルは甘いものに、変に食いつくようになったよな……。そう言ってくれるのは、とても嬉しいけど」

「とにかく! もう1個! もう1個、ないの?」

「へいへい。今日は飛び込みのゲストもいなかったから、後4個残ってるぞ。ルシエルだけ2個目をゲットしたことは、子供達には内緒だからな?」

「……分かってる。というか、ちゃんと内緒にするから……4個とも私が食べる」

「全部、1人で食い尽くす気なんだな……?」


 更に呆れ顔を加速させたハーヴェンが、追加のお茶を淹れてくれると同時に、すぐ隣に腰掛けてくる。しかし……この様子だと、デザートのお代わりをすぐに出してくれる気はないらしい。私も相談事があるので、話ができるのは好都合でもあるのだが……見れば分かる通り、皿の上は綺麗さっぱり片付いているぞ? もう1個くらい、すぐに持ってきてくれてもいいのに……。


「それで、今日もそれとなくプランシーの様子を見てきたんだけど。……何だか、やっぱり妙でな」

「妙……?」

「うん。記憶が鮮明すぎる以前に……多分なんだけど、本当はなかったはずの記憶が残っているっぽくてな……」

「なかったはずの記憶? それ、どういう意味だ?」


 コンラッドの記憶について、気づいた事を説明し始めるハーヴェン。彼の話によると、かつてのタルルトの孤児院にはいなかったはずの子供の存在が、彼の思い出の中に潜んでいたらしい。


「ギノにも確認したんだが。孤児院にリヒトなんていう子は、いなかったらしくてな。アーチェッタに行ったのは、ギノも含めて14人。そして……治療の名目で手足がない子は別の場所に連れて行かれたとかで、ギノはその場でプランシーと別れる事になったんだと。だけどさ……だとすると、そのリヒトっていう子は多分……」

「ギノと別れた後に、コンラッドの記憶に刻まれた相手……もしかしたら“向こう側”の関係者ということか?」

「おそらくな。向こう側の奴がメタモルフォーゼを使っているとすると、子供に化けることなんて、それこそ造作もないだろう。とりあえず今日はプランシーの話に合わせて、無理に思い出させることは避けてきたけど……なんだろうな。……嫌な予感がする」


 嫌な予感がする……か。言い方は悪いが、落ち着き過ぎているコンラッドの様子が不自然だと思っているのは、私も一緒だ。初対面であれだけ怒りを爆発させていた憤怒の悪魔が……子供達といるというだけで、そこまで精神を安定させられるものなのだろうか?


「まぁ、それ以外の部分は問題なさそうだったし、何よりプランシーも含めて子供達も元気そうだったし。今はそれ以上を言う必要もないとは思うんだけど。俺もあいつの様子は気にかけるようにするし、何かあったらすぐに知らせるよ」

「うん、そうしてくれると助かる。あぁ、そうだ……そう言えば、私の方も相談があるんだ。……今度、ベルゼブブに知恵を借りに行きたいんだけど、一緒に魔界に来てもらえないかな?」

「それはいいけど……選りに選って、ベルゼブブに何の用だ?」


 相談先の相手が相手なので、ハーヴェンの顔がみるみるうちに渋くなる。彼の表情に……かなり不安になりながらも、ルシフェル様からの依頼内容を伝えると、ハーヴェンは納得はしつつも不安は払拭できないらしい。それはそうだろう。封印を強行突破する手段に、かの闇迷宮魔法を使おうと言うのだから……理屈は通っていても、筋が通らない。


「あいつのことだから、手土産を持っていけば嫌とは言わないだろうけど……でも、ダークラビリンスで取り込まれるのは知識の一部じゃなくて、全部だぞ? そっちさんに不都合な部分もあるかもしれないし、大丈夫なのか? それ」

「致し方ないだろう。……既にそうも言ってられない段階に入っているし、ノクエルの状態もあまり良くない。きっと向こうで散々、酷い目に遭わされてきたんだろう。……頭だけが辛うじて残ってはいるけど、面影なんかも吹き飛んでてな。このままではダッチェルが命がけで残してくれた手がかりが、腐り切ってしまうかもしれない」

「……そか。だったら、善は急げということで……早速、明日行くとするか? フォンダンショコラも丁度4個残っているし、そいつを手土産にすればベルゼブブも素直に応じてくれるだろ」


 ちょっと待て。確かに、急ぎではあるけれど……私のデザートを取り上げていいとは、一言も言ってない。


「それ、私が食べる予定だった気が……」

「おやおや? 大天使様はお仕事と、デザートのどちらが大事なのかな〜? だって、急がないといけないんだろ? だったら、残りのフォンダンショコラは手土産にしましょう!」

「ゔ……べ、別に今日の明日で行かなくてもいいんだけど……」

「おぉ? 左様で? 全く、そんなにしょげるなよ。エルノアもまた食べたいって言ってくれたし、次はもっと大きめに作るから、さ。世界平和のために、我慢できるよな?」

「……ハィ……」


 お願い事を相談するべきタイミングを間違えたか。私はそんなことを考えながら、腹の底から後悔していた。

 もちろんハーヴェンの提案は至極当然だろうし、「お代わり」もたまたま多めに作られていただけであって、私の分として残されていたものではない。それは分かっている。だけど……こんなことになるのだったら、せめてもう1個はすぐに持ってきてもらうんだった。そうして自分の手をすり抜けて、食べ損ねたデザートの余韻は思いの外……モッタリと重かった。


***

 急いで助けを呼ばないと。魔力の薄い人間界へ助けを求めて飛び出したが……頼る当てなど当然ながら、1つもない。

 先の見えない旅路でさえも、とにかく進まねばと朦朧とし始める神経を自分で持ち直しつつ、ひたすら行き惑う。激しい息切れと、クラクラとし始める頭の奥底。自分の意識さえも切れ切れなのに、それでも彼女……マイラは翼を休めようとしない。それもそのはず、彼女がこうしてアークノアから出てこれたのも、ただ1つの幸運でしかなく……彼女のあまりにか細い背中には、魔獣族全員の一縷の望みが堆く積み上げられていた。


(そう言えば……坊ちゃん達だったら、助けてくれるかしら……?)


 あの時の一方的な襲撃を思えば、助けてなどと、どの口が言えようか。それでも、底抜けに優しいらしい坊ちゃん……あの漆黒の竜族であれば、力を貸してくれそうな気がする。

 そこまで考えると、マイラは彼らと出会った草原を目指して、方向転換をし始める。空の向こうはいよいよ白み始めていて、魔獣界から飛び出してからかなりの時間がかかってしまっていることを、マイラにも残酷な程に見せつけていた。そんな美しいはずの光彩が、必要以上に瞬いて……今度は心なしか、視界が滲む。


 たった1人で人間界にやってきて一体、何になるというのだろう。そもそも……誰が好き好んで、既に世界からも淘汰され始めている自分達を助けてくれると言うのだろう。解き放たれた異世界の空で考えれば考える程、涙が溢れて止まらない。それでも……自分を否定し尽くすような心細さに、心が折れそうになるのを必死に堪えて。ようやく涙を拭うと同時に、顔を上げる。

 そうだ……こんな所で泣いている場合じゃない。命からがら逃がされた自分の背中に託された願いがある以上……この翼で羽ばたける限り、何があっても諦めるわけにはいかないのだから。

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