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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第12章】恋はいつだって不思議模様
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12−15 哀れな迷い子

 リルグに着いた途端に、街の住人らしき人々に囲まれるが……どうも、様子がおかしい。街の空気によもやと思いながら、ようやく記憶の片隅で煌めく雷鳴石を取り出してみると、まるで怯えるような弱い輝きで悪魔の存在を伝えている様子。初めての雷鳴石のお仕事ぶりに、本格的に興奮し始めるセバスチャン。やっぱりヴァンダートの伝説は本当だったのだと、場違いにも1人、満足してみる。


(雷鳴石が輝いている! ということは、彼らは……!)


 変に納得しながら、街の様子を見つめれば。早速、鮮やかに水の魔法を操って彼らを鎮めようと立ち向かうハールの姿があった。先ほどまでリヒトの強引な理論に違和感を覚えっぱなしだったが、こうして「奇跡」を目の当たりにすれば、吹けば飛ぶような違和感など空の彼方。ただただ目の前で繰り広げられる、ファントムバスターズさながらの光景に……セバスチャンは興奮を鎮める方法さえ、忘れている。


「この街の住人達は、我らの警告を無視したばっかりに、悪魔に魂を抜かれてしまった哀れな迷い子なのです。ですので、こうしてハール様の魔法で清めて差し上げているのですよ」

「清めているのですか? あれが?」


 しかし、セバスチャンの昂り切った神経を急遽、クールダウンさせるかのような説明を与えるリヒト。魂を抜かれたという割には……彼らの表情はまだ残っているようにも見えて、痛々しい程に苦しげだ。それに冷静に見つめてみれば、英雄の後ろ姿はどこか嬉々としていて……彼らの襲撃を楽しんでいるようにも感じられる。


(うわッ……! あの人の首、飛んだような気が……する?)


 いよいよ現実を直視してみれば、ハールが行っているのは「お清め」なんて生易しい物ではないことにも、すぐに気づく。英雄の操る圧倒的な魔法の所業は、目を覆いたくなる無慈悲な殺戮そのもの。まるでリンゴのように握り潰される頭に、まるで紙切れのようにアッサリと千切られる手足。美しいはずの魔法が蹂躙した暁には……ただただ人だった物がボタリボタリと生々しい音を立てて、無秩序にばら撒かれていく。その凄惨さに遅れてやってきた吐き気を抱え込みながら、蹲るセバスチャン。そもそも……英雄ともあろう者が、街の住人をこうも躊躇なく屠れるものだろうか……?


(おかしい……! やっぱり、何かがおかしいぞ……! もしかして、悪魔なのは彼らなのではなく……)


 ようやく空の向こうに飛ばしてしまっていた違和感を呼び戻すと、手始めにハールの方へ雷鳴石を向けてみるが……予想外にも反応は微弱だ。セバスチャンが雷鳴石の角だと思っていた突起をグルグルと回して試行錯誤する事、数分。色々な方向に雷鳴石を向けながら、一段と強く輝く箇所があるのに気づく。しかし……雷鳴石が悪魔だと示して見せたのは、ハールでもなく、街の住人でもなく……1番無害だと思っていた、リヒトその人だった。


「……おや、そちらの石はとても珍しい物みたいですね? あぁ、それ。噂に聞く雷鳴石ですか? へぇ……本物は本当に光るんですね……」

「え、えぇ……少し前にヴァンダートへ取材に行ってまして。その際に、発掘してきた物だったのですけど……」

「そうだったんですか? 流石、一流作家は違いますね。自らの足で取材をするだけではなく、盗掘までやってのけるのですから。知っていますか? 雷鳴石は採掘禁止とされている鉱石ですよ。あそこは今、クージェ帝国の所轄に入ってますし……滅多な事はしない方がいいでしょうね」

「ご心配なく。これはクージェ公認の采地研究に同行して採掘した物ですから。オフィシャルで許可を取っておりますし、問題ないのです」

「おや、それは……失礼いたしました。それにしても、クージェが采地研究ねぇ……。今更、そんな事をして何になるというのでしょう……?」


 夥しい数の住人を屠り続けるハールの背後で、今までにない危機感を募らせるセバスチャン。正直なところ、彼の手にある雷鳴石はこっそり発掘した物のため、クージェの許可を得ていると言うのは、ハッタリだ。しかし、そんな嘘をついてでも、遺憾無くお仕事をしている雷鳴石を取り上げられるわけにはいかない。

 セバスチャンは取り立てて、武術の心得があるわけでもないし、運動神経がいい訳でもない。まして、常識に関しては常々妹に心配されるほどに、世間様のそれとはかけ離れている。それでも……処世術だけはそれなりに持ち合わせており、窮地に立たされた時の判断力は並々ならぬものがあった。

 そんな彼にとって唯一頼りになる一芸……根拠はないが、精度は抜群の勘……が今まさに、阿鼻叫喚恐々と悲鳴をあげている。緊急事態に興奮と恐怖を綯交ぜにしながら、今度は頭の片隅で何かの覚悟をし始める。


(何がなんでも、この先も彼らに同行して、秘密を暴き……白日の下に事実を引きずり出さなければ……!)


 伝えるべき事を、伝えるため。自分はここにいるのだと、腹に燻っていた吐き気さえも押し返し、荒唐無稽な正義感が堅如盤石な使命感に変わる時。その手にあるペンは自ずと、熱を宿して走り始めていた。


***

 こんな事を、何度繰り返してきたのだろう。言うことも聞かなくなった体の中で、気まぐれに目覚めた、カラカラに乾き切ったアイデンティティ。既に暗渠に成り果てた自意識の奔流の中で、手を伸ばして渇望してみても……不安を潤す救いの雨が降る事はない。

 確かにハッキリと、奪っている命が1つ、また1つと増える度に……神経が昂るのも感じて、寒気がする。始めは嫌悪感しかなかったはずの感覚が、ジワリジワリと枯れ川となりつつある、なけなしの自意識にドス黒い悪意を流し込む事で、神経毒のように自分を狂わせていく。そして、狂っていく自分の過程に気づいた時こそが苦しいのだが……その苦しい瞬間がなくなる事を、今は何よりも恐れている。その苦しみがなくなれば、確かに楽にはなれるだろう。だけど、そこまで行き着いてしまったら……きっと自分は本当の意味で、消滅することになる。

 ただ死ぬのではなく、ただ朽ちるのではなく。

 自分という存在が忘れ去られることもなく、ただ漠然と失われる恐怖に、自分じゃない誰かに一生を奪われた絶望感。英雄になる事を夢見たこともあった。そして、英雄に憧れ……鍛錬を積んでさえもきた。それなのに……。それなのに……!


(あぁ……また、眠たくなってきた……。次に私が私でいられる瞬間はいつなのだろうな……。それとも、これが……最後……?)


 理性と衝動の合間で揺れ動き、微睡む魂の足掻きを掬い上げてくれる者はいないだろう。

 それでも……最後にもう1度、弟にだけは会いたかった。愚かであっても、自分を誇りに思ってくれていたらしい彼は今頃、どうしているだろう。

 泡沫の水面に、記憶の面影を探しながら……エドワルドの意識は枯れ川の下流に潜む悪意の塊に1口、また1口と差し出されていく。そして、爪を立てて力ない淀みに必死に抵抗してみても……掠奪を止める術は、もう何もなかった。


***

「お疲れ様でございました、ハール様」

「……」


 不気味な沈黙しか寄越さない英雄の隣に腰掛けたリヒトが、ハールに何かの小瓶を差し出す。ナーシャ駅前の宿屋の一室。今夜の宿泊先はきちんと取ってあるとの事で、そちらにもちゃっかり同伴させてもらったはいいが……結局、リルグの住人を1人残らず殲滅したという「大義」を成し遂げた割には、英雄の立ち振る舞いはどこか虚だ。そんな英雄の一挙手一動を見逃すまいと注目しているセバスチャンの視線を受けながら、いよいよ小瓶を手に取り、マスクを外し始めるハール。


(……⁉︎)


 しかし……マスクの下の異様な顔を見た瞬間に、体のありとあらゆる神経が縮み上がるのを感じる、セバスチャン。彼の肌はただただ赤く、瞳に白目はなく、まるで緑の宝石が嵌っているかのように輝いている。そして、無我夢中で小瓶の中身を啜り、口元に生え揃った牙を赤く染める様相はさながら、哮り狂う猛獣のようだった。


「ミカエリス様が驚くのも、無理はありませんよね。……今のハール様は“大いなる業”の最終段階・ルベド……神人合一の状態に入られております。……ハール様は忌まわしき迷い子達に裁きを与えることで、神に近しい存在になろうとしているのですよ」


 あからさまに異常な光景に、セバスチャンが怯えているのにも、きっと気付いているのだろう。それでもどこか高揚としていて、どこまでも他人事を装う口調で言い含めるリヒト。彼の冷静さも含めて……この状況の何もかもが、恐ろしい。


「……怖がるのも無理はありませんよね。でも、普段から悪魔を研究しているミカエリス様には、何か思い当たることがおありなのでは?」

「そうですね……。確か、とても偉い悪魔の中に、真っ赤な肌を持つ鬼神がいると聞いたことがありますね。名前は僕も知りませんけど……伝承によると、その大物悪魔は炎の角を持つと言うくらいなのですから、水を操るハール様とはかけ離れている気がします。でも……僕には正直なところ、ハール様のこの様子は神様になると言うよりかは、そっちの鬼神になりかけているんじゃないかな……なんて思いますね」

「フフフ、正直で結構。まぁ、普通の人の感覚ではそうなりますか。それに……ミカエリス様はお詳しいですね。あなたのおっしゃる、赤い肌を持つ悪魔は……きっと、憤怒の真祖・サタンのことでしょう」

「憤怒の真祖?」

「えぇ。魔界にはそれぞれの領分を司る親玉の悪魔が、8人ほどいるのです。サタンは中でも、憤怒を根源とする悪魔でして。怒りの感情を礎に、桁外れの怪力を発揮するとも言われていますが……何れにしても、天使様達の活躍で彼らがこちら側にやってくる事は滅多にないようですね。しかし……そんな天使様達の監視を掻い潜って、人間界にやって来たとなると、かつてのハール様が対峙した黒い悪魔はもしかしたら、それらの大物に近しい存在だったのかも知れませんね?」


 見た目が子供の割には大人びた口調で、譫言のように呟くリヒト。そうして嬉しそうにクスクスと笑って見せるが……彼の瞳はどこか寂しげだ。


「……あぁ、そうだ。そろそろ、夕食の時間でしょうか。ハール様はもう人間の食事を摂る事はありませんし、私達だけで済ませて参りましょう。それに私達がハール様と一緒に眠るのは、恐れ多いことでもあります。ミカエリス様と私の部屋は隣になりますので、ここで一旦失礼致しますね。……ハール様、それではおやすみなさいませ」

「……」


 リヒトの言葉に素直に頷くと、再びマスクに顔を埋めるハール。そうしてまたどこか虚な状態に戻ると、椅子に腰掛けたままの姿勢で眠り始めたようだ。その光景にセバスチャンが驚く間も与えないとばかりに、リヒトが退室を急かしてくる。そうして、彼の指示に仕方なく従うものの。リヒトも含めてやはり、教会関係者というのはどこまでも胡散臭いと……いつかの疑念を一層濃くする、セバスチャンだった。

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