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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第12章】恋はいつだって不思議模様
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12−12 しがない小説家のヒロイズム

 この馬車はどこに向かうのだろう? ここ数日、ずっと山道を登っている気がするが……。

 馬車に揺られながら、自分が置かれている状況を整理するセバスチャン。3日前ほどにリンドヘイム聖教に取材を申し込んでみたらば、先方としても彼の申し出は願ってもない事だったらしい。そうして、取材を快諾してもらった挙句に、セバスチャンはあろう事か勇者ご本人の「お仕事」に同行できるという、厚遇にも恵まれていた。そんな移動中の向かいの座席には、紛れもなくあの英雄ご本人が座っている。しかし、セバスチャンはこの厚遇が期待通りのものではなかった事を、薄々感じ取り始めていた。


「あの……そう言えば、ハール様はどうしてマスクをしていらっしゃるのです? 折角のお顔が見えませんけど……」

「顔を晒せば、彼自身が偶像化してしまう危険性があります。本来は神に向けられるはずの信仰が、ハール様だけに向けられるのは、避けなければなりません。このマスクは、誤信予防のためなのです」

「そ、そうでしたか……」


 ハールの従者だと言う付き人……リヒトと言うらしい……が横からすかさず答えてくれるが。だとすれば、かの「特別公開」の際に堂々と顔を見せていた教皇はどうなるのだろう。どこか抑揚のない声色で差し障りのない説明をされても、強烈な違和感しかセバスチャンの中には残らない。そして……ある疑念が擡げ始めると、彼の妄想は止まるところを知らない。


(もしかして、マスクは素性を隠すためのものなんじゃなかろうか……)


 だとすれば、いよいよマスクを剥がさなければ。

 英雄になる前の騎士様の身元を確認して、できれば家族がどうしているのかも調べ上げて、教会が何をしているのかを掴まないと。それで……もし、教会が悪魔の手に落ちているのなら……!


(悪霊退散! 僕がその正体を暴いて、鉄槌を下してやるのだ!)


 ……しがない小説家のヒロイズムというのは、得てして底が浅い。どこまでも広がる妄想という名の効果で、いよいよ夢の境地へ踏み込むセバスチャン。都合の悪い事を顧みることさえ忘れている彼には……パトリシアに雷鳴石(もどき?)が、悪魔退治には何の効力もない事を指摘された事さえ、忘却の彼方だった。


***

「お邪魔しま〜す……ってあれ? 確か、君は……」

「あっ! ハーヴェン様、お久しぶりです!」


 秘密のポータルを潜って受付に出てみれば、そこにはいつぞやの市役所で見た顔があるのに、驚いてしまう。なぜ、彼女が市役所ではなく、あろう事か孤児院の受付にいるのだろう? ……どうやら、パトリシアさんも俺がの疑問に気づいたらしい。きちんと初対面の子供達にも丁寧に応じながら、事と次第を説明してくれる。


「そちらのみんなは初めまして、ですね。先日から受付兼、事務で働いております、パトリシアと申します。えぇと……市役所をクビになっちゃったので、こちらで働かせていただける事になりまして。今後とも、よろしくお願いいたします」


 どこかはにかみながら、彼女が説明してくれた内容によると……どうも、パトリシアさんは例の区長の巻き添えを喰ったらしい。それはそれは、随分と運が悪かった事で……。


(またやらかしてくれたのか、あの区長さんは……)


 パトリシアさんの切ない身の上話に、必要以上に頷きながら食い入る子供達の様子を見るに……間違いない。この子達の中で、例の区長はしっかりと悪者認定された感じだろう。殊、エルノアとハンナが自分の事のようにプリプリと頬を膨らませ始めたのが、どことなく不穏だ。


「ひどーい! パトリシアさんは悪くないのに、お仕事を辞めろだなんて!」

「本当ですね! その区長さんは引き際までみっともないったら、ないです。これから、たーくさん苦労すればいいのに!」

「あ、あい……そこまで言う事はないと、思うでヤンす……」

「エルにハンナも、落ち着いて。ここでそんなに怒る必要もないでしょ?」

「姫様、そうですぜ。ここは1つ、坊ちゃんのいう通り、ちょっと落ち着きましょうや。ほら、こうしてパトリシアさんはここで働けているんですし……」

「まぁ! どうして、坊っちゃま達はそんなにも薄情なのですかッ⁉︎」

「えっ……」


 人数は男の子達の方が多いはずなのに、女の子達の方が圧倒的に威勢がいいらしい。俺としては、意見の違いをぶつけ合うのも、とても大事だとは思うものの……しかし、ここは孤児院の受付なんだよなぁ。愛しの我が家であればともかく、選りに選って他所様のエントランスで睨み合い始めた彼らを、仕方なしに仲裁する。全く……感情移入するのは、大いに結構だけど。こんな所で騒いだら、いけません。


「ほらほら、喧嘩しないの! 確かに、区長さんのやり口はあまりに悪いだろうけど……パトリシアさんもここで働ける事になったんだから、ひとまず良しとしなさい。……ごめんな、パトリシアさん。受付でいきなり大騒ぎして……」

「いいえ、大丈夫ですよ。それに……こんな風に私の事で怒ってくれるのも、何だか嬉しいです。フフ。平日は大抵ここにいますから、みんなもこれからよろしくね」

「うん! また遊びに来るの!」

「はい! こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 最後はきちんと明るい笑顔で応じてくれるパトリシアさんに、プランシーもかなり有望な人材をヘッドハントしてきたと、納得してしまう。きっと彼は彼で、孤児院開設の時に親身になってくれたパトリシアさんをとても気に入っていたのだろう。

 そんな年甲斐もなく、ちゃっかり若い女の子の勧誘を成功させた院長先生を探せば。元病室の一室で、子供達に文字を教えている姿が目に入る。あぁ、なるほど。いつかにルシエルとも話していた気がするが……プランシーは本気で、彼らに生きていく術と知識をしっかり身につけさせるつもりなのだ。


 現代のローヴェルズの識字率がどのくらいなのかは、分からないが。少なくとも、俺が人間だった時代は読み書きができない奴の方が圧倒的に多かった。もし、その辺りの事情が現代も変わっていないのなら、「読み書きができる事」は社会的な強みにもなり得る。特に、現代のように貧富の差がハッキリしている社会構造で、どん底から這い上がるには……どんなに些細でも、学があるかないかの差が明暗を分ける事にもなりかねない。


「こんにちは……って、お邪魔だったかな?」

「おや、ハーヴェン様。それに、みんなもこんにちは。お邪魔だなんて、とんでもない。ちょうどそろそろ、休憩にしようと思っていましたし……はい、それでは皆さん。今日はここまでにしましょう。質問がある子は後で私のところに来てくださいね」


 朗らかに言いながら、生徒さん達に優しく微笑むプランシー。きっと子供達も教えてもらっている事が、いかに重要なことかをよくよく理解しているのだろう。お勉強が中断されて、やや名残惜しそうな彼らに申し訳ない気分になりつつも……コンタローと一緒に手元のバスケットを示して見せれば、すぐに曇り顔が綻ぶ。

 それにしても、しばらく来なかったうちに随分と人数が増えた気がするな……。今や教室になっている部屋を見渡せば、ざっと20人位はいそうだ。


「ホッホッホ。今日はお菓子がいっぱいで、嬉しい日になりそうですね。折角ですから、みんなで食堂に行きましょう」

「お菓子がいっぱい……? いや、プランシー。悪いんだけど、1人1つくらい分しか用意してないけど……」

「あぁ、失礼いたしました。決して、そういう意味ではありませんよ。実は今日はもう1人、この子達にお菓子を差し入れしてくださった方がいまして」

「もう1人、差し入れをくれた人がいる……?」


 背後について来る彼らを見れば、既にうちの子達ともしっかり馴染んで、楽しそうにしている。その様子に安心しながらプランシーの言葉に耳を傾けるが、彼の言葉からするに……例の区長さんの顛末が予想外の方向に転がって、妙な事になっているらしい。しかも……。


「へぇ……あのアーニャが、ねぇ……」

「えぇ。どうやらその方にご興味がおありみたいでして。お見送りがてら、夕食の買い出しに出かけていますよ」


 アーニャが人間相手に興味を持つなんて、思いもしなかった。しかし、プランシーの口ぶりからするに……多分、彼女の記憶の何かが引っかかるんだろう。

 かつての俺もそうだったが、記憶喪失の悪魔というのは得てして、自分の記憶を引き出してくれそうな物や相手に執着する傾向がある。そして……それを何がなんでも手に入れたいと渇望するし、手に入れた暁には絶対に手放したくないと切望する。1度手に入れた物を手放すのは、とても辛い事であると同時に、一種の恐怖でもあって……それが命あるものであれば尚更、相手がいなくなるのは、これ以上ない程の苦痛でしかない。

 しかし、相手が人間だとすると、寿命があまりに釣り合わない気がするが。その辺り……アーニャは分かっているんだろうか?


***

 心なしか急激に冷え始めた辺りの空気に身震いしていると、準備よく用意してあったらしい分厚めの外套をセバスチャンに差し出すリヒト。彼の親切な様子に少しばかり、気分を落ち着けるついでに、自分達が今いる所在を尋ねてみる。


「あの……リヒト様。ここはどこでしょうか?」

「ミカエリス様はナーシャにおいでになるのは、初めてですか?」

「えぇ。しかし、ナーシャ……ということは、まさかロマネラの天空都市ですか?」

「流石、方々を取材で駆け回っているだけはございますね。まぁ、天空都市を騙るには少々不足がありますが、そんなことはどうでもいいでしょうか。ここ、リルグはナーシャ地方の中でも標高が高い場所にあるせいか……文化的に非常に遅れている部分がありましてね。我らの神を受け入ればいばかりか、否定したものですから。とうとう、闇に飲まれてしまったのです。そこで、我らがハール様の出番と相成ったのですよ! ですからミカエリス様には是非、ハール様のご活躍をしっかりと見届けていただき、素敵な物語に仕立てていただきたいッ!」


 どうもリヒトの信仰心は神そのものよりも、ハールに向いている気がするが。先ほど偶像化を避けると説明していた同じ口で、暑苦しくハールの凄さを語り出す。セバスチャンもウンウンと頷いて、表面では彼の意見を肯定するものの。……限りなく真っ黒な違和感を感じては、疑念を深くしていた。

 確かに、セバスチャンが自分の足でナーシャを訪れたことはない。それでも……この地が現在のローヴェルズのエネルギー資源を賄っていることくらいは、ある程度、知ってもいる。技術的な面において、グランティアズの援助を受けているはずの都市を、改宗を受け入れないという理由だけで「文化的に遅れている」と決めつけるのは、高慢以外の何物でもないだろう。


(いよいよ、僕が活躍する時が来たようだね……! フフフ……! こうなったら、僕自身の伝記を残すのも面白いかもしれないなぁ)


 しかし、その高慢ささえも軽く受け流し……やはり浅いどころか、ややもすると底が盛り上がっているのではないかと疑われる程に、軽薄な英雄主義に酔い始めるセバスチャン。

 ……栄光の予感というのはこれまた、人の感覚を大いに鈍化させるものらしい。この期に及んで尚、ありったけの自信の拠り所にしていた雷鳴石(もどき?)の存在をすっかり忘れているのだから……彼もまた、色々な意味で高慢だと言わざるを得ない。

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