11−58 誰かがいなくなること、誰かが残されること
「……ジャーノン。これは、何の冗談だ?」
「特に他意はありません。ただ、親しい相手には転居の知らせを出しておいた方が良いと思いまして。あらかじめ、所在地と日取りをお伝えしてあっただけです」
グリーン・エリアの閑静な住宅地の奥地に、堂々と陣取る緑屋根の邸宅。元の青屋根の大豪邸に比べたら、随分と控えめな規模だが。それでも、大都市・カーヴェラでも相当の高級住宅だろう。そんな新天地の新しい部屋で……愛用のワインレッドのソファに腰を落ち着けたと思ったら、犬猿の仲である大物商人が険しい顔をして、ホーテンの前に確かに立っているのが目に入る。
「ワシは、この大年増と親しくしていた覚えはないぞ。ジャーノン! 一体、どういうつもりだ⁉︎」
「……おや、左様でしたか? 商売を抜きにすれば、マダム・カトレアを置いて他に、ご隠居の話し相手に相応しい方はいないと思っていたのですが」
しっかりとホーテンを「ご隠居」と呼びながらも、悪びれる事もなく言い放つジャーノン。その「悪ノリ」ついでに、カトレアに椅子を勧めると……そのままお茶の準備を言い訳に、いそいそと退出していく。そうして、どこか置き去りにされた重たい空気の中、対峙する2人。しかし、しばらく睨み合っていたかと思うと、どちらからとでもなく……さもやりきれないと、ため息をつく。
「レリアが亡くなってから、もう36年ですか」
「そうだな。……あいつもワシのところに来なければ、今も変わらず、お前の店で働いていたのかも知れんな」
「どうでしょうね。……あの子が既にこの世にいないのは、何もあなたのせいでもないと思いますよ」
そう言い合いながら、2人の大商人が更に深いため息をつく。
レリア。ホーテンがかつて他の誰よりも大切にしていた、最愛の妻であり……カトレアがかつて他の誰よりも愛していた、実の妹。しかし、レリアはちょっとした小競り合いに巻き込まれた時の怪我が原因で……ホーテンが手を尽くす間も与えずに、まるで彼を見捨てるかのようにアッサリとこの世を去っていた。
「今更、どうあがいても、あいつはワシの元には戻ってこない。……こんなに長い間、ワシを1人にしおってからに。憎らしいったらないぞ。少しは、残される側の気持ちも考えろ……と言ったところで、情けないと笑われそうだな」
「フフ、でしょうね。あの子は勝ち気で、怖いもの知らずでしたから。でなければ……カーヴェラを仕切るマフィアに嫁ぐなんて、奇行に走ったりはしなかったでしょうね」
「全く……嫌味にわざわざ、トゲを仕込みおって。これだから、大年増は好かん」
「あら、そう? でしたら、嫌がらせついでに……またお邪魔するのも、悪くないかもしれませんね」
「フン、好きにしろ! どうせ、ワシは隠居した身だ。時間だけは余っているし、世間話の相手くらいはしてやっても構わんぞ」
喧嘩腰の物言いとは裏腹に、ようやく笑いをこぼす年配の大商人2人。
かつてのやりきれない出来事を、何かのせいにするのは容易い。しかし、彼女の死を何かのせいにしたところで、誰かが責任をとってくれることはこの先、絶対にないことだ。
誰かがいなくなること、誰かが残されること。そればかりはどんなに望もうとも、決して避けることのできない、この世の定め。出会いが繰り返されるのと同様に……別れもまた、幾度となく繰り返されてきた、この世界の不条理でしかないのだから。




