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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第11章】調和と不協和音
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11−54 どこぞのバカとは大違い

「お、オジキ! これは、どういう事なのですかッ⁉︎」

「……そう朝から騒ぐな。どういう事も何も、ジャーノンからは説明もしてあっただろうが。家督を譲る会議をすると告知してあったにも関わらず、一昨日出てこなかったのは、お前の方だろう」

「し、しかし……!」


 ようやく少し熱が下がったので、「風邪でも頑張っています」アピールをするつもりで、ペラルゴがホーテンの姿を探せば。屋敷中が妙に騒がしい。忙しそうな小間使いをようやく捕まえて事情を聞くと、ホーテンは昨日限りでドンの座をビルに引き継いだとかで……早々に隠居準備に追われているという事だった。

 とは言え、探す間もなくホーテン自身は場違いにも程があるエントランスで、愛用のワインレッドのソファに身を沈めながら様子を見つめているだけだったが。


「これからは……ビルが家長という事になるのですか? という事は、彼はグリードとの取引を成立させたと?」

「本当に、お前は重要なことも忘れてしまうのだな。急を要する事態になったので、さっさと隠居すると言ってあっただろうが。……ワシとて、つ条件を満たした者に家督を譲りたかったが、条件を満たしているジャーノンはワシの隠居について来ると言い張って、首を縦に振らん。……そこで仕方なしに、今残っている中で最も納得できる相手に家督を譲ったまでだ。……これは既に決まった事。お前が今更、しゃしゃり出てきて喚こうとも覆ることではない」

「今、何と? ジャーノンが要件を満たしている……?」


 自分が達成できなかった条件を、ジャーノンが達成しているだって? そんなバカな。

 勝手にライバルだと思っていたジャーノンをまたも引き合いに出され、ペラルゴは奥歯をギリギリと噛み締める。最近、何かにつけジャーノンと比較されていたペラルゴは、彼の名を聞くだけで渋い顔をしてしまうのだが……ジャーノンの方はペラルゴをライバルどころか「困った坊っちゃま」としか思っていなかったりするので、これは完璧にペラルゴの一人舞台である。


「あぁ、確かにそう言ったな。ふむ、厳密に言うと少々違う気もするが……ジャーノンはグリードから商材をタダで受け取ってきた上に、取り引きの傾向をしっかり掴んできたぞ。勝手に取引会に潜り込んだ挙句に、風邪を引いて寝込んでいた、どこぞのバカとは大違いだな」

「……私とて、好き好んで寝込んでいたわけではありませんよ。この間の取引会だって、私は参加して然るべき内容だったのです。……まぁ、肝心の画商との話はまとまりませんでしたが、情報収集はそれなりにしていたのですよ?」

「ほぉ? ……洋装店と雑貨屋のマダムにやり込められるのが、お前の情報収集の手口なのか?」

「ど、どうしてそれを……?」


 間抜けな返事を寄越す甥っ子に、さも情けないと呆れ顔を作るホーテン。頼みもしない話を吹っかけてくる甥相手に間が持たないと、ホーテンがイライラしていると……少し困惑しながらも、1人の若いメイドが盆に何かを乗せてやって来る。


「ホーテン様。ジャーノン様よりお茶をお出しするよう、仰せつかって参りました。よろしければ、こちらをどうぞ」


 若干、おどおどしているメイドが差し出したお茶を受け取るホーテン。待ちわびたとばかりに、お茶を口に含むと……いつもながらに的確なチョイスに、流石のホーテンも唸る。見た目は普通のミルクティーだと思っていたが、程よく体を温め、ほのかに舌先を刺激してくるのを感じるに……生姜のシロップ漬け入りのようだ。


「……相変わらず、あいつはどこでワシを見張っているのやら。それで? ジャーノンは準備には、どのくらいかかると言っていた?」

「おそらく、30分位だとおっしゃっていました。その間に、こちらをごゆっくりお召し上がりくださいと言伝をいただいております」


 お茶に続いて、素朴な味わいのクッキーを口に含めば。ホーテンもようやく気分を落ち着かせると同時に、メイドとお喋りに興じる余裕を取り戻す。クイと片眉を戯けた様子で上げつつ、ホーテンはペラルゴを半ば無視する形で、メイドに話しかけた。


「そうか、そうか。そう言えば、お前は見慣れん顔だな。新入りか?」

「は、はい! 3日前程からこちらにご厄介になっております、チネッテと申します。それで……本日からはホーテン様の隠居所での御身周りを担当する事になりました。……よろしくお願いいたします」


 チネッテと名乗った若いメイドが改めてピョコンとお辞儀をすると、彼女の様子が初々しいのを認めて、ホーテンは気分が和らぐのに気が付く。おそらく、ジャーノンは隠居先ではあまりピリピリした雰囲気の女中を置くつもりもないのだろう。そこで改めて新しいメイドを雇った……ということか。


「……ジャーノンが選んだにしては、とても可愛いお嬢さんですね。しかし……見たところ随分とお若いとお見受けしますが、行き先がオジキの隠居所で大丈夫ですか? もしご興味があれば、美術館で働く気はございませんか?」


 しかし、何やらチネッテが気に入ったらしいペラルゴが、いつもの気取り屋の調子を取り戻して、あろうことかホーテンの目の前で堂々とメイドの横取りにかかる。ペラルゴの横暴を苦々しく見つめながら、甥っ子の誘い程度でフラつく尻軽はいらぬと、答えを待つホーテン。そんな渦中のチネッテは突然の申し出に、いよいよ困惑した様子を見せたが……ペラルゴの表情に、有り余る下心を見透かしたらしい。やんわりと、それでいてしっかりと申し出を断る。


「すみません……私自身はリニアーテ出身の田舎者ですので、華々しい場所でお役に立てるとは思えません……。こうしてお茶を出すくらいしか能がありませんし、ジャーノン様からもしっかりと前金をいただいております。ですので、お申し出をお受けするわけにはいきません」

「……フン! どいつもこいつも、ジャーノン、ジャーノン……! あぁ、本当に腹立たしい! 皆さんは揃いも揃って、あいつの何がそんなにいいのでしょうね⁉︎」

「少なくとも、お前よりは遥かにマシだろうな。それはそうと……お前の言う“どいつもこいつも”には、ワシも含まれているで、間違っていないのか?」

「え……はっ? いえいえ、そんな事はありませんよ? オジキはもちろん別ですよ。何を言っているんですか〜」

「もういい、下がれペラルゴ。お前と話をするのは、非常に疲れる上に癇に障る。いい加減、自分の立場くらいは弁えろ。とりあえず美術館は丸ごとくれてやるから、そっちできちんと成果を出す事だ。……これ以上、ワシを不安にさせるな」


 とうとう疲れ果てたとでも言うように、深々とため息をつきながらペラルゴを遇らうホーテン。彼の様子にいくら鈍感なペラルゴでも……これ以上ホーテンを刺激するのは危険だと判断して、そそくさとその場を後にする。結局、家長の座は逃す事になったが、美術館だけは手元に残ると確認できて、ひと安心だろうか。


(……そう言えば、シャリアは昨日出て行ったんだっけ……? 本当に、どうするつもりなんだろうねぇ……)


 自分が寝込んでいる間に、薄情にも挨拶1つせずに出て行った従妹の現状を思い浮かべる。きっとある程度の支度金は渡されているだろうが……ホーテンの様子だと、そこまで手厚い金額を渡しているとも思えない。


(それこそ、新天地で再出発……も難しいか。彼女が有名なのはきっと、カーヴェラに限った事でもないだろうし。……ルクレスで暮らすのは、無理だろうな。どこに行ってしまったのやら)


 そこまで考えて、明日は我が身とペラルゴは改めて身震いする。その身震いは多分、風邪のせいだけではないと思い直すと、とりあえず午後は美術館に顔を出す事に決める。……結局、ルルシアナ家にとっては一大事のホーテンの引越しさえも他人事にしか感じない程に、どこまでも薄情なペラルゴであった。

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