11−44 うってつけの話題
話が纏まらなかったので、各員に「自己推薦文」を提出させることになったが。その状況は、待たされることが何よりも嫌いなホーテンの神経に障ること、この上ない。いつものワインレッドに身を沈めながら吐き出されるため息は、行く当てもなくもがいている。
「……まさか、幹部共までもがここまで情けないとは、思いもせなんだ。……あぁ、やれやれ。ワシは今まで一体、何をしてきたのだろうな……」
そうして自身が吐き出した、ため息の行方に責任を取るでもなく。さもくたびれたと、ホーテンが呟く。
「そう気を落とさずに。現状でドンが家長でいるのが危険である以上、あらかじめ出ていた跡目の話に乗って一旦身を引くのは、正しい判断だと思います。相手の出方次第ではありますが、今朝も取引の継続を打診された以上、彼らはまだオトメの安定供給に漕ぎ着けている訳ではないかと。おそらく……ドンのお命を狙ったのは、別の目的があってのことでしょう」
全く。見た目は子供のくせに、あの女狐め。
リンドヘイム聖教の教皇だと名乗った少女の面影を思い浮かべ、さも忌々しいとホーテンが毒づく。相手がリンドヘイム聖教等という「大物」でなければ、とっくに報復しているところだが。魔法も含め……どことなく後ろ暗く、胡散臭い彼らに私情で手を出す程までには、ホーテンは軽率ではない。
「あそこまでシャアシャアと綺麗事を並べられると、却って不愉快だったが……奴らの二枚舌は、今に始まった事でもないか。極めて不本意だが、ワシもまだ命は惜しい。このまま状況を見守るしかないだろうな。……ルルシアナの行く末を見届けるまでは、死んでも死に切れん」
「フフ、そうですね。……そのお言葉を聞いて、安心しました」
「うむ? 何がだ、ジャーノン」
「えぇ。最近、随分と弱気なご様子でしたから、ルルシアナ家を諦めてしまったのではないかと、失礼ながら心配していたのです。ですが、ドンは違いますね。誰よりもルルシアナ家の行く末を見据えておいででしたので、私如きが心配する必要はないと、身勝手ながら考えを改めた次第です。……大変、失礼致しました」
「フン! 相変わらず、お前は変なところまで気を回しおって。だったら、少しは明るい話題を振りまかんか。サッサとさっきの続きを聞かせろ!」
「承知いたしました。話の続き……グリード様のことですね」
理不尽な口調の割には、明らかにワクワクしているホーテンのワガママをあっさり飲み込んで、ジャーノンが続きを語り始める。周りが面倒事ばかりのホーテンにとって、燻っていたはずの冒険心を掻き立てる商人の存在は、ちょっとした息抜きとしても、眠る前の夢物語にするにしても……これ以上ない程に、うってつけの話題だった。
「グリード様は魔力遺産を商材として扱っているだけではなく、現代においても魔力遺産そのものを生み出す術をお持ちの様です。今日お目にかかった短剣は、グリード様が用意した魔力素材で、知り合いの鍛冶屋に仕立てさせた武器というお話でした」
鞘から抜いた瞬間に、美しい炎を吐き出す短剣。新生ハールの水の魔法よりも、清らかで力強い炎はジャーノンの記憶の中でも、生き生きと煌めいていた。
「そんな短剣があるとは……! だとすれば、グリードは魔法遺産を意のままに用意する手段を持っているということか?」
「おそらくは。素材自体も貴重なものに間違いないでしょうが……。ただ、その顛末には少々驚くべき内容がございまして」
「うむ? これ以上に、驚くことがあるのか?」
「はい。そんな貴重なはずの武器を、奥様の知り合いだからという理由だけで……無償でレディ・アーニャにお渡ししていたのです」
「なんだとッ⁉︎」
現役の魔力遺産は、全てが総じて貴重品。魔法効果込みで使えるだけで、白銀貨クラスの金額で取引される代物なのだ。それなのに……現役の魔力遺産を無償で提供するなど、ホーテンにしてみればあり得ない事である。
「ザフィ先生によりますと、グリード様に取引をお願いする場合は、奥様を説得するのが早道だとか。普通は断られる内容でも、奥様がお願いしてくれればアッサリ引き受けてもらえるそうです。この事から、奥様に交渉した方が効果的であると言えそうです」
「グラニドの話では、奥方は相当の美女だそうだが。グリードも美女には弱いということか」
「その様ですね。帰り際にしっかり洋服と靴をねだられても、何食わぬ様子でアッサリ承諾していましたし……その奥様はまさに絶世の美女、と呼ぶに相応しいご容貌でしたので。あれ程の商人でさえも虜にするのも、頷けるというものです」
好色なペラルゴならば、ともかく。堅物のジャーノンにまでそこまで言わせるとなると、かの奥様は紛れもない絶世の美女なのだろうと、ホーテンは思いを馳せるが。彼自身は既に「最愛の相手」を失っている手前、色恋沙汰は今ひとつ、ピンと来ない。彼にとって重要なのは、奥様がいかに美女かということよりも、グリードがどんな奴なのか……である。しかし、交渉の糸口を奥様が握っているとなると、多少は興味を向けておいた方が良さそうかとも考える。
「何れにしても、お前の話は貴重な内容だ。……いずれ取引を持ちかけられればいいのだが、まずは奥方へのアプローチを検討した方が良さそうだな。折角だ。例の菓子折りのついでに、引き続き情報収集を頼むぞ」
「心得ております。……さて、ドンはそろそろお疲れでしょう? おそらく本日中には跡目の決着は着かないでしょうし、推薦文は私が逐次、受け取っておきます。寝所とジンジャー入りのホットワインを準備させて参りますので、少々お待ちください」
「……お前は何を持って、ワシの気分を嗅ぎ取っているのやら。チョコレートの気分ではないと、なぜ分かった?」
「これといって、大した理由はありません。ただ、喉を痛めておいでであれば甘ったるいチョコレートよりも、純粋に体を温めるものが良いかと判断しただけですよ。最近は葉巻の減りが遅いところを拝見していても……少々、風邪気味なのでしょう? でしたらば……さ、大事にならないうちにお休みください」
「本当に憎たらしい奴だ。だったらば、サッサとワシを休ませろ! 今日もとても疲れたぞ……」
「承知いたしました。それでは……私はこれにて、失礼致します」
きちんと返事をしながら、退室していくジャーノンの背中を見送った後で、今までの事に思いを巡らすが。……思い通りにならない事だらけの世の中で、こうして誰よりも自分を心配し、誰よりも自分の機微を拾ってくる存在が今のホーテンには奇跡にさえ思える。
隠居を決意してみたはいいものの、孤独だと思っていた凍える身の震えを、別の身震いで覆される様な気がして……ホーテンはただ1人、ワインレッドに身を預けてはため息をつく。しかし、今吐き出されたため息は、当てはなくとも落ち着く先を見つけた様子。ひっそりと、しかし確実に……宵の空間に馴染んでいった。




