11−40 ホットレモネード
「ドン。それはそうと、少々お耳に入れたいことがあります。グリード様について、判明したことがありまして」
頼りない幹部達の様子に、ホーテンがあくびを噛み殺しているのにも、しっかりと気づいて。ジャーノンは仕方なしに、前向きな話題に触れてみる。この場で全てを話すのは難しそうだが……待たされるのが嫌いなホーテンの気晴らしくらいにはなるだろうかと、苦笑いを溢す。
「ほぅ? それはこのまま聞くには、差し支えのあることか?」
「多少は。ですので……いや? この様子であれば、内緒話くらいは許されそうですか?」
グリードと聞いて、難しい顔をしていたホーテンの表情が僅かに紅潮する。明らかに何かを期待す眼差しを受けて、ジャーノンはこの場で話していいかを判断するために部屋内の空気を窺うが。……そうして見やれば、彼らの話など耳に入らぬとばかりに、自分こそが家督を継ぐのだと声を荒げる幹部達の姿が目に入る。この様子であれば……小声で話すくらいなら、問題なさそうか。
「……実は今日、あの孤児院でグリード様にお会いしました」
「会った……? グリードに会ったのか? お前が?」
「えぇ。ドンは先日、見事な足技をご披露いただいたレディ・アーニャを覚えておいでで?」
「忘れろと言われても、忘れられんだろうよ。何せ、ここ最近で最も面白いことだったからな……」
目の前で起こった出来事を、鮮明に思い出したのだろう。ホーテンが久しぶりに笑顔を見せているのに安心しながら、ジャーノンが話を続ける。
「どうやら……レディ・アーニャをはじめ、孤児院の方々はグリード様の奥方のお知り合いだったようです。その繋がりもあり、注文されていたらしい薬草を届けに、グリード様が孤児院にお見えになったのです」
「薬草……? グリードは武器商人ではなかったのか?」
「えぇ、もちろん武器商人のようですよ。ただ……武器は彼の商材の一部のようでして。孤児院にいらっしゃったお医者様のザフィ先生によると、グリード様は瘴気内探索のエキスパートなのだとか。現に、ザフィ先生が注文していた薬草は、瘴気探索の結果に彼が持ち帰ったもので……瘴気の中でしか咲かない、幻の花なのだそうです」
「幻の花……?」
「それがこちらです」
ジャーノンはグリードから受け取った紫色の花を、ホーテンの前に差し出す。そうして差し出された花を、マジマジと見つめるホーテンだったが……。
「と、言われてもな。これは一体、何の花なのだ?」
「グリード様が常用している薬草とのことでしたが、ミルナエトロラベンダーと言うそうで……蕾1つで瘴気を清める効果のある霊薬のようです。尚、5グラムで金貨1枚ほどの値打ちがあるそうですよ」
「それを……まさか、買い付けてきたのか?」
「いいえ、買い付けたのではありません。ちょっとしたトラブルの結果、頂いてきたのです」
「金貨1枚程の価値があるらしいこれを……貰った、と?」
魔法の霊薬を買い付けるだけでも、相当に難しいだろうに。それを……貰った、だと? マフィアのボスである以前に、商人でもあるホーテンにしてみれば、俄かに信じられない話である。
「そうですね。……きっと場所が孤児院でしたし、私の存在に違和感があったのでしょう。初対面でいきなり、その場で立てと言われてしまい……目視にも関わらず、私が携帯している武器を逐一見抜かれたものですから、ますます危険人物扱いされてしまいまして」
しかも、ジャーノンの口から飛び出したのは、かなり物騒な内容だった。危険人物扱いまでされたと言うのに、何がどうなって、霊薬を「貰う」結末になるのだろう。聞いた話によれば、グリードは相当に腕が立つとの事だったが……。
「とは言え、一廉の商人とあって話が通じる相手で助かりました。きちんと説明致しましたら、ご納得いただけたので……誤解の詫びにと、こちらを頂いてきたのです」
「そうか、そうか。それは命拾いしたな。……なるほど。グリードは噂に違わず、かなりのやり手のようだ」
「えぇ、本当に。私は運が良かったのかもしれません」
そうして、生き延びた理由を「幸運」で片付けるジャーノンであったが。彼がこうして生きているのは、ただの幸運ではなかろうと勘繰っては、ホーテンはますます機嫌を上向かせる。
「それにしても、本当に驚きましたよ。携帯している武器を全て言い当てられただけではなく、私が長年鍛錬を積んでいるのを、即座に見抜いてくるのですから。しかも、ナイフに関してはお褒めの言葉までいただきまして。……ドンに頂いたこのナイフは、グリード様のお眼鏡に適う上物だったみたいですよ」
「フン、当然だ。それは特注品だぞ? アズル会幹部に渡すためにワシが仕立てさせたものなのだから、上物でなければ意味がない」
「そうでしょうね。……それで、特注品と言えば。グリード様が今日お持ちになったのはこの薬草だけではなく、レディ・アーニャのために仕立てた武器があると、そちらも納品されていまして。ただただ驚くことしかなくて、情けない限りですが。グリード様が知り合いの武器職人に仕立てさせたとかで……魔法素材を使った現役の魔力遺産と思われる武器でした」
薬草の話だけでもかなりの収穫だろうに、興味をこの上なく刺激する報告にいよいよ目を輝かせるホーテン。そして、気がつけば……誰もが、珍しく嬉しそうな顔をしているホーテンに注視していた。
「……コホン。お前達、何をしている。話は纏ったか?」
「あ、いえ……まだ決まっておりませんが」
「一体、何の話をされているのですか? 相当に面白い話のようですが?」
「……まぁ、な。とは言え、お前達に共有する必要はないと思っておる。……サッサと跡目を決めんか。ワシは待たされるのが、何よりも嫌いだ」
「は……そ、そうですね」
「えぇと……どうする? この場で多数決……は意味がないよな」
折角のドンのご機嫌を損ねては大変と、本題に戻る幹部達。しかし、この調子では跡目が決まるにはまだ時間がかかりそうだ。そんな事を考えつつ……ミルナエトロラベンダーを懐に仕舞い込みながら、ジャーノンはホーテンに小休憩を提案する。
「……しばらく時間がかかりそうですし、お茶でもいかがでしょうか?」
「うむ……そうだな。喉が渇いた。……最近の空気は乾燥しすぎていて、老いぼれの喉には厳しいものがある」
「かしこまりました。でしたら、すぐに蜂蜜入りのホットレモネードをお持ちします。少々お待ちください」
「フン。そこまで分かっているのなら、早くせんか。……ワシは待たされるのが嫌いだと、言っているだろう」
相変わらずの駄々を容易く了承すると、小さく返事をして退出するジャーノン。しかし……。
(跡目が決まったところで、ドンはどうされるおつもりなのだろう? ルルシアナ家はもとより、アズル会の取引も結局はドンが仕切っていたのだし……。今の彼らに、ドンの重役をこなせる者がいるのだろうか……)
跡目を継ぐのは、それはそれは結構な事だ。だが、跡目を継いだ後に「どうするか」までを見越している者が彼らの中にいるとは、ジャーノンにはとても思えなかった。
ルルシアナ家の当主ともなれば、このカーヴェラ一帯で間違いなく大きな幅を利かせることは可能だろう。しかし、その権威も横暴も……ホーテンだったから、維持できていた部分も大きい。本当の意味で権力を維持するのには雑多な根回しも含めて、かなりの我慢と知性が要求される。当然ながら、ただ暴れればいいというものでもなく……さっきの様子を見る限り、彼らにはそれを理解するのは難しいように見える。
ホーテンは隠居した後も、見守るつもりなのか……あるいは、昨今の不祥事続きで色々と諦めてしまったのか。身を粉にして築き上げてきたものがアッサリ崩れていくのに、ホーテンはとうとう遣る瀬なくなったのか?
(いや、違う。ドンはこの程度のことで、ルルシアナ家を諦めたりはしないだろう。……自ら身を引く事で、現状を俯瞰するおつもりなのだ)
いくら火消しに回っても、次から次へと付け火に精を出すシャリアの鎮火は、もう不可能に近い。元々彼女を区長に据えたのには、彼女自身の強い希望もあるにはあったが……政治家一家としての名を盤石化させる事で、権威を補強する目論見だったのだ。しかし、それも完全に裏目に出ており、かつては高名なカーヴェラの名士として通っていたはずの名も、いつしか新聞に面白おかしく描かれる道化師に成り変わっている。おそらく……その元凶も含めて、一切合財自分ごとルルシアナ家から引き離し、ホーテンは悪名を少し精算するつもりなのだろう。
ジャーノンはそこまで考えたところで、もう1人の悩みの種について思い巡らす。彼にも非常に重要な会議があると、きちんと伝えてあったのだが……。
(こんな肝心な時に、ペラルゴ様は何をされているのだろうか……。風邪を引いたとのことでしたが……今日の会議こそ、不調を圧してでも参加しなければいけないでしょうに……)
取引会に紛れ込んでいたペラルゴだが、昨晩はベッドで眠れなかったとかで……朝方屋敷に帰ってきた途端、高熱を理由に床に伏していた。昨晩ベッドで眠らなかったのはジャーノンも同じはずだが、体の鍛え方以前に精神が弛んでいると言った方が正しいのかもしれない。どう転んでも前途多難だと、レモンの輪切りを茶器に忍ばせながら、ジャーノンはため息をつく。隠居したところで、ホーテンが平穏な日常を送るのは……かなり難しいようだ。




