11−32 復讐するための力
どこの誰だか知らないが。気まぐれなお節介に助けられ、裏路地に無事逃げ果せたタールカは胸を撫で下ろす。
兄が行方不明になって、数日後。兄の代わりにやって来たのは、ローヴェルズの将軍・フェイランという女騎士だった。彼女によれば……エドワルドがとある背信行為をしたとかで、身分剥奪の沙汰が決まったのだと一方的に告げられたその日から、タールカの人生は転落続きだ。
旧カンバラ時代から綿々と続いてきたアイネスバート家の威信さえも、崩れるのは一瞬。残酷な程にあっさりと、その幕がストンと落ちる。代々王宮騎士として地位と名声を築いてきたアイネスバート家にとって、実質の家長でもあり、まさに王宮騎士として名を馳せていたエドワルドの失墜は命取り。新しい家主を迎えても、プライドだけは残したまま居座り続ける親子には、下働きさえまともにできるはずもなく。そんな彼らへの視線と扱いは、日を追うごとに冷たくなっていき……とうとう、苦境に耐えかねたのだろう。ある朝、寝床として与えられた厩でタールカを残して首を括った母は……気づいた時には、既に冷たくなっていた。
先代の父親はタールカが3歳の時に既に亡くなっており、エドワルドを失ったアイネスバート家に生活費を稼げる手段はない。だから、自分の首を括る覚悟も持てないままのタールカは屋敷を追い出された後、仕方なくカーヴェラの裏路地を彷徨っては……物乞いをしながら命を繋ぐという、あまりに屈辱的で惨めな状況に身を置いていた。
(兄様はどうして、そんな事をしたんだ……? 兄様のせいで……兄様のせいで……!)
こんな屈辱の元凶でもある兄を、恨んでも恨みきれない。
今まで誰彼構わず高圧的に接してきたタールカに救いの手を差し伸べる者は、当然ながら皆無。……寧ろ、誰もがここぞとばかりに彼を虐め抜く。
先ほど彼を痛めつけていた4人もそんな奴らの一部で、元々はアイネスバート家よりも格下の中流貴族であったはずなのだが、タールカの転落が面白くて仕方がないのだろう。まるで猟犬が獲物を追い詰めるかのように、毎日のように器用にタールカを路地裏から見つけ出すと、表通りに引き摺り出しては、大勢の前で唾吐く行いを繰り返し、溜飲を下げていた。
「……ねぇ、君」
「……?」
たった数日の事なのに。まるで、長い時間を過ごしてきたかのような苦境を思い浮かべては、唇を噛み締めて俯くタールカだったが。そんな彼に不意に話しかける者がある。そうして、恐る恐る声の主を見上げれば。そこには、タールカと同じくらいの年齢の男の子が立っていた。ただ……。
(角と尻尾? こいつ……精霊落ちか……?)
また虐められるのかと身構えているタールカを、尚も不思議そうに見つめてくる男の子。彼の頭には紫色の角と、透き通るような水色の鱗を纏った尻尾が生えており……心なしか、尻尾が揺れる度に、寒気が加速している気がする。
「君、帰る所ないの?」
「……別に、そういう訳じゃ……」
「それじゃぁ、どうしてそんな所で泣いてるの?」
「うるさいな。別にいいだろ。放っておいてくれよ」
「そう? 折角、何か食べさせてあげようと思ったのに……」
屈託のない表情を浮かべながらも、寂しそうな声色を聞く限り……彼の言葉に嘘はなさそうか。思いがけないお誘いに、ここ最近はまともな食事にすらありつけていない事を思い出すと、急にタールカの腹が鳴り出す。
「あ、お腹は正直だね。ほら、意地を張ってないで、一緒においでよ。……僕もね、元々は君みたいに住む場所もなかったんだけど、天使様達のおかげで竜族になれたんだ。だから、君もよければ僕と一緒に強くならない? きっと、誰かのせいでそうなったんでしょ? 復讐するための力が欲しいと、思わないかな?」
「力……? 復讐するための力……?」
「そう、復讐するための力。僕も自分を捨てた両親と……僕じゃなくて別の奴を選んだ誰かさんに仕返しをしたくて、天使様に力をもらったんだ。だから、おいでよ。君も……強くしてもらえるよ」
「僕も……強くなれるのか?」
「うん、多分ね。あ、そうそう。僕はロジェって言うんだよ。ところで……君、名前は?」
「タールカ……」
「タールカ、ね。ほら。一緒に行こう、タールカ」
曖昧な言葉の割には妙に安心させられる響きに、タールカは思わず差し伸べられた手を取る。久しぶりの暖かい感触に、いよいよ大粒の涙を流し始めるタールカに、尚も優しい眼差しを向けるロジェ。だが……その瞳の奥に燻る確かな悪意がある事を、汚泥の状況に疲れ切っていたタールカには、気づけるはずもなかった。




