11−30 当然の親心
「おやおや。懲戒免職は、職を奪う事で相当の罰を与えるものだったと思いますが。後の事は区長さんには関係ないと思いますよ?」
「う、うるさいわね! とにかく、こいつが今後カーヴェラで働くのは禁止! 私の言うことが聞けないの⁉︎」
エリックが腹の中で沸々と不満を抱えているのを他所に、シャリアが理不尽極まりない要求を喚いているのが、聞こえてくる。この場合は神父の方が正しいが、間に割って入るほどの勇気を持つ者はその場にはいなかった。
しかし、流石に穏やかだった神父も、ようようシャリアのわがままが収束しない事に気づいたらしい。先ほどまでの温厚な表情から一転、鋭い表情を見せるとシャリアを叱責し始める。
「……うるさいのは、あなたの方でしょう、区長さん。あなたは何故、人の幸せを踏みにじるような真似をなさるのです。親切もその身に返ってくるのと同様に、誰かに対する不親切もいずれ、その身に返ってきますよ。周囲に傲慢であればある程、あなたに向けられる視線は冷たくなる一方です。そして……今のあなたはあまりに滑稽で、私には非常に痛ましく見えますよ」
「滑稽……? この私が……滑稽ですって……?」
神父にそこまで言われて、ようやく自分が恥をかいている真っ最中だと気づくシャリア。そうして、周囲を見やれば……自分に刺さる視線が白み切っているのと同時に、騒ぎを聞きつけたのか、いつの間にか集まってきたらしい新聞記者達が、興味津々と彼女を見つめているのにも気づく。
「ど……どうしてよ⁉︎ どうして、私がこんな目に遭わないといけないのよッ⁉︎ 私はあのルルシアナ家の娘なのよ⁉︎ それがどうして……?」
「お家柄を誇るのは、結構なことでしょう。しかし、それをただ利用して横暴を働くのは、ご自身の評判どころか、お家柄自体に泥を塗ることにもなりかねません。だから、あなたは滑稽なのです。自分自身の実力ではなく、努力でもなく……恵まれていただけの権威を大騒ぎして振りかざしたところで、本当の意味であなたを認める者は、1人としていないでしょう。兎にも角にも、パトリシアさんには私達のところに来て頂く事に致します。……よろしいですね?」
最後は有無を言わせないとばかりに、硬い表情でパトリシアを連れて行くと言い切るプランシー。一方で、シャリアもそこまで言われて、口答えする元気もないらしい。記者の視線も気になるのだろうが、初めて言われた類の言葉にどう反応していいのかが分からない、が正直なところだった。
「パトリシアさん。急で申し訳ありませんが、お出かけの準備をお願いできますか? そのままご帰宅になるでしょうし、忘れ物がないようにしてください」
「……はい! ちょっと待っていてくださいね。すぐに準備します! えっと……退職手続きはきっと、いらないですね。……なんたって、区長の厳命ですし……」
どこか嫌味にも聞こえそうな諦めにも近い事を、力なく呟くパトリシア。彼女としては、きちんと仕事をしていたのに、不機嫌で職を奪われた事がひたすら遣る瀬ないだけなのだが。次の雇用主はそんな理不尽はしなさそうだという安心感も手伝って、僅かな荷物をまとめる手の動きも軽やかだ。
「お待たせしました。……どうぞ、よろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願いします。今日はアーニャさんにポップコーンのお土産と一緒に、いい知らせも持ち帰れそうです。ホッホッホ、これで少しはアーニャさんの気苦労も軽くなるでしょうか」
「アーニャさんが、ですか?」
「えぇ。アーニャさんは気が強い部分はありますが、子供達への姿勢は真剣そのものでしてね。住み込みで働いて下さっているのが彼女1人という事もあり、常々気を揉んで下さっているのです。……昨日の事もあり、孤児院の運営について心配して下さっていたみたいですし。有望なスタッフを確保できたとあれば、アーニャさんも大喜びでしょう」
「昨日、そんなに酷かったんですか……?」
「えぇ、まぁ。それは後ほど、お話いたしますよ」
そんな事を話ながら、存在も既に忘れたと言わんばかりに、シャリアの前を通過して行くプランシーとパトリシア。しかし、「昨日の顛末」はエリックとしても非常に気になる事で……気がつけば、黒いローブの背中を引き留めてしまっていた。
「あ、あのっ!」
「はい? いかがいたしましたか……?」
「えぇと……スタッフの募集について、今後も続けられるのですか? ほら、人手不足なのでしたら、ミカエリスさん1人では足りないでしょうし」
可能であれば、もう1人くらい……そう、自分の妻を働かせてもらえないか。エリックは淡い期待を抱いて、神父の答えを待つ。しかし、彼の返答に混ざっていた「昨日の惨状」の有様に、エリックの淡い期待は粉々に砕かれていった。
「あぁ、孤児院の事をご心配くださっているのですね。ありがとうございます。ただ……そうですね。募集はしばらくしないつもりです。と言うのも……言い方は悪いのですが、物乞いに近い方があまりに多くて」
「物乞い……?」
孤児院のスタッフを募集してやってきたのは、何故か物乞いだった。プランシーがやるせなさげに説明するところによると……冗談抜きで、孤児院の募集風景はメチャクチャだった様子。
「孤児院で働ければ、お子さんにおやつと薬を出してもらえると、噂が流れてしまっていたみたいで……こちらとしては、そのような条件を提示した記憶はないのですが。きっと期待させてしまっていたのでしょうね。ご本人様だけを面談をする予定だったのですが、お子さんを実際に連れてこられる方もいらっしゃいまして……」
だけど、やってきた子供達が孤児達のおやつを横取りしていたそうで。自分の子供に最低限の躾もできない人間が孤児院で働くのは難しいだろうと、判断したそうな。
「子供連れで働いていただくとなると、ご自身の子供を優先させたくなるのは、当然の親心でしょう。とは言え、ささやかな楽しみを奪うような子供達と一緒に過ごさせるのは、孤児達が可哀想というもの。それに……彼らにとって、きちんと親御さんのいる子供達の存在は、あまり気持ちのいいものではないはずです」
そこまで答えて「では」と軽く会釈をし、立ち去るプランシーの背後で、エリックは軽い焦燥を覚えていた。
昨日不機嫌だったのは、ユーリアだけではない。2人の娘達もまた、貰えるはずのおやつを貰えなかったと、不満げだったのだ。しかし、その手にはしっかりとクッキーの袋が握られていて……娘達の話とチグハグな存在の理由を尋ねれば、ティティアが「孤児から貰った」ということだった。だが、事実は大いに異なるものらしい。その時はエリックも彼女の言葉をただ鵜呑みにしていたが、きっとそのクッキーは……「貰った」のではなく、「奪った」のだろう。
焦燥しきった神父の言葉に、最低限の躾を娘達にできていない父親なのだと遠回しに指摘された気がして、いよいよ申し訳ない気分になる。どうやら自分は……普段の生活の中で、とても大事な事を見落としていたようだ。これは妻の不機嫌に怯えている場合ではないと、エリックはこちらはこちらで打ち拉がれた背中の区長を見送りながら、決意を滾らせていた。




