11−22 夜明けが連れてくる現実
「レッドシナモン」が予想外の結末を呼び寄せたと、ジャーノンから報告を受けて。いつもの癖で、さも忌々しげにコメカミをコンコンと指で叩き出すホーテン。ついこの間、「長生きするのも悪くない」と嘯いていた矢先に命を狙われたとあれば、彼の不安と憂鬱は当然だろう。
「だとすると……奴らは我々の口封じに来ていたのか」
「おそらく。“ドンの身代わり”を躊躇いもせずに魔法で握り潰したのを見ても、初めからその命令で彼は動いていたものと思われます」
「……フン、奴らも随分と血気盛んなようだな。我らを潰しにかかったといういうことは、教会側は既に例のブツを仕入れる必要がなくなったという事だ。代わりのものを見つけたか、或いはオトメの栽培ベースを確立させたか」
いずれにしても、教会にとって自分達は用済みになったという事か。
ホーテンは彼らの行動から導き出した憶測に、またも厄介ごとが増えたとため息を吐く。
「明朝、こちらに接触してくるかを確認してから、判断しても遅くはないかと。取引の継続を望まれるようであれば、しばらくは波風を立てずに付き合うのが賢明かと思います」
「だろうな。敢えて生かされていると思うと非常に悔しいが、英雄の魔法が人を容易く握りつぶせるとあっては、命がいくつあっても足りん。奴らの尻尾を掴むまでは、しばらく尻尾を振るフリをしてやるか」
とりあえず、命は助かったのだ。自分の立場が予想以上に危ういと痛感し、ホーテンはこれまで以上に慎重に過ごさねばと、1つの決断を下す。
「ワシが表に立っているのが、却って良くないのかも知れん。ジャーノン。急ぎで悪いが、明日の夕刻に幹部を全員招集しろ。後継者をさっさと決めるぞ」
「かしこまりました。……でしたら、すぐに引越しの手配もしなければいけませんね」
「引越し? まずは隠居所の確保からではないのか?」
いつもながら鮮やかにホーテンの心情を見透かすように、ジャーノンが彼を安心させるように言葉を続ける。今までは後継者を決めあぐねて、仕方なしに家長の椅子から立ち上がることが出来ずにいたのだが。そのホーテンにしても、ここ最近の「騒動続き」はかなり堪えていた。そして……ジャーノンに言わせれば、ホーテンの困憊を見抜けないのは、ただただ役立たずの木偶の坊でしかない。
「グリーン・エリアに別邸を確保してあります。閑静な場所ですので、お気持ちを必要以上にかき乱されることもないと思いますよ」
「お前は本当に、何もかもを見透かしおって。だったら、これからはチョコレートの準備はお前がすることになるのか?」
「無論、そのつもりです。屋敷からメイドも数人連れて行きますが、身辺警護は私と部下数人で引き継ぎます。希望者を募ることになりますが……本家から離れてもいいと言う奴だけ、手元に残そうと思っております」
「そうか。……フン、これでワシもようやく穏やかに暮らせるというものだ。お前が側におればそれ以上、心配することもないか」
「……ありがとうございます」
そこまで会話すると、大きな欠伸をしながらホーテンは眠り直すと言いたげに、ベッドに横になり始める。その体に布団を掛け直したところで、ジャーノンはすぐ側のソファに身を沈めると銃の安全装置を戻しながら、サイドテーブルに置いて目を閉じる。咄嗟に臨戦態勢を取れるようにと……籠手と防弾チョッキを着込んだままの仮眠は少々、窮屈だが。常に最悪の事態を想定するのは、護衛の嗜みというもの。
そんな緊張感さえも、幸せの証なのだとジャーノンは口元を微かに緩めていた。裏路地で尽きていたはずの少年が、心から付いていきたいと思える相手に出会えたのは、陳腐な言い方ではあるが……きっと運命だったのだろう。
一層明るく夜空を照らし始めた月明かりに頬を焼かれながら、ジャーノンは泡沫の浅い夢を見る。
真っ青な花の中にポツリと咲く、場違いに真っ赤な花。真紅の花の根元には、どこかで見た顔、そうではない顔。有象無象の亡者達が呻いているのに気づいた瞬間、青かった視界中が真っ赤に染まっていく。ただの悪夢でしかないはずの光景が、どこまでも現実である事を……夢見る少年は、誰よりもよく知っていた。
悪夢の中でさえも柔らかく笑う母と、淀んだ瞳ながらも幸せそうな父。真っ赤に染まったこの世界で、彼らは何を望んでいたというのだろう? 血に染まったその手で、何を掴もうとしたのだろう?
……もうすぐ、朝が来る。しかし、その夜明けが連れてくる現実の延長上に、この光景が確かに広がっていた事を……ジャーノンは決して忘れることはなかった。
***
子供達の寝顔を確認して各部屋の明かりを落としながら、ため息交じりに自分の部屋に戻る。寒さが染みるのは、悪魔であるこの身も一緒らしい。寒空の下で冷たい石畳の上で、凍えている子供がいやしないかと考える一方で、昼間の様子を思い返すと胸がムカムカしてくる。
今日はプランシーが本腰を入れて、スタッフを募集にかかっていたが……私に言わせてもらえば、どいつもこいつも打算的すぎて話にならなかったように思う。どこでそんな噂が広まったのかは、知らないが。ここに子供を預けられさえすれば、治療を受けられることになっているとかで……何を勘違いしたのか、薬を要求してくるバカも混じっていた。しかも、頼みもしないのに連れてこられた子供達も、揃いも揃ってメチャクチャで。……最低限の躾さえもされていないのか、私達が面談に忙しかった間に孤児達のおやつを横取りしていたらしい。大人も子供もひっくるめて、物乞どもを追い払った後に泣きつかれたとあっては……申し訳ない気分にさせられるではないか。
この孤児院運営は表向きだけじゃなく、掛値なしの「慈善事業」であることは間違いない。資金は充分すぎるほどに天使様方からいただいているし、派遣されているネッドやザフィだって……本性は上級天使であることを考えても、神界側ではかなりの実力者だ。潤沢な資金や貴重な人材を惜しげも無く用意してくる時点で、向こうさんが本気だということは、イヤでも痛感させられている。要するに……こちらは真剣に「子供達のため」を考えているのに、今日やってきた大人達は「子供達のため」という免罪符を握りしめて、タカリに来ていただけに過ぎない。残念ながら、この惨状をムカつかずして過ごす術は私にはなかった。
「……アーニャさん、少しいいですか?」
「あら、院長。こんな夜更けに、どうしたの? 寝なくて、大丈夫?」
「えぇ、幸か不幸か私も中身はそちら側ですから。……睡眠は最低限で大丈夫ですよ」
人手不足をなんとかしなければいけないと思っているのは、プランシーも同じだったようで、いつもの穏やかな表情にはどこか疲れた色がしっかり乗っていた。この様子だと、今日やってきた人材が揃いも揃って見込みがないと思ったのは、私だけではなさそうだ。
「アーニャさんには苦労をかけて、すみません……。まさか、こんなにも人手を募るのが難しいと思いもしませんでした……」
「それはお互い様でしょ? 院長も毎日、子供達に文字や計算を教えるので手一杯でしょうに。兎にも角にも……最近、人数も増えてきたし、本気でどうにかしないといけないわよね」
私の反応に更に申し訳なさそうな表情をして、1つ嘆息をすると、そのままスツールに腰をかけるプランシー。きっと、彼の話は少し長くなるのだろう。
「えぇ、その通りです。しかし、悲しいかな人というのは……どこまでも打算的なのですね。今日1日でお会いした方々を基準に判断するのはもちろん、早計だと思うのですが……」
「どうだか。判断するには充分だと思うわよ? どいつもこいつも金、薬、金、薬……! あぁ、もう! メスブタ共がうるさいったら、ありゃしない!」
「アーニャさん、落ち着いて。募集はしばらく諦めるとして……こうなったら、従業員をスカウトするのも一考かと思うのです。そして、早速ではありますが、明日はある方にお願いに行くつもりです」
スカウト……? あぁ、なるほど。
「……院長はあの子を狙っているのね」
「流石、アーニャさん。私が目星をつけている相手に、お心当たりがあるのですね」
「当然よ。確かに彼女だったら、メイヤのなつき具合からしても申し分ないかもね。でも、相手はお役人よ? スカウトったって、お役所に押しかけるわけにはいかないんじゃないの?」
「その辺りは承知していますよ。ですので、思うような人材が見つからないと……ちょっとこぼしてみようと思います。その上でさり気なく、パトリシアさんみたいな人だったら、いつでも歓迎するのに……と呟こうかと」
あら、まぁ。なかなかに、情熱的なアプローチじゃない。
「……院長も人が悪いわね。それ、完全に口説き文句じゃない」
「ホッホッホ。そうですか? それに、ネッドさんと一緒に子供達を連れてお祭りに行ってこようと思っています。節目のお祭りみたいですし、子供達には楽しい思い出も必要でしょう。祀られている英雄の事実を考えると、複雑な気分にさせられますが……お祭りやそこで楽しく過ごす人々に罪はありません」
院長はその足で、役所に寄ってみるつもりみたいね。ふーん……お祭り、ねぇ。もちろん、興味はあるけど……私にはあまり関係ないかしら。
「ですので、大変申し訳ないのですが……アーニャさんには、お留守番をお願いしても良いでしょうか?」
「構わないわよ。近々、リッテルがこっちに来るみたいだから、私は留守番の方がいいでしょうね。あ、でもちゃんとお土産は買ってきてよね。私、ポップコーンとかいうのを食べてみたいの。頼める?」
「分かりました。見つけたら絶対に買って帰りますから、楽しみにしていてください」
「ウフ、よろしく。院長もパトリシアちゃんのナンパ、頑張るのよ?」
「ナンパって……この老いぼれに口説かれて喜ぶお嬢さんは、いないと思いますよ」
そうでもないわよ? 世の中、ジジイ好きっていうのも結構、いるし。プランシーもまだまだ、恋愛方面には青いわね。
「……ま、色々と楽しみにしてるわ」
「もぅ、アーニャさんは本当にいたずら好きなのですから。兎にも角にも、遅くまでお邪魔してすみませんでした。明日もよろしく頼みます。……それではそろそろ、失礼しますね。おやすみなさい、アーニャさん」
「もちろんよ。任せてちょうだい。……おやすみなさい、院長」
少し気持ちを吐き出して、胸の痞えが下りたのだろう。大分楽になったと、穏やかな笑顔で静かに部屋を出て行くプランシー。
私もお祭りとやらには行ってみたい。だが、それ以上に私には留守番に拘る理由があった。リッテルの訪問もそうだが……多分、近いうちにやってくるらしい差し入れ……ではなく、自分の何かを呼び起こしかける面影が気になるのだ。まさか、恋でもしているのかと錯覚するくらいに、私は彼の来訪を何よりも待ち望んでいた。




