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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第11章】調和と不協和音
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11−19 カーヴェラ商人会

 夕刻から、そろそろ本格的に夜になろうかという時刻。普段なら水を打ったように静まり返るカーヴェラにあって、一際賑やかに明かりを灯し始める屋敷があった。

 ここはカーヴェラ商人会会館。夜間の外出が危険という事もあり、泊まり掛けの催しには夕刻前に参加者が漏れなく会場兼・宿泊所に出揃う。そんな「交流場所」に、ジャーノンともう1人の付き人を従えたドン・ホーテンが姿を現した。彼の登場に俄かに他の参加者が少しどよめくが、一方のホーテンは喧騒もどこ吹く風と聞き流しながら……ターゲットを探し始める。

 今宵の彼の獲物は、1組の商人達。英雄の生まれ変わりとやらを擁している教会の担当者だが……しかし、予想外にも彼らは身を隠すつもりもないらしい。ホーテンが代表を務めるアズル会との取引は知れ渡ると、教会側は具合の悪いことでもあるので、普段は顔が割れないようにそれらしい担当者を差し向けてくるのが、通例だったのだが……。


「……なるほどな。英雄というカードは余程、強力と見える。最早、身分を隠しもせんとは」

「えぇ、そのようですね。私が少し探りを入れてきます。……ラッテロー。お前はドンの背後を守ることを最大限に考えろ。万が一に備えて、臨戦態勢を取っておけ」

「承知しました、ボス。ドンの背後はお任せください」

「……頼んだぞ」


 腹心にドンの背後を固める指示を出すと、切込隊長を買って出たジャーノンが一際目つ教会様ご一行……年端も行かない少女を2人連れながら、魔法を鮮やかに操っている白い仮面の英雄に歩み寄る。


「素晴らしい魔法ですね。なるほど、英雄の生まれ変わりが降臨されたというのは……ただの噂ではなく、真実でしたか」

「……あんた、誰?」

「おや、失礼いたしました。私はジャーノンと申します。本日はアズル会の一員として、この場に参加しております」

「フゥン……アズル会? あの、ミカ様。ご存知です?」

「もちろんですよ、ティダ。アズル会様は私達の診療所に医療用麻酔を納めてくれている、商人さんです。これは知らぬこととは言え、ご挨拶が遅くなり申し訳ありません。私はミカ・エルマ・リンドヘイム7世と申します。一応、リンドヘイム教皇という立場におりますが……今宵は世俗の風に当たるのも良いかと思い、馳せ参じました。あなた達の所から納められる麻酔は質も良く、患者さんの体への負担も少ないことから、非常に重宝しております。今後とも変わらぬお取り引きをいただければ、幸いです」

「教皇様直々にそのようなお言葉を頂けるのは、身に余る光栄でしょう。こちらこそ、今後とも変わらぬご愛顧を賜れればと存じます」


 互いに差し障りのないやり取りをしながら、予断なく相手を窺う。

 間違いない。この場で1番危険なのは、英雄でも誰でもなく……目の前で柔らかく微笑む教皇とやらだろう。修羅場を幾度もくぐり抜けて染み付いた警戒心が、これでもかと震えるのに、ジャーノンは平静を装うのが精一杯だ。それほどまでに……目の前の存在は、ジャーノンの神経をギリギリと締め上げる威圧感を醸し出している。


(しかし、先に取引内容を麻酔と断定されてしまったか。こんなにハッキリと明言されてしまった以上、これでは探りを入れるのも難しいか……?)


 どうする? もう少し、踏み込んでみるか?

 先方がアズル会との取引があることを、サッサと公表してきたのは、その先にあるはずの不都合を隠蔽するためだ。本質をバラされるよりは、マフィアとの取引がある事を堂々と公言してしまった方が傷も浅いと、判断したのだろう。

 そこまで考えて、ジャーノンは自分が取引には向いていない事を痛感し始める。切り傷だらけの顔をしているジャーノンが、「その手のもの」である事は一目瞭然。そんな相手が近づいてきた時点で、目の前の教皇は瞬時に目的を見抜き、鮮やかに予防線を引いてきたのだ。

 そこまで思い到ると、ようやく追いついてきた平静さを盾に、ジャーノンは世間話をしつつ深追いを試みる事にした。


「そう言えば、教皇様はご存知ですか? ここカーヴェラに、とても興味深い商材を扱う商人が出入りしてるのを?」

「興味深い商材……?」

「最近、現役の魔力遺産を扱う武器商人が出没しておりましてね。いやはや……気に入った相手にしか武器を卸さないと言う、筋金入りの頑固者だという事でしたが。扱う品物の質も去ることながら、本人の剣の腕前も相当でして。私達も1度取引をお願いしたのですが、素気無く断られてしまいました」

「ほぉ。現役の魔力遺産……ですか?」

「ミカ様! お宝ですよ、それ! ねぇ、お兄さん。その商人さんを紹介してもらえたりするのかな?」

(食いついた……!)


 取引をお願いした、というのはハッタリだ。何せ、アズル会もかの武器商人……グリードと直接取引の席を設けるまでは漕ぎ着けられていない。それでも、武器商人というフレーズに興味を示す時点で、彼らもそれなりに「血の気が多い」相手なのだろう。このまま上手く運べば、彼らがこんな所にわざわざ出入りしている目的を探り出せるかもしれない。


「残念ながら、先ほども申しました通り……我々は取引を断られているのです。まぁ、前回は街中で正式な交渉もせずに商談に及んだので、怒らせてしまったようですが。私達も今度は正式に取引を申し込みたいと考えているのです。しかし……そうですか。流石のリンドヘイム教会の皆様も、彼との取引は獲得できていませんか。所在を掴めれば、チャンスがあると思っていたのですが……残念です」


 本心から残念がっている風を装い、ジャーノンは肩を落として見せる。「流石のリンドヘイム」と少しばかり、嫌味を加えてみたが……果たして、どう出る? と、ジャーノンは肩を落としたまま、教皇の言葉を待つが。


「えぇ……実を申せば、そのような商人がいること自体、初耳です。とは言え、非常に興味深い。現役の魔力遺産ともなれば、我が教会にとっても有用な力となるでしょう。人間界は街中はまだ穏やかとは言え、夜は怪物が跋扈する危険な世界……。そんな怪物から人々の暮らしを守るのも、我らの役目でもあります。本来は武力に頼る事は否としなければいけませんが……そうも言ってられない段階に入ってきているのも、事実。……でしょう、ハール?」

「左様ですね、ミカ様。私の魔法は誰かを傷つける為のものではありませんが……時には武力に訴える必要もあるでしょう。化け物や悪魔に立ち向かう手段として特別な武器は我らにこそ、必要だと存じます」


 やはり、この教皇はかなりの曲者のようだ。嫌味に気付いていないわけではなさそうだが、ハールに水を向けつつ……噂の商人については知らないと素直に認め、穏やかな論調で切り返してくる。


「そうですよ! 化け物をぶっ潰すのには、力が必要ですっ! ね、お兄さん! その商人は何ていうの?」

「えぇ、グリード様と仰いまして。彼自身も非常に若い商人のようですが、武器の行商を単独で行なっているそうで……国家相手にその身1つで取引をやってのける、大物商人ですよ」


 ジャーノンがそこまで白状すると、目の前の3人はもとより周りからも感嘆の声が一斉に上がる。そんな歓声の中、ジャーノンは確かに1つの糸口を見つけ出していた。

 平和主義を貫いて見せている目の前の教皇から、目的を聞き出すのは難しいだろう。そして、仮面で表情すら窺えない英雄……彼も上辺だけかもしれないが、崇高な理由を事もなく述べてくる時点で、論調に穴を開けるのは難しいと判断するべきだ。しかし……。


(ぶっ潰す、か。なるほど、こっちのお嬢さんは野望に正直みたいだな。揺さぶるのなら……彼女をターゲットに絞るのが得策か……)

「おやおや、きっとグリード様は少なくとも、アズル会を取引相手に選ぶ事はないと思いますよ?」


 そんな風にジャーノンが次の一手を考えていると、落ち着きながらもどこか敵意の見え隠れする声色の淑女が、輪の中に歩み寄ってくる。真っ赤なスーツに、上品なパールのネックレス、そしてピリッとした厳格な雰囲気。やれやれ、お出ましになったか……と、ジャーノンは淑女の登場に心の中で舌打ちする。


「これはこれは、マダム・カトレア。本日も洒落た装いですね? 鮮やかなレッドのスーツを着こなせるのは、この大都市でもあなた様くらいでしょう」

「ホホホ……そちらも無骨な見た目の割には、お口はお上手ですね、ジャーノン。さて、話に割って入ってしまって恐縮ですが、かの商人があなた達の手を取る事はないと思いますよ?」

「どうしてです?」


 マダム・カトレアが客としてやってきたグリードと接触していることまでは、ジャーノンも知っている。だが、カーヴェた随一の大商人のこと。彼女がここまで言うからには、それなりの根拠がありそうだ。


「グリード様の奥様によると、彼はあくまでこのカーヴェラに遊びに来ているのだそうです。それでなくても、彼が相手にするのは王宮や帝国……今更、一個人を取引相手に選ぶ事はないでしょう。そんな大物商人がただ骨休めに来ているだけのカーヴェラで、小遣い稼ぎ程度の商談を持つとお思いになって?」

「なるほど……我々はグリードという人物を甘く見積もっていたようですね。そうなれば……益々、我らとも取引をして頂けるよう、策を練らなければ」

「まぁ、諦めの悪い事……。一応、親切心から忠告しておきますが。大火傷する前に、手を引いておきなさいな。彼らは見た所、精霊落ちだと思いますよ。見た目は若くとも、かなりの年月を生き延びてきたものと思われます。恐らく、かなりの経験と実力を持っている事でしょう。そんな相手にしつこく商談を持ちかけたなら、取引どころかお家ごと潰されてしまうかも」


 手下に探らせた情報には、グリードが「精霊落ち」という内容はなかった。だとすれば……この先はカトレアの審美眼による結論だろうか。

 視界の端で、未だに微笑を浮かべている教皇を警戒するのもそこそこに。ジャーノンはパフォーマンスも必要だろうかと、仕方なしにカトレアの理論を深追いする。


「精霊落ち……ですか? して、マダムはなぜその様にお思いで?」

「グリード様の黒髪の合間に、美しい金色の角が顔を覗かせているのが、見えましてね。片方が折れていたのを見ても、相当の戦場を潜り抜けてきたのだとは思いますが……当店に寄られた際に、それを隠すために帽子を買われたのです。遊びにきただけの街で、必要以上に周囲を怯えさせる必要もないだろうから、と」


 なるほど。グリードは外観からして、人間ではないと分かる風貌であったのか。

 ジャーノンはカトレアの話に、納得する一方で……話の方向が逸れてしまったことに、焦っていた。これでは、教会一派に揺さぶりをかけるのも難しいではないか。


「フン、大年増がしゃしゃり出てきおって……精霊落ちだろうが、何だろうが、我々はグリードとの商談を手に入れる。ある程度の手はずは整えておるし、最終調整の情報収集も兼ねてこんな所に出張っておるのだ。ジャーノン。ここにいる奴らは、グリードの情報を持っていないと見てよいだろう。……彼と商談を持っている大物はワシも含めて、おらぬという事だ。残念やら、情けないやら。それに、ワシはうるさい所は嫌いだ。いちいち神経に障って疲れる……」

「あら、いらっしゃったの? ドン・ホーテン。……目つきの悪さは、相変わらずですわね」

「見た目だけは柔和なお前にだけは言われたくないわ、カトレア。もういい、ジャーノン!」

「ハッ。承知しました。本日はこの程度で切り上げ、続きは明日の朝にすることにしましょう。ラッテロー。お前は先に戻って、部屋の準備を頼む」

「かしこまりました、ボス。それでは、私はここで下がらせていただきます」

「あぁ、頼んだぞ」


 指示を出して部下の背中を見送った所で、ホーテンが思い出したようにポツリと呟き……その呟きの意図をすぐに察知して、ジャーノンもしっかりと答える。


「そう言えば……ワシの部屋は何号室だったか?」

「……213号室ですよ、ドン」


 ドンの護衛を部下から引き継ぎ、今度は背後を固め始めるジャーノンと、そんな腹心を尻目にカトレアと睨み合うホーテン。その只ならぬ様子は、商売敵以上に何かありそうな空気だが。ジャーノンは今はホーテンの計画を滞りなく進めるのが、何よりも重要だろうと考える。


(ドンともあろう方が、自分の部屋を忘れるはずもない……。きっと、気づいているのだろう。彼らの危険な空気に……)


 老年とは言え、頭脳の回転速度も明晰さも衰えていないホーテンが、自分の泊まる部屋番号を忘れるなど、あり得ない。だとすれば、彼の質問が意味する所は1つ。……ジャーノンの返答を敢えて訂正してこなかった時点で、どうやらホーテンは何かを企んでいるらしい。


「さ、ドンもお疲れでしょう? 今夜は私がお飲物をご用意しますので、楽しみにしていてください」

「うむ? ……お前に、ワシの気分を言い当てられるのか?」

「もちろんですよ。今夜もとても冷えるでしょう。ですので……シナモン入りのホットチョコレートはいかがですか?」

「……相変わらず、お前は憎たらしい。何もかもを、器用に見透かしおって。とにかく……今夜も頼むぞ」

「心得ております。……では、皆様。私達はこの辺でお暇いたします。もしご入用のことがございましたらば、明日の朝にでもお声かけいただくと幸いです。……失礼いたします」

「そんな奴らへの挨拶はいい! ワシを待たせるつもりか、ジャーノン!」

「子供の様に駄々をこねるものではありません。何事にも、最低限の礼節は必要ですよ?」

「フン。お前の最低限は過剰だと言っておるのだ! さっさとせんか!」

「かしこまりました」


 余程に何かが癪に障ったのか、不機嫌を撒き散らし続けるホーテンの代わりに、深々と頭を下げつつも予断なくその身辺に気を配るジャーノン。まるで一陣のつむじ風の様に会場をかき回したと思っていたら、身勝手に去っていく彼らの態度を詰る者もなく、逆にそこかしこから安堵の声が漏れる。

 ルルシアナ家も表向きは商人であるが、裏の顔を知らぬ者は当然ながら、この場にはいない。だから意図せず不興を買う心配がなくなったのに皆、安心しているのだ。しかし……一方で、彼の不機嫌と退出が決して気まぐれではない事に気づく者も、その場には誰もいなかった。

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