11−3 パパも泳いでみるです!
これがスパ……。嫁さんのおまじないで無事に竣工した建物の中には、大きな木製の窪みがあって……これまたどういう仕組みか知らないが、いつでも綺麗なお湯が張られていた。そんなお湯に、足を伸ばして肩まで浸かっていると、疲れが汚れと一緒に綺麗さっぱり抜ける気がして……確かに、かなり気持ちいい。
「それはともかく……3人共! 風呂で泳ぐなって、さっきも注意したろうが⁉︎ 大人しく、肩まできちんと浸かっとけ!」
「えぇ〜? だって、楽しいですよ?」
「そうですよぅ。パパも泳いでみるです!」
「……このクソガキ共……!」
「今は他の人もいないですから、いいと思うです!」
「そういう問題じゃねーし! 普段からお行儀良くできないと、意味ねーだろうが!」
そんな事を堪らずグレムリン相手に喚いていると、壁越しの背後から嬉しそうな笑い声が聞こえてくる。あっ……そうか。天井部分は吹抜けだから、会話も筒抜けなんだな。
「まぁ、クランちゃん達はお行儀良くお風呂に入れないの?」
「全く……まだまだ子供でしゅね〜。お行儀良くお風呂に入るのは、レディの嗜みでしゅよ? ね、ママ〜?」
「ウフフ、そうね。ハンスちゃんは、とってもいい子だものね」
いや、嗜みも何も、こっちはレディじゃないんだが。まぁ、ここは変なツッコミはいらないか。
「ほらほら、ママもそう言ってるし……お前ら。いい加減、大人しくしろ」
「は〜い……」
「ゔ……ママがそう言うんなら、仕方ないです……」
「……俺が言っても、ちっとも聞かないクセに……。こう素直だと、却ってムカつくな……」
暫く朝風呂を楽しんだ後に、仕方なくグレムリンの体をある程度、拭いてやって……自分も着替えて外に出てみると。そこには何やら、困惑気味に耳を垂らしたハーヴェンが立っている。えっと……今日は何の用だろう?
「あ? ハーヴェン、どうしたよ?」
「う、うん……。ちょっと用事があって来たんだけど……。その前に、マモン……これ、何?」
「リッテルのリクエストで、スパって物を作らされる羽目になってな。有り体に言えば、風呂場ってヤツなんだが……結構、気持ちいいぞ?」
「そうか、これ……風呂場なんだ。しかし、凄いな。どっからどう見ても、ちょっとしたお屋敷じゃないか」
「……その辺は嫁さんの趣味だ。俺は知らん」
誰かと無駄に関わることも避けて、目立たない場所に家を建てていたのに。すぐ下にこんなに派手な建物があったら、身を隠すもへったくれもないと思う。それでもある程度、竹林の風景に合わせたんだろう。全体的に木造の建物は柱が朱色だけど……それ以外の色味は落ち着いていて、どことなく小洒落た雰囲気で纏まっていた。
「ハーヴェン様、お久しぶりです。そのご様子ですと、主人にご用でしょうか?」
「あ、リッテルも久しぶり。いや、マモンにと言うよりかは……ダンタリオンに来て欲しいことがあって、呼びに来たんだ」
やや遅れて、俺よりも後に真新しい湯気を上げながら、リッテルとハンスがスパから出てくる。そんな嫁さんにもいつもの調子でハーヴェンが応じるけど……しかし、そのハーヴェンがダンタリオンに何の用だろう?
「ダンタリオンに来て欲しい? いや、やめとけ。あいつは魔法書絡みじゃないと、絶対に屋敷から出てこねーぞ」
「今日の用事は他でもない、魔法書絡みなんだけど」
ハーヴェンのご用件が……魔法書絡み⁇ 一体、どういう事?
「例の行方不明の魔法書と思われる禁書が、竜界にあることが分かってな。だけど、俺もそんな危なっかしいものをどうすればいいのか、分からないし。素直に、プロを頼ろうと思ってさ」
「行方不明のって……まさか、ヨルム語最奥義の魔法書の事か?」
「多分、それ。向こうさんの話と、行方不明になった時期が一致しているし……ほぼ間違いないと思う」
おいおい、こいつはまた……意外な展開になったな。ま、俺には断る理由も最初からないけど。
「そういうこと。だったら、あいつも喜んでお供するか。……それじゃぁ、クランとラズ!」
「あ、はい!」
「パパ、何です?」
「ハーヴェンをダンタリオンの屋敷まで、案内してやってくれるか?」
「お使いですね! うん、行ってくるです!」
「いいですよ。エルダーウコバク様、僕達に付いてくるです!」
「よろしく頼むよ。それじゃ、暫くこの子達を借りるのと……場合によっては、ダンタリオンを竜界に連れて行くことになるけど、いいか?」
「あぁ、構わないよ。と言うか……そんな話をしたら、言うことなんてまともに聞きやしないだろうよ、あいつは。魔法書絡みになると、俺でも鎮められないレベルで人が変わるし……」
「そ、そうか……」
俺の説明に更に不安そうにしながら、2人の後に付いて行くハーヴェンだけど……それにしても、竜界か。何がどうなって、ヨルム語の魔法書がそんな秘境にあるんだろうな。
「ま、残りはさっさと家に入れ。そんで、2人が戻って来たら、コーヒーにするぞ〜」
「そうね。それにしても……その魔法書、そんなに危ないものなのかしら……。ハーヴェン様でも、用心しないといけないものなの?」
「あぁ。ヨルム語の魔法書は、扱いを知らない奴は基本的に触ることさえ、避けたほうがいいだろうな。上級悪魔クラスになれば、ある程度は大丈夫だろうけど……モノによっては触っただけで即死亡、なんてものもあるし。ハーヴェンの怯え方は大げさでも何でもない」
「そうなのね……。でも、何でしょう……。それはそれで、寂しいことよね」
寂しい? そりゃまた、どうして?
俺が「分かりません」と首を傾げると、リッテルがしみじみと感傷的な事をおっしゃる。
「えぇ。だって魔法書は本来、魔法の知識を誰かに教えるためのものでしょう? そんな魔法書が……触ることさえ許されないなんて。何だか、存在意義さえも否定されているようで……ちょっと悲しいな」
「そう、かも知れないな……」
存在意義を否定されて悲しい、か。なるほどな。
ヨルム語の魔法書は元々、誰かを苦しめるために記された書物だと聞かされていたこともあったが。確かに、ページを捲ることもままならないのであれば……だんだんと読者の手が遠のくのも、自然な訳で。そうして触れられないまま忘れられることが、本当に正しい在り方なのかは俺には分からない。ただ……モノは使ってナンボだと個人的には思うし、貴重だからとしまい込むのは、ナンセンスというか。
以前の俺であれば、天使様基準の考え方を鼻で笑って下らないと、一蹴していただろうけど。……今となっては、俺自身も天使様基準にドップリ侵食されているらしい。その時は不思議と、彼女の意見を否定する気にもなれなかった。




