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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第10章】同じ空の下なのに
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10−46 天使の面影

「……大丈夫だ、ダキア。私がいる限り、何も心配はいらぬ」

「ノクト姉様……。でも……私達、これから何処に行くの? お母様はどこに行ったの?」


 腐りかかった壁板の隙間から見えるのは、数時間以上変わらない、一面黄色い砂の景色。

 双子の姉妹は変わった髪色を理由に、「愛玩動物」として西方ヴァンダートの歓楽街・ベルラジャへ売られていくところだった。見れば、オンボロ馬車の板間には姉妹と同じように、方々から買われてきた娘達が諦めた顔をして身を寄せ合っており……装いこそ、それなりに美しく身繕いさせられてはいるが、これから売られていく環境がどんな場所かを知らぬ者もいない。その空気を読めないのは、世間知らずなダキアだけらしかった。


「ちょっと! そっちのお嬢さんを黙らせてくれないかしら、姉様とやら。……親に捨てられた事くらいは、きちんと説明しておくべきなんじゃないの?」

「フン……。何も知らぬクセに。母は我らを捨てたのではない。我らを逃がすために、犠牲になったのだ」

「犠牲……? 姉様、どういう事? ねぇ、お母様はどうしたの?」

「……ダキア、よく聞け。母様は……クルシュナ陥落の際に、我らを逃がすための囮になった。きっと母様も生きてはいるだろうから、再会を信じて生き延びる事を考えるのだ。その為には、これからは自分で食い扶持を稼がねばならんし、今までのように誰かが身の回りの世話をやってくれる事も……もう、ないだろう。だが、心配せずとも良い。お前だけは私が必ず、守ってやる。何があっても……」


 きっと、話しかけてきた娘は姉妹も自分達と同じ境遇だと思っていたのだろう。だが……姉の語り口からするに、その限りでもないらしいと察してからは、意地悪く口元を歪める。


「なるほど? あなた達、クルシュナの出身だったの? ……フゥン?」

「そんなところだ。……とりあえず、妹に状況を説明してなかった事は謝ろう。しかし、な。我らも傷心ゆえ、あまり突かぬでくれぬか?」

「……その口ぶり、気に入らないわね。もしかして……その様子だと、貴族様か何かだったのかしら?」

「まぁ、それ本当? ねぇ、聞いた? この子達、貴族だったのが、今じゃこのザマですって!」

「へぇ! それは愉快ね! さっきから、随分と偉そうな口の利き方だと思ってたけど?」

「いい気味。今まで散々いい思いしていたんでしょうから、これからはその分、うんと苦しむといいんじゃない?」


 彼女達が元貴族だと知れると、はしゃいだ様に騒ぎ出す他の娘達。その様子に、ただひたすら怯えるだけのダキアの肩を抱いて、一方で鼻筋を険しく立てるノクトだったが……次の瞬間、燃え盛る火柱に声を上げる間も無く炭と化す、ダキアの視界の中の全て。間違いなく、それを仕掛けたであろう姉の瞳に……異様な影を見たのを、ダキアはその時以来、忘れる事はなかった。


「寒いか?」

「ウゥン、大丈夫。姉様と一緒なら……寒くても、暖かい」

「そうか」


 砂丘の窪みから夜空を見上げながら、肩を寄せ合う姉妹。黄色の景色は静寂の色を帯びており、昼間はジリジリと肌を焦がしていた空気が一転、彼女達の痩せた身を容赦無く刺すかのような、極寒の地へと表情を変えていた。そんな空気に凍えながら、ダキアは隣で遠くを見据える姉の眼差しを見つめている。

 同じ年だと言うのに、ノクトは生まれた時からダキアよりも遥かに大人びており、学者達に混ざって難しい議論を展開できる程の知性と……本来ならば、人間が使えないはずの上級魔法を使いこなす才能を持っていた。


「でも……姉様。さっきの人達……何も、殺さなくてもよかったと思うの……」

「どうせ、つまらん奴らだ。売られた先でも、さして長生きできんだろう」


 しかし、溢れる才能を持つが故……ノクトにはあからさまな選民思想があり、それは聖痕を持つダキアにも向けられていた。ノクトには妹を生贄にさせないために、自分には力があるのだと自負しているようで……延いては、自分も一緒に選ばれた者として生まれた境遇に、酔っていたのかもしれない。

 ノクトは生来から頭に血が上りやすく、気に入らないことがあると癇癪を起こしては、その原因を容赦無く焼き尽くしてきた。姉の行いを隣で見つめながら、それでも、自分だけには確かに注がれる彼女の優しさに安心と……不安をダキアはしっかり抱いたまま、あまり眠れない夜を幾度となく越えてきたのだが。


「お前は……誰だ?」

「おや。折角、助けにきてやったのに……その口ぶりは気に入らんな」

「あ、あの……私達に何か、ご用ですか?」

「ほぉ? 聖痕持ちの方は、まだ話が分かりそうな顔をしているか?」


 今宵も眠れなさそうだと諦めるダキアを混乱させるように、星空を眺めていた姉妹の目の前に誰かが歩み寄る。さっきまで、生き物らしい生き物がいなかった砂漠に忽然と姿を表したのは……首元に何かの毛皮を纏い、紫の鞘を携えた1人の女。その只ならぬ存在を見上げれば。背には白い翼が生えているのにも、すぐに気づく。


「天使様……?」

「うむ。私は****と言う。これからお前達に起こる事を告げに来たのだが」

「これから、私達に起こる事?」

「そうだ。お前達は明日にでも、直ぐに商人のキャラバンに見つかり……そして聖痕持ちの方は数日もせずに、この旱魃を治めるための生贄として、火炙りになるだろう」


 だが、救いの象徴にさえ思えた天使の口から溢れたのは、残酷な未来像。そんな彼女の宣言に、ノクトが食ってかかる。


「なッ! そうならぬ様に私がいるのだ! 誰にも妹を傷つけさせぬ!」

「落ち着け。……人の話は最後まで聞くものだ。無論、それを静観せよとは言わぬし、姉妹が離れ離れになってしまうのが私も胸が痛いのだよ。だから、私はお前達を揃って天使にしてやろうと決めたのだ。この場で2人の命を差し出せば、天使として転生させてやると約束しよう」


 ノクトが噛み付くのも、意に介さず。天使はさも慈悲深く、姉妹に優しげな視線を投げかける。


「特に、ノクト。お前の魔法の才は非常に惜しい。このままただの人間で終わらせるのも、つまらぬ事。お前には聖痕がないが……ダキアと一緒に天使になれるよう、私がそれをきちんと刻んでやろう」

「……して? 見返りに、我らは何を差し出せば良いのだ?」

「フン……お前は憎たらしい限りだ。まぁ、いい。特段、お前達に望むことはないが……もし、お前達が神界に絶望する様なことがあったら、私の事を思い出すといい。そうして……どちらか片方が我が手を取る時は、2人とも我が下で働くと誓うのだ」

「神界に絶望するのですか? 天使様のお口からその様なお言葉が出るという事は、神界はそんなにも荒んでいるのですか?」

「いいや、そうではない。決して荒んではおらんだろうよ、今の所は」


 今のところは。妙に含みのある言い方をしながら、目の前の天使は少しばかり物憂げに、神界に辟易していると語ってみせる。


「だがな、私はあの世界がほんに嫌いでな。この世界を本当の意味で救おうとするならば、理想を掲げるだけでは、決して成し得ぬ。今の世界は互いに奪い合い、憎しみ合い、殺し合うような世界。きっとその傾向は、歴史を追う毎に酷くなろう。そして、最悪の事態を避けるため……最終的に世界が壊れてしまった時に、本当に必要な命だけを救うための世界を作ろうと、私は決意したのだ。お前達はそんな私にとって、必要な命になるであろう存在。だから……もし、私の言葉の意味を理解する時が来たらば、迷わず我が元においで。……いつまでも、待っておるぞ」


 彼女が言葉を紡ぎ終えると同時に、息苦しさを覚え、身悶えし始めるノクト。喉元を抑え、のたうち回る姉の様子にダキアは天使を見上げるが、直ぐに同じ痛みが彼女を襲う。それが彼女達の所謂、死に際というもので……人間としての最後の記憶だった。


 意識が遠のいて暗くなる頃には、記憶を抹消されたように名前を思い出せない天使の面影だけが、彼女の脳裏にこびり付いている。そうだ……あれは、赤い瞳をしていた。そしてその瞳に……姉の瞳に潜んでいた影と同じものを嗅ぎとると、俄にその正体をダッチェルは思い至る。

 ずっと2人で一緒にという、姉妹の夢を利用し。魂を見定めるために姉を引き摺り込んだ、共鳴魂の片割れ。彼女の崇高な理想には確かに、ダッチェルも一時期は酔心していたし、選民思想の塊だったノクエルの心をこれ以上なく擽っては、彼女の忠誠を引き出すことにも成功していた。しかし、一方で……「あの方」がノクエルの絶望を秘密裏に扇動していたのも事実。そうしてようよう、ダッチェルは彼女の余興の一環で堕天させられたのだと、思い知る。

 ノクエルの選択……ダッチェルと何があっても離れないという、愛情が故に「あの方」の手を取ったこと……は姉妹にとって、最大の過ちでしかなかった。

 ノクエルを逃したところで、彼女の真実に辿り着くことはできないのかもしれない。それでも。最後の夢に懐かしい温もりを感じながら、馬鹿げた理想だったとしても……自分の側に寄り添い続けた姉の安寧を、ダッチェルは最後まで諦めることはしなかった。

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