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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第10章】同じ空の下なのに
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10−44 オトメキンモクセイ

「お久しぶりですね、オーディエル様にリヴィエル」

「久しぶりですね、ダッチェル。……指定通りに参りましたけど、何を企んでいるのですか?」

「まずは、こちらへ。……大丈夫ですよ。少しお話したい事があって、お呼び立てしただけですから。ミカ様はお出かけになりましたし、今は彼女の目も届きません」

「……?」


 罠だろうと身構えている一行を他所に、いとも容易く背中を見せると、建物内に彼女達を招き入れるダッチェル。それが却って不気味だとオーディエルは警戒しているが、それすら意に介さずとでも言うように、ダッチェルが背中越しの視線で話しかけてくる。


「……ところで、そちらの2人は見慣れない顔ですが……。雰囲気からして、何かの精霊かしら?」

「あなたにそれを答える必要はありません」

「相変わらず、リヴィエルは刺々しいのですね。まぁ、いいでしょう。少なくとも、私も荒事にする気はありませんから。内々に1つお願いがあって、こうして呼んだのですし……」

「お願い……?」


 意味ありげな事を話しながらも、廊下の向こうからやってくる信者達に軽く手を上げて、挨拶をするダッチェル。彼女達の様子はオーディエルの目には自然でありながら、少しばかり異様な光景に映る。


(……ヴェルザンディ、この空間の魔力状況を把握できるか?)

(無論です。こちらの廊下の違和感には、私も気づいております……。先ほどの信者の様子からするに……)

「えぇ、そうですよ。この聖堂内には、オトメキンモクセイの花の香を充満させています。……先ほどの信者達の虚ろな表情は、その効果によるものです」


 オーディエルとヴェルザンディの小声さえも聞き逃さず、先回りして不気味な答えを返してくるダッチェル。機密事項と思われる内容をスンナリと公開してくるところといい、先程からの冷静な態度といい。……彼女にはあまり敵意はないと見て、差し支えないだろうか。


「お香……ですか?」

「……リヴィエルはオトメキンモクセイが、どんな植物かご存知?」

「確か……晩夏から初秋の間にいい香りの青い花をつける、常緑樹だったかと思いますが」

「えぇ、そうね。では、このオトメキンモクセイをとある方法で栽培すると、毒を生成するのもご存知かしら?」


 物騒なダッチェルの答えに、ヴェルザンディがため息交じりで詳細な注釈を加える。流石に植物系の精霊だけあって、彼女もいわゆる薬学にも精通しているようだが……沈痛な面持ちを見るに、オトメキンモクセイの育成にはかなりの曰くがあるらしい。


「オトメキンモクセイは、霊樹の落とし子と呼ばれるものの1つ……竜界の霊樹・ドラグニールに寄生するツルベラドンナにルーツを持ち、人間界に残されたものが瘴気に対する抵抗力として樹皮を固く、分厚く進化させる事で生き延びた派生種です。しかし派生種ながらも、ツルベラドンナの毒性はきちんと引き継いでおり、所定の方法で生育したオトメキンモクセイは毒を持った真っ赤な花を咲かせます。そして、花の香は人間界でも医療用の麻酔として用いられる反面、高濃度の物は麻薬として取引されます」

「しかし、さっきオトメキンモクセイの花は青だと、リヴィエルは申していたが?」

「えぇ。少なくとも、私は青色の花しか見たことありません。所定の方法とは、一体……?」

「リヴィエル様が青い花しか見たことがないのは、当然ですわ。だって、その所定の方法は……間違いなく、普通にやっていい事ではありませんもの」


 少し苛立ちげに、それでいて、終始冷徹な様子のダッチェルの背中を睨みつけながら、スクルドが吐き捨てる。そんな妹の様子を窘めるように、ヴェルザンディが柔和な口調で更に説明を続けるが……彼女の口調とは裏腹に、内容は決して穏やかなものではなかった。


「霊樹の落とし子には1つ、厄介な特性があります。彼らは全てヤドリギ……本来は寄生する相手があって、初めて生長する植物なのです。根を下ろした場所が大地、或いは他の植物であれば、さして問題はありません。問題は、彼らが根を下ろした先が本性を発揮できる土台……宿主が生物だった場合です。彼らはその魔力を糧とする事で、真っ赤な花を咲かせるのですが……落とし子の赤い花を得るには、当然ながらそれなりの犠牲が伴います」

「そっちの精霊さんは、随分と植物学に詳しいようね。……その通り。オトメキンモクセイの赤い花は、命の代償として咲く呪いの花なのです。現代では、医療用の麻酔として家畜の臓物が使われるのが主ですが……食肉加工の際に出るゴミをを使ったところで、高純度の香を得ることはできません。というのも、濃度は宿主の魔力に依存するので……私達はとある組織からオトメキンモクセイの種子を買い上げ、数多の失敗作を苗床に、赤い花を生産しているのです」

「……⁉︎」

「おそらく、あなた達にはサンクチュアリベルの効果もあって、香の効果もあまり出ていないのでしょう。しかし、魔法や瘴気に対する抵抗力がない人間相手であれば、効果も覿面。香の力で思考力を低下させ、正常な判断を鈍らせる事で……ミカ様は教会内の人間達をある程度、コントロールしているのです」

「しかし……そんな事をして、何になるのだ? 大体、ミカとやら……いや、あのハミュエルの皮を被った不気味なアレは何者なのだ?」


 命を代償にした徒花を使っている割には、やっていることが半端だと一蹴するオーディエルを一瞥し、質問にも素直に応じるダッチェル。一方で冷ややかな視線を浴びながらも、先ほどから饒舌なダッチェルの様子に……きっと、これはお願いに対する報酬の意味もあるのだろうと、オーディエルは考えていた。


「オーディエル様が仰る通り、アレはハミュエル様の皮を被った別の誰かです。私も中身が誰なのかは、知らされていませんが……少なくとも、現代の天使では歯が立たない相手であろう事は予想しています。そして、彼女は本来の力を取り戻そうと、試行錯誤しているのです。この聖堂内で香を焚いているのは、あくまで実験の前段階でしかなく……あの方はどの程度の範囲で効果が出るのかを確認し、どの程度の濃度を作り込めば目的を達成できるのかを、推し量っているのです」

「しかし……そう言えば、先ほどから気になっていたが。今日のお前は随分と素直ではないか? お願いとやらはそこまでの情報を対価にする程に、重要な事なのか?」

「……そうですね。えぇ、非常に重要な事なのです。さて、そろそろ目的地が近づいて参りました。実はあの部屋の入口は変更されていましてね。今はこちらの通路側と繋げてあるのです」

「繋げて……ある?」


 そう言いながら、さも当然のように壁のタイルを手慣れた様子で並べ替えると……いとも容易く入口を現して見せるダッチェル。その先にはオーディエルとしては初めての、それでいて、リヴィエルには間違いなく既視感を覚える地下へ続く階段が続いているのが見える。そんな道筋の水先案内人でもするつもりなのだろうか。オーディエル達を招き入れるように先頭で階段を下りながら、ダッチェルがまたポツリポツリと誰に向けるでもなく、聖堂の仕組みについて呟き始める。


「……聖堂の地下は可動式です。先ほどの入口から先の施設は丸ごと、転移魔法を仕込んだ移動式の地下牢になっています。そして……被験者達はある程度の段階を踏んだ後で、部屋ごとラボに送られます」

「そういう事ですか。以前ハーヴェン様が1度目と2度目に入った部屋が違う気がするなんて、仰っていましたが……。なるほど、潜入した部屋が丸ごと違ったのですね……」

「ふぅん? あの悪魔は相変わらず、都合が悪い事に気づいてくるのですね。……まぁ、今となっては、どうでもいい事でしょう。実際に、この先に繋がっているのはナンバー16の地下室です。そうそう、そう言えば。例の悪魔文字が刻まれた部屋はナンバー13の地下室でしたので……今の部屋は3つ後の物になりますね」

「3つ後? では、今までの部屋はどこに?」

「……それは私も分かりません。ただ、丸ごとどこかに忽然と消えている事だけは何となく、探ることができました。そして、新しい部屋もどこからともなく生成され続けていて……。創生と消化の繰り返しを見ていると、部屋を生み出しているのは……何かの生き物のような気がして、なりませんね」


 ダッチェルが諦めたように呟く頃には、規則正しく並んだ地下牢が並ぶ通路……ではなく、1つの巨大な檻が据えられた円形の真っ白な部屋に出る。見渡せば、一際大きな中央の牢以外にも周りの壁という壁にも鉄格子が嵌められ……奥からは苦悶とも絶叫とも取れない、明らかな苦痛の吐息が木霊してくる。その暗がりに目を凝らせば、異形の生き物達が身動きもできない程に、無作為に詰め込まれていた。……そして、彼らの体を貫くように何かの植物が繁茂し、不気味なまでに真っ赤な花が咲き誇る。

 あまりに鮮烈な赤い輝きに、いよいよ固唾を吞むオーディエル。今まさに、ダッチェルが示そうとしている「内情」はどう転んでも……倫理への冒涜にしかならないだろう。

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