10−35 見た目はオマケ
「孤児院の関係者の方ですか⁉︎」
「どうか、先日のシャリア区長の件で一言!」
昨日の新聞の内容は把握していたし、しばらくは大騒ぎだろうとも思っていたけれど。実際にこうして囲まれると鬱陶しい事、この上ない。
非常事態の孤児院入り口には、買い出しもままならないほどの大勢の新聞記者とやらで埋め尽くされていて。営業妨害もいいところの迷惑行為に辟易としながら、院長と一緒にを追い払おうと試みる。これじゃ、子供達を必要以上に怯えさせるだけじゃない。
「申し訳ありませんが、お答えすることは何もございません。私達はただ、子供達に穏やかに暮らして欲しいだけです。こうして集まられますと、業務に差し支えますので……お引き取り頂けないでしょうか?」
「……院長、下手で頼んでも無駄だわよ、これは。……ったく。人の不幸はなんとやら……ってトコなんでしょうけど。そんなに人様の日常をぶち壊すのが楽しいのかしら、記者って奴らは……!」
こうなったら、力尽くでお引き取りいただいた方がいいのかしら……そんな物騒な事を考えていると、向こうから悲鳴にも近いどよめきが聞こえてくる。……私、魔法は使っていないと思うけど。無意識に何かしたかしら?
「ほら、どけどけ!」
「ドンのお通りだ! お前ら、道を開けろ!」
「ドン……?」
しかし、私の不安を他所に、原因が別の場所にあるらしい事に安心する。魔法を使わないというタブーを破ったら、思い出探し以前にマモン……こっちではグリードと名乗っているんだっけ? とにかく、あいつに何をされるか分かったものじゃないし。それにしても……私が怒りを抑えるのに苦労している横で、その傾向が強いはずのプランシーが平然としているのに、妙な違和感を感じる。どうして彼は、ここまで怒らずにいられるのだろう。
「……お前ら、構わん。記者はこの際、残しておいた方が好都合だ。あまりワシの近くで怒鳴り散らすな。神経に障る」
いつの間にか、私達の目の前には「ドン」と思しき老人が立っている。年はそれなりに召してはいるだろうが、あからさまに鋭い目つきが、人間の中でも「只者ではない」事をまざまざと見せつけていて……こちらとしては、その権威で記者とやらを追い払って欲しいのだが。
「……あなた、誰かしら?」
「ふむ……これはまた、随分と気の強そうな女だな。本当にここが孤児院で合っているのか?」
「気が強そうで悪かったわね。間違いなく、ここは孤児院だけど⁉︎ 突然、やって来てなんなのよ? あなた達も私達の日常を壊しに来たのかしら⁉︎」
「アーニャさん、落ち着いて。そう誰彼構わず警戒していたら、本来するべき事を見失ってしまいます。もしかしたら、孤児院自体にご用事がある方かも知れませんし……」
「これが、落ち着いていられる⁉︎ 昨日の区長とか言うバカ女のせいで、朝っぱらからこんな状態なのよ⁉︎ 子供達が怯えっぱなしじゃない‼︎」
「……そうか。シャリアが昨日ここでやった事は、相当に迷惑だったようだな……。ふむ、ジャーノン。すまぬが、この先の説明を頼む」
勢い、私がバカ女と罵った相手に思うところがあるらしい。ドンとやらが鋭い目つきから一転、悲しそうな表情になるとため息をつきながら……すぐ隣の男に命令を出している。そうして、ドンに説明を促された男が口を開くが。他の軽々しい感じのお連れ様とは、雰囲気が違う男は妙に物騒な空気を纏っていた。顔に傷跡がいくつもあるのを見る限り、日常的に荒事に揉まれている雰囲気だ。
(……ッ⁉︎ 今の……何?)
一瞬、頭の隅がズキリと痛んで、誰かの面影が霞んだ気がする。この男、誰だったっけ……?
「……申し遅れました、こちらはドン・ホーテン。昨日、あなた達にご迷惑をおかけいたしましたシャリア嬢の父親にして、ルルシアナ家の当主でございます。本日はドン自ら、娘御が多大なご迷惑をおかけした事について、詫びを入れに参りました。その上で……ここにシャリア嬢の次期区長選への出馬辞退を宣言いたします」
ちょっとした頭痛に悩まされる私の耳に、今度は目の前の老人が何でここにやって来たのかが聞こえてくる。あぁ、そういう事……。父親がわざわざ、バカ娘の落とし前を着けに来たのか。
「ドン・ルルシアナ⁉︎」
「あの……大貴族の⁉︎」
ジャーノンの宣言に、俄かにどよめく新聞記者共だが……なるほど。彼らを残しておいた方が好都合というのは、そういう意味か。ここで綺麗さっぱり出馬辞退を宣言してしまえば、後腐れもないと判断したのだろう。
「ふ〜ん……大貴族様とやらが、粋なマネをしてくれるじゃない。ついでに、お邪魔な新聞記者もどうにかしてくれると助かるんだけど」
「なるほど……ルルシアナもここまで落ちてしまったか。まさか、こんなに若い娘にまで恐れられなくなるとは。情けない限りだな……」
「な! ドン、そんなこと、ありませんぜ!」
「そうですよ! こういう生意気な女は沈めるに限ります!」
「沈める? 私を? アッハハハ! それは何? 殺すって事? それとも、風呂にでも沈めるって意味かしら⁉︎」
草臥れたように大きなため息をつくドンの様子に、黙っていられないとばかりに、騒ぎ始めるジャーノンの背後の男達だけど。ジャーノンとやら以外はあまりに小物臭がするものだから、笑いを堪えるのにも一苦労する。
「アーニャさん。孤児院の門前で、物騒な事を申すものではありませんよ。まして、煽るような事を言ってどうするのです?」
「別に? やれるものならやってみろ、ってところかしら? ……ったく、ここまで弱そうな奴はなかなかお目にかかれないと思うし。本当に、何もかもが可笑しいわ」
「んだとぉ……!」
プランシーの言葉通りに煽ってしまったものだから、利かん坊達がドンの面目躍如と言わんばかりに殴りかかってくる。そういう事なら、こちらはこちらでその「ご厚意」に甘えて……溜め込んだ鬱憤を晴らすとしましょうか。
「アーニャさん! いけません、こんな所で喧嘩は……!」
「あら、いいじゃない。折角、サンドバッグになってくれるみたいだし。こんな時くらいは、ストレスを解消しないとねッ!」
「あ、あ……止めても無駄ですか、これは……」
プランシーが止めに入るのも聞かずに、飛びかかってくる男達の拳を幾度となく受け流しながら、自慢の脚線美でハイキックをお見舞いしつつ……そのまま回し蹴りで、背後に回っていた男の脇腹を強か払いのける。それで左の僕ちゃんにはサマーソルトに加えて、数発回し蹴りをオマケしてあげて。最後の間抜け面の脳天に踵落としをキッチリ決めた所で、さして苦労をする事もなく、4人を勢いて蹴り倒してみたけど……。
「ったく、弱すぎるどころか、手応えすらないじゃない。威勢がいいのは、お口だけかしら?」
「アーニャさんったら……相手が弱いと分かっているのでしたら、叩きのめさなくても良いでしょうに。手加減はされていたようですが、ここは孤児院ですよ。足グセの悪さは、直さないといけませんね?」
「あら。足グセが悪いなんて、心外な。レディに手を上げるような乱暴者を成敗しただけじゃない。……さて、もうそろそろ記者さん達にもご退場願おうかしら? 2度とペンを握れないようにされたくなかったら、サッサと失せろ、このクソヤロー共‼︎ 今度、こんな迷惑行為をしてみろ! 次はタダじゃ済まさないから、覚悟しておけ‼︎」
そうして叩きのめしついでに、神経が高ぶっているのを抑えきれずに……踵を踏み鳴らしながら、周りを睨みつけてみると、さっきまでの喧騒が嘘のように静まる。……ちょっとやり過ぎたかなと思いつつも、かなり気分がいい。
「……アーニャさん、地が出ていますよ。もう、本当にそのくらいにしておきなさい。麗しいお姿が台無しではありませんか……」
「ふん。私は料理番以前に、護衛も兼ねてるんだけど。見た目はオマケでしょ?」
どこかズレた方向に冷静なプランシーとそんなやりとりをしていると、今度は脇で手下達が叩きのめされるのを静観していたドンが俄かに笑い出し……予想外の事を言い出した。
「クククク……アッハハハハ! あぁ、何というのだろうな。こんなに清々しいまでの啖呵を切られるのは、久しぶりだ。こちらの惨敗とは言え……実に面白かった。こんなに愉快なのは、いつ以来だろうな……。今日はいいモノを見せてもらった気がするよ。とにかく、だ。ジャーノン。説明の続きを」
「承知いたしました。と……その前に。部下が飛んだ失礼を。誠に申し訳ございませんでした。レディ・アーニャ」
「あら? お兄さんは随分としおらしいじゃない。……この中では1番強そうだと思ってたんだけど。あなたは掛かってこないのかしら?」
「それでもいいのですが、私はドンの身を守る事を優先しなければいけません。……避けられる争いは避けることにしています」
「ふ〜ん。そ? 何だ、つまらないの」
その弁明が臆病風ではない事を理解しつつも、そう言われると却って興味が唆られるから、不思議なものだ。無骨な見た目の割には、紳士的らしいジャーノンはドンの言う「手筈通り」の内容を説明し始めるが。私はそれ以上に、彼の纏う空気に何かを思い出せそうな気がして……頭の中で騒ぎ出した痛みも忘れ、彼の声に聞き入っていた。
「先ほど説明いたしました通り、本日の目的は侘びを入れることと……シャリア嬢の行いによる影響の帳消し……場合によっては、事態の揉み消しで参りました。今後はこちらに迷惑行為を働く相手に対しては、当家でそれなりの対処を致しますので、ご安心ください」
「対処、ですか? 先程から申しましている通り、ここは孤児院です。手荒な事をなさるおつもりでしたら、申し訳ございませんが、こちらとしても許諾するわけには参りません。お気持ちだけで、結構ですよ」
「院長は本当にお人好しなんだから……ここは折角だし、素直に大貴族様の権威を借りたら?」
そんな事を言っている側から、効果が現れ始めたのか……既に慌てて帰り支度をし始めている野次馬達。カーヴェラ大貴族様の威光は伊達じゃないと言うことか。
「……ほら、効果覿面じゃない。宣言だけでも虫除けになるみたいだし、ちょっとは頼ってもいいんじゃないの?」
「確かに、そのようですが……。ただ、やはり子供達の安心を優先させるには、この周囲で揉め事はちょっと……」
「分かっておるよ。シャリアも選りに選って、こんなに面倒な場所で厄介ごとを起こしおって。済んでしまった事とはいえ、一族のモンが迷惑をかけたのは違いない。……この度は、貴公らに多大な迷惑をかけてしまって、本当に申し訳なかった。老いぼれが頭を下げたところで、何の足しにもならんだろうが……この通りだ。本当にすまない」
そうしてトドメと言わんばかりにドン自らが頭を下げたものだから、いよいよ畏れ多いと蜘蛛の子を散らすように引き上げていく新聞記者共。その様子に溜飲を下げながら、改めてドンの方を見れば。一緒に頭を下げているジャーノンは元より、痛みが治まったのか、さっきの4人は土下座までしていた。
「……誰にでも、間違いはありますよ。こちらこそ、こうして静かな環境を取り戻してくださり、ありがとうございました。私達は子供達が健やかに過ごせる環境が継続できれば、これ以上の事を望むつもりはありません。……どうか、頭を上げて下さい。きっと運が悪かったのです……お互いに、ね」
「運が悪かった、か。……しかし、運が悪いで済ませられる程、些細なことでもないだろう。今後は、定期的にジャーノンに菓子を持たせる事にしたのでな。寄付はせずとも、差し入れくらいはしても、バチは当たるまい。これは見た目は物騒だがその分、虫除けにも持ってこいだろう。ジャーノンを寄越した時はよろしく頼む」
「……分かりました。でしたらば是非、そのようにしていただけると嬉しいです。子供達もきっと喜ぶでしょう。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
草臥れ加減が似ている老人同士で、固く握手を交わす2人。兎にも角にも、大貴族様の権威でようやく孤児院は静かになったし、気を取り直して夕食の買い出しにでも行こうか。
(それにしても……何かしら? この妙な感覚……)
傷だらけの面影に、何かを思い出せそうな気がして。私の神経は沈静化する気配を見せることなく、燻ったように火照ったままだ。定期的にやってくるという差し入れ以上に、彼自身の来訪を心待ちにしている自分を感じては、自虐的に馬鹿馬鹿しいと……だけど、そんな自分も悪くないと、私は諦めついでにひっそりと納得していた。




