10−34 既に要注意人物
毎度ながら、思いつきで余計な事をする区長のお陰で、帰りが遅くなってしまったと……パトリシアはため息をつきつつ、ようやく家にたどり着く。今日は兄も出かけているし、少しお茶でも飲んでゆっくりしよう……。そんな事を考えながら玄関の扉を開けると、そこには既に頭痛の種・第2号が満面の笑みで待っていた。今日という日はつくづく運勢が悪い日なのだと、パトリシアは思わず額に手を当て、恨めしげに天を仰ぐ。
「お帰り、パトリシア!」
「あ、うん……ただいま。もっと遅くなると思ってたけど。まさか、お兄ちゃんの方が先だったなんて……」
「いや〜! 凄かったぞ、本当に! 誰よりも先に奇跡のお裾分けを可愛い妹にしてやりたくて、だな!」
「そ、そう……。それは、とても嬉しいんだけど……」
今日も今日とて、兄はノンストップで興奮気味。暑苦しく、アーチェッタ見物で起こった奇跡を説明し始めるが。パトリシアとしては玄関ではなく、リビングに入れてくれというのが、本音だ。
「……お兄ちゃん、話はちゃんと聞くから。お願いだから、まずは一息つかせてくれないかしら……」
「おぉ! そうだな、すまない! 新聞の内容もあって、ついヒートアップしてしまった」
「う、うん……」
推薦図書の作者として、教会から特別公開の招待状を受け取っていたセバスチャンだったが、その奇跡は兄の頬を赤色から戻す猶予すら与えないらしい。そうしてお茶を淹れている間も、パトリシアの背後でソワソワしながら、妹の神経を必要以上に掻き乱すセバスチャン。こうなると、兄の沈静化にはかなりの時間がかかる事をパトリシアもよく知っている分……漏れるものは、ため息ばかりかな。
「……はい、まずはお茶をどうぞ。で、そんなに凄かったの? 英雄の再来は」
「あぁ、とても素晴らしい光景だった! ハール様の生まれ変わりという騎士様が、奇跡の結晶を飲み込まれた瞬間に、眩い光が溢れて……生まれ変わった彼は、美しい水の魔法をお使いになったのだ! あぁ! 生きている間に魔法を見ることができるなんて……ぼかぁ、この上なく幸運だった!」
「そう……それにしてもハール様、かぁ。伝説の勇者様なんだろうし、絵本の中で見ている分には良かったけど。実際に同じ時代にいるとなると、ちょっと不気味というか。……他の人が使えない魔法を使えるって、何だか怖い気がする」
「怖い?」
「うん……だって、魔法って人を殺すこともできるんでしょ? ハール様であれば、そんな事に魔法を使うことはしないんだろうけど……そうと分かっていても、ちょっと怖いよね。それに、生まれ変わりの騎士様はどうなるの? ご家族は知っているのかしら?」
「あ、なるほど……。確かに、騎士様にもきっと家族はいただろうし……」
妹の疑問に、ついぞ言葉を失うセバスチャン。目の前の奇跡に興奮し通しだったが、冷静に考えてみれば……騎士様が生まれ変わった事で、家族からその本人をさりげなく奪っている事にしかと気づく。
「……そう言えば。入場されて来た騎士様の様子も、どこか変な感じがしたかも……」
「変な感じ?」
「あ、あぁ。睡眠術をかけられているというか、どこか虚ろな感じは確かにしたんだ。でも、僕は奇跡にばかり気が取られて……そんな事、考えもしなかった」
「……ねぇ。その騎士様、本当に大丈夫だったのかしら? 無理やり連れてこられたりとか、してないよね?」
「う〜ん……そればっかりは、僕には分からないが……。教会が裏で色々やっているらしいのは、今に始まった事じゃないし。騎士様の身元を調べてみる必要はありそうだな」
「あ……変な事に首は突っ込んじゃダメだからね? それでなくても、お兄ちゃんは既に要注意人物だと思うし」
「大丈夫さ! 何たって、僕にはこれがある!」
そう言って誇らしげに、いつぞやの雷鳴石(もどき?)を掲げるセバスチャンだったが。……妹には明後日の方向に満足そうな笑顔が、何よりも危ういものに思えた。
「……それ、悪魔除けだったよね? 教会相手に何の効力が?」
「悪霊退散! もし、ハール様が悪魔だった場合は、これで一発さ!」
「悪魔除けって、その存在を知らせるだけなんでしょ? 退治できるわけじゃないよね?」
「……」
「……」
妹の当然の指摘にフリーズする兄と、思考回路がピタリと止まった兄を冷ややかに見つめる妹。妙な沈黙が続いた後、仕方なしにパトリシアが話題を変えようと……何気なく、テーブルに置かれている新聞をパラパラとめくる。
「……そう言えば、私の方も今日はちょっとした事件があったのよね」
「あぁ、例のシャリア区長失墜の話かい?」
「失墜って……まだ、そこまで行ってないと思うけど。……まぁ、それに近いかな。例の孤児院を買い取るために、場所を教えろなんて言い出すから……一応、止めたのよ。神父さん達は手続きまできちんと済ませて、しっかり孤児院として稼働しているのに、区長みたいなトンチンカンが行っても役に立たないと思って。勿論、そんな事は口が裂けても言えないんだけど……。資金には困っていないみたいですから難しいと思いますよって、しっかり忠告したのに……」
そう、パトリシアはしっかりと警告したのだ。彼らは何不自由なく、孤児院を経営できてしまう相手であり、売名行為の寄付なんぞ受け取らないと思いますよ……なんて、そこまで直接的に言わないにしても。パトリシアはやんわりと釘を刺していた。それなのに……。
「その結果がこれか……。まぁ、僕としてはスッキリする内容だけど。それにしても、トルカフェスタとは……! なんてロマン溢れる地名なのだろう! 執筆活動が忙しくて、後回しにしていたけど……こうなったら、明日は孤児院に取材に行くぞ!」
「それこそ、やめてあげてよ。きっとこの記事のせいで、しばらく大変だと思うし……。それ、かなり迷惑だと思うわ」
「た、確かに。う〜ん……仕方ない。しばらく熱りが冷めるまでは、遠くから眺めていようかな」
「……遠くから眺めているのも、やめて。間違いなくそれ、不審者だから」
相変わらず浮世離れしている兄に頭を悩ませつつ、一方で新聞を片付けついでに畳むが……その瞬間に否応無しに目に入る、英雄降臨の見出し。その文字列を目にした時、何故かパトリシアはどこか……得体の知れない不安を微かに嗅ぎ取っていた。
英雄の奇跡には確かに、死人は出ていないのかもしれない。しかし……奇跡の代償に、存在を無くした人がいる気がして。パトリシアには、その奇跡が現代ハールの不気味さ以上に、どこか残酷なものに見えてならなかった。
***
「どういう事なのじゃ、大臣! エドワルドが、ハールの生まれ変わりだったじゃと⁉︎」
「落ち着いて、姫様。教会からアイネスバート家へ勅令があったと、殿下にはお話ししましたが……。内容としては、そのような事だったらしいのです。それで、特別公開の際に聖遺物を元に無事転生したとかで……既にハールと名乗っているとか」
「……な、なんということじゃ! これでは、ハーヴェンの捜索ができなくなるではないか……」
エドワルドが城から居なくなった事以前に、自分の望みを叶えるのが難しくなりそうだと、落胆するジルヴェッタ。そんな自分勝手な妄執に囚われている姫君の様子を、冷ややかに見つめながら……オズリックは次の手を打つ頃合いを慎重に見計らっていた。
彼の次の手とは、かの帝国へローヴェルズを滅ぼしても良いと、旗振りする事に他ならないが……未だに感情を剥き出しにする姫君の姿を見ている限り、まだ合図には早いようだ。グランティアズ城を広大な実験場にしつつも、肝心の王族に対する実験結果が思わしくないのを見るに……彼女は彼女で、特殊な血筋を引き継いでいるらしい。
(それにしても、シルヴィアは非常に惜しい事をした。本当は、彼女が被験体として最重要個体だったのに……)
瘴気に対する耐性を示していたシルヴィアは、「先祖返り」をしている可能性が高い。そのため、オズリックは王族を監視すると同時に、彼女の様子もそれとなく観察していたのだが……あろうことか、かの愚かな王はオズリックが気づく間もなく、自分の勝手な感傷で実の娘を城から追い出してしまっていた。何の為に、彼女が生まれた時に殺さないように取り成したと思っているのだろう。待ちに待った貴重な先祖返りを……こんなにも素気無く、失う事になるなんて。
(まぁ……いい。あの子はとても目立つ。……見つけようと思えば、簡単に探し出せるだろう)
そうして平静を装いながらも、姫君のそれとは別次元の計画に思いを馳せるオズリック。もう少し、もう少しの辛抱だ。後は彼女さえ見つけられれば。今度こそ、自分から全てを奪った者に……ようやく復讐できる。




