10−32 架空の天空都市出身
「どうしました、コンラッド」
「あぁ、ルシエル様……」
「もぅ、聞いてくださいよ。お偉い政治家さんが自分のアピールのために、こちらの孤児院に寄付をしたいという事なんですけど」
困惑するコンラッドを他所に、終始不機嫌な様子のザフィール。その彼女が憎々しげに「お偉い政治家」と目線をやる方を見れば、中年までには届かないにしても、思い切り若いとは言い切れない風貌の女が張り付いたような笑顔を見せている。そして……その笑顔がこの上なく、胡散臭い。
「そうなのですか? 別に、寄付は悪いことではないのでは。ありがたく、お受けすれば良いでしょう?」
「もちろん、寄付を頂くことは非常にありがたいのですが……。同時に、こちらの名義を書き換えたいとかで……」
「はい?」
名義を書き換える? それは、この孤児院の名前を変更したいと言っているのか? あるいは……所有者名義の変更をしたいという事だろうか?
「あなたが院長さんが仰っていた、ルシエル様ですか?」
「え、あぁ。そうですけど……」
不意に尋ねられ、咄嗟に応じてみると。次の瞬間、彼女の後ろに控えていた大勢の……書記か何かだろうか……が一斉に手元のメモにペンを走らせる。その光景に妙な既視感と目眩を覚えつつ、彼女の言葉を待ってみる。
「あぁ、失礼致しました。私、カーヴェラ区長のシャリア・ルルシアナと申します。役所でこちらの皆さまの素晴らしい活動を耳に致しまして。それで、活動に賛同したくて参りました。私も仲間に入れて頂けませんこと?」
なるほど、そういうことか。恐らく、これは一種の「売名行為」なのだろう。寄付にかこつけて「私はこんな活動を応援しています」と政治家としてアピールするつもりなのか、この妙齢女は。
「えっと、寄付は匿名でもできるし……そんなに新聞記者を大勢引き連れて、わざわざアピールすることじゃないと思うけど……。寄付自体はもちろんありがたいし、孤児院を前向きに認知してもらえるのも、悪いことじゃない。だけど、ここはあくまで個人経営……しかも、ルシエルと他の貴族様の寄付で十分に成り立っている。運営資金には困っていないし、政治の道具にされるのは迷惑だ。そういう事なら、帰ってくれないかな。個人的な私利私欲を、子供達が生活する場所に持ち込まないで欲しいんだけど」
「なっ……! そう言うお前は何者なの⁉︎ 私はこちらのルシエル様と……」
「こちらはハーヴェンと申しまして……私の夫ですが。主人が何か?」
「えっ? あっ……」
1番立場が上だと思われていた私以上に、実はハーヴェンの方が立場が上だとも思ってもみなかったのだろう。そうして、これ見よがしに彼の腕に抱きつくと、シャリアとやらを睨みつける。
「……これ以上は不愉快だ、区長とやら。あなたにどのような権威があろうとも、一介の区長ごとき、我が一族にはつまらぬ相手。売名行為なら、他所を当たれ」
「区長ごとき……ですって⁉︎ 人が寄付してやろうって言ってるのに、何なの、その言い草は! 大体、貴族様ったって、そんなちっぽけな身なりで……その辺の田舎貴族じゃないの⁉︎」
大勢の面前でそこまで言うか、このバカ女は。正直なところ、あまり事を大げさにしたくない手前フルネーム(偽名)を使いたくなかったが……。この際は仕方ないか。
「……私はルシエル・ファブレスカ・トルカフェスタと言う。かの天空都市出身の貴族だが……なるほど? かような大都市では、田舎貴族かも知れんな?」
「ファブレスカ……トルカフェスタ?」
旧天空都市・トルカフェスタ。
かつて、理想郷として名を馳せた、魔法城塞都市。ここ人間界では、永久機関で現代も動いているらしいと言う伝説上の地としても知られるが……実際は天空からはとうの昔に墜落しており、今はひっそりと世界の端に浮かんでいる無人島でしかない。
しかし、そんな無人島も神界の監視対象にはしっかり入っていて……私もよく知っているし、出身地として名乗るにも、貴族としての箔を付けるにも、もってこいの地名だったりする。が……その反面、場所が場所だけに、事が必要以上に大きくなりそうなのが厄介だ。
「トルカフェスタって、まさか……」
「そのまさかだが? とは言え、旧王家である事には変わりなかろう。精霊としてのルーツを色濃く残す者が多い反面、財力以外は既に枯れている。現に私もハーヴェンも、そしてここで働いている者も……魔法はとうに失っているのだが」
「ここで働いている……って、えっ? えぇ⁇」
「だから、さっきから言ってるでしょう? 私達は偉くなりたいとか、しみったれた目的でここにいるんじゃないって。精霊落ちってのは、寿命だけは有り余っててね。そんな時間を子供達のために使えたら素敵だと、こちらのコンラッド様が仰るから、付いてきただけなの。見栄っ張りなだけの小物政治家が、変な勘違いをしないでくれるかしら?」
不機嫌ついでに私の話に合わせる形で、ザフィールがトドメの言葉をシャリアにぶつける。そこまで言われて、流石の小物政治家も分が悪いと判断したのだろう。引きつった笑顔のまま、取り繕うのがやっとのようだ。そう言えば、彼女の背後の新聞記者とか言う集団が先ほどから、逐一記録をしているようだが……これでは、互いに都合が悪い気がする。
「そ、そうでしたの……。それはそれは……大変失礼いたしました……。アハ、アハハ……今日はお暇しますわ。お邪魔いたしました……」
「シャ、シャリアさん! 最後に一言、どうぞ!」
「この孤児院をカーヴェラで区営化するという話はどうなりますか⁉︎」
「あ、来月の区長選への意気込みはッ⁉︎」
しかし、どちらかというと彼らの関心事は私達が「架空の天空都市出身」である事以上に、シャリアの発言に向いているらしい。打ち拉がれる彼女の周りを囲みながら、言葉を促しつつ……ようやく綺麗サッパリ帰っていく。それにしても、本当に迷惑な奴らだ。
「なるほど。来月は区長選があるんだな……」
「区長選?」
「ローヴェルズ傘下とは言え、ルクレス自体は王国じゃないからな。だから、カーヴェラにも独立した自治権があるのだと思う。都度、選挙でトップを選ぶんだろうけど……あの様子だと、シャリアさんの再選は難しい気がするな……」
「本当よね。あんな勘違い女がこの先も区長だったら、カーヴェラの未来はお先真っ暗だわよ」
「カーヴェラはお役所はしっかりしていますよ? 区長とお役人の姿勢は別物なのでしょうか?」
純粋にシャリアの再選を気に掛けるお人好しのハーヴェンと、余程に彼女が気に食わないらしく、未だに不機嫌なザフィール。そして、普段は役所に世話になっているコンラッドが、そこで働いているお役人達に思いを馳せているが……とりあえず、孤児院を乗っ取られる事だけは避けられて、よかっただろうか。
「……人間界で生活するのには、運営以外の部分も気をつけないといけないんだな。まさか、この場所が政治絡みで利用されそうになるなんて、思いもしなかった」
「そうだな。そんな状況を乗り切るためにも……トルカフェスタの話は巧いプロフィールだと思うし、後で子供達にも共有しておくよ」
「うん。……あぁ、そうだ。その辺の口裏合わせは、リッテルとマモンにもお願いしておこうかな。特に、マモンには1つお願い事をする予定だし……」
「お願い?」
リッテルの様子からしても、彼らが人間界へやってくる機会は増えそうだ。だからこそ、ついでにこの孤児院絡みでお願いがあったのだけど……。
「あぁ、もしかして例の薬の事ですか?」
「えぇ。瘴気を清めるミルナエトロラベンダーを、少し分けてもらおうと思っています。人間の病気は大半が瘴気が原因だという事でしたし……瘴気に対して効能のある薬草であれば、こちらでも役に立つのではないかと」
「しかし、ミルナエトロラベンダーは魔界でもとても価値の高い貴重品だと、ヤーティ様も仰っていましたが。マモン様にそのようなお願いをしても、大丈夫なのでしょうか?」
「多分、大丈夫じゃないかな。あいつのラベンダー畑は、ちょっとやそっとの規模じゃないみたいだし。それに、ミルナエトロラベンダーは蕾1つでも効果が出るくらい、高性能なもんだから。量もそんなに必要ないだろう。そうだな……それこそ、ドリッパーとコーヒー豆とかの交換でお願いすれば、すんなり応じてくれると思うぞ」
コンラッドの当然の懸念をそれらしい理由で、きちんと説明してくれるハーヴェンだが……今、何て? コーヒーに……ドリッパー⁇
「……コーヒーって、何で? マモンがどうして、そんな物を欲しがるんだ?」
「あぁ……なんでも、マモンはベルゼブブの恐怖のチョコのせいで、甘いものが軒並み苦手になったんだと。で、お茶しに来た時に、苦めのコーヒーを出してやったことがあったんだけど……殊の外、気に入ったみたいでな。お茶よりもコーヒーの方が好みだなんて、言ってるもんだから。向こうでも飲めるようになれば、喜ぶんじゃないかな」
「そ、そうなんだ……」
ベルゼブブの恐怖のチョコというのは間違いなく、いつぞやに私もお目にかかった例の悪趣味が突き抜けたチョコレートの事だろう。あの時は悪魔の感覚自体を疑ったりしたのだが、マモンはそれが原因で甘いものが苦手になっているとなると、感覚がおかしいのはベルゼブブだけのようだ。この間の禁呪の話といい……面倒見の良さ以上に、彼が危険な相手であることを今更ながら、思い知る。そして……彼の配下のはずのハーヴェンがマトモな感性の持ち主で本当によかったと、感動せずにはいられなかった。




