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天使と悪魔の日常譚  作者: ウバ クロネ
【第10章】同じ空の下なのに
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10−30 凶暴な真実

 親書を提示すると、受付の男2人が顔色1つ変えずにエドワルドに慇懃に応じて、片方が道案内を買って出る。特別公開初日とあって……受付の前では「勇者の形見」を一目見ようと、熱心な信者達がその時を今か今かと待ち焦がれている。

 そんな彼らを尻目に、先んじて奥に通されることに、エドワルドはちょっとした優越感を感じながら、従者の背中を追って廊下を進む。しかし、優越感と高揚感のせいか、彼は廊下の異様な空気……彼にとって、致命的な結果になる事……を感じ取ることができないままでいた。そうしてたどり着いた金色の天使のレリーフで彩られた白亜のドアは、見た目の重厚さに違わず……従者のノックの音さえも、どこか厳かな響きに変えてみせる。


「……ミカ様。お客様をお連れしました。よろしいでしょうか」

「えぇ、よろしい。入っていただきなさい」


 ドアの先から微かに木霊する声が思いの外、幼い事にエドワルドが驚いているのにも構わず、従者が扉を引くが。重々しい見た目とは裏腹に、ドアが音もなく開かれる。そうして彼に中に入ように促すと、従者はその場で一礼し……エドワルドを置き去りにして、受付業務に戻るらしい。彼に一瞥を寄越すでもなく、どこか空虚な表情で来た道を帰って行った。


「急なお願いにも関わらず、来てくれてとても嬉しいです……神の子・エドワルドよ」

「ハッ。オズリック様のご配慮もあり、こうして参上した次第ですが……この不肖の身に、どのようなお役目をお望みでしょうか」

「フフ、そんなに畏まらなくて良いのです。ここには私と側仕えのダチェラしかいません。もっと楽になさって」


 楽にしろと言われても、どう姿勢を崩していいのか分からない。と言うのも、穏やかに微笑む教皇様と思われる存在は……見た目はあまりに幼いのにも関わらず、底知れない不気味さを感じさせる。人形のような整った顔立ちに、深いブルーの髪の毛。そして……瞳は深淵の戦慄を覚えるほどに、真っ赤な血の色をしている。


「緊張しているのですね。まぁ、無理もありません。この見た目に驚かない者など、いませんから」

「い、いえ……決して、そのような事は……」

「いいのですよ。私は奇跡の子として生まれた影響なのか、ある時を境に歳を取らなくなりました。その結果……既に300年程、このままなのです。生き人形とはまさに、この事を言うのでしょう」

「……今、なんと? 300年も……そのまま?」

「えぇ、そうです。ですから、私はハール・ローヴェンに実際に会った……いいえ、その死に際に立ち会ったと言う方が正しいでしょうか」


 300年も生き続けていることも、大概だが。憧れのハール・ローヴェンの死に際を見ていたという話に、エドワルドは驚愕の表情を隠せない。


「まさか……! では、ミカ様はハール様が……どの様にお亡くなりになったかも、ご存知だと……?」

「勿論ですよ。……ハール・ローヴェンは私の目の前で闇堕ちし、悪魔に成り下がった血塗られた英雄なのです」

「⁉︎」

「私に言わせれば、ハール・ローヴェンは神の意志を踏み躙り、牙まで剥いた愚か者でしかありません。ですが、人々にとって彼の存在は信仰の拠り所になっており……そんな勇者が悪魔になったなどと公表すれば、忽ち混乱と同時に、信心深い善良な民を失望させるでしょう。ですので、私は仕方なしに、裏切り者を英雄として仕立て上げる事にしたのです。今、考えても忌々しく……悔しい事ですが。同じ奇跡の子である私以上に、彼の存在は当時のリンドヘイムにとって、なくてはならないものだったのです」


 あまりの衝撃的な内容に、茫然自失のエドワルド。そんな彼の様子をまるで楽しむかのように、悪戯っぽい笑顔を見せた後、ダチェラに「事の次第」を説明するように言い渡す。屈託のない表情で見つめられる渦中のエドワルドを納得させるかのように、ミカの代わりにダチェラが静かに言葉を紡ぎ始めた。


「お前も知っての通り、ハール・ローヴェン……今はハーヴェンと名乗っているようですが……は絵本の筋書き通りの最期を迎えてはいません。約280年前、ミカ様は天使様の力を借りて霊樹・ユグドラシルを復活させようと、とある儀式を執り行いました」

「……儀式?」

「無垢なる少女達を精霊として作り変える事で、新しいユグドラシルの糧にするための儀式です」

「それは要するに、少女達をユグドラシルの生贄にする……と言う事でしょうか?」

「有り体に言えば、そうですね」


 悍ましい内容を事も無げに平然と言い放つ、ダチェラと呼ばれた若い女。そして、その冷徹さ以上に……彼女の告白に恍惚とした表情を浮かべるミカの不気味さに、エドワルドは自分の身が竦むのと同時に、いよいよ強烈な何かの花の香りが鼻をピリピリと刺激するのを、確かに感じていた。

 どうやら……自分は踏み込んではいけない場所に踏み込んでしまったらしい。目の前で凶暴な真実が口を開けているのに、ようやく気づいた頃には……金縛りのように身が微塵も動かない事にも、気づく。そうして傅いたままの姿勢で意図せず、化け物じみた少女を睨んでいる事を……エドワルドはそこはかとなく、自覚していた。


「かつてのハールも、そんな目をしていましたね。そして、少女達に救いの手を差し伸べなかった天使様に……神にさえも失望して、悪魔になったのです。フフフフ……実によい目ぞ! 奇跡の結晶の依代にするに、打ってつけではないか? なぁ、ダチェラ?」

「そのようですね。……依代になる前のあなたに、いい事を教えてあげましょう。ハール・ローヴェンは死の間際に少女を助けられなかった絶望で闇堕ちし……痛みに反応して現れた魔禍を取り込んで、悪魔にその姿を変えました。おそらく、ハールそのものが特殊な魂の持ち主でもあったのでしょうが……。それはともかくとして、その時に残された奇跡の結晶は、ハールの内臓の一部が魔石化したものなのです。私達は英雄再来の第一歩として、奇跡の結晶に魔禍の上澄みを定着させる事に成功しました。しかし、まだ奇跡の完成には足りないものがあるのです」

「奇跡の完成に足りないもの?」


 辛うじて、言葉を紡ぐが。エドワルドは口がカラカラに乾いていくのと同時に、脳裏がヒリヒリと干上がるような渇きを感じている。彼女の言う「足りないもの」の正体を知った時、きっと自分は後悔するだろう。そんな事さえ、遅まきながら理解しつつも……もう、どうすることもできない。


「そうです……奇跡の依代となる肉体が足りないのです。ですが……似通った見た目と良い、身の程知らずの正義感といい。真実の入り口に迷い込んだ蠅の口封じも兼ねて、私達はあなたを新しい英雄として降臨させる事にしたのです。この度は英雄になる権利の獲得、本当におめでとうございます、エドワルド・アイネスバート」

「……⁉︎」


 幼い頃から絵本の勇者に憧れていたエドワルドにさえ、「新しい英雄として降臨する事」がおめでたくも華々しい言葉通りの内容でもない事を、知らしめるように残酷な笑みを見せる2人。そうして、目の前の剣士がいよいよ怯え始めたのに目敏く気付くと、ミカが嬉しそうに高笑いし始める。


「アッハハハハ! 良いぞ! 実に、良い表情ぞ! 怯えながらも最後まで運命に抗う……その精神は決して、不愉快ではない。そして……私はそんな無垢な魂を踏み躙るのが、何よりも好きなのだよ! 心配せんでも良い。お前の意識は真っ黒に染め上げて、しかと残してくれようぞ。この先は完全無欠の英雄として、絵本通りにあの忌々しい悪魔を討伐するのだ! あの忌々しい絵本の結末を正しい物に……お前の手で書き換えておくれ!」


 耳障りなまでにけたたましい少女の声にも関わらず、エドワルドは彼女の声が遠くに聞こえる錯覚に囚われていた。自分はこの後、どうなるのだろう。他人事になりつつある意識の片隅で、かつて教えを乞いたいと切望していた悪魔の言葉が虚しく響く。


《勇者の手っていうのは、多かれ少なかれ血で汚れているもんなのさ。……勝者は敗者にとって、ただの殺人者でしかない時も多いんだよ》


 あの言葉は……そう言う意味だったのか? わざわざ勇者を「勝者」と呼び変えたのには、そういう意図があったという事……。勝者とは勇者ではなく、悪魔でもなく。嘘だらけの絵本を仕立てた教会そのものだった……。そう、言いたかったのか……?

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