10−15 何だ、そうだったんだ
「まずは手を洗って。で、悪いんだけど、上着は脱いじゃってくれる? 食事するのに、それはないわ」
「分かりました……」
食堂で彼女に席を勧めると同時に、明らかに臭いの原因となっている外套を脱がせる。きっと、敵ではないと理解してもらえたのだろう。存外、素直に応じる彼女の顔が光の下に出てきて……私はあまりの異様な姿に、彼女が孤児になった理由をそこはかとなく理解した。
「……そう言えば、あんた、お名前は? 名前くらい、あるんでしょ?」
「シルヴィア……」
「そ。シルヴィアね。いい名前じゃない。……さ、とにかく冷めないうちに召し上がれ。メイヤも一緒に仲良く食べるのよ?」
「ん、ん!」
「……いただきます」
首を縦に振っていただきますを表現するメイヤに対し、きちんとお祈りをしてスープにスプーンを潜らせ始めるシルヴィア。慣れたスプーンの扱いに、少なくとも、彼女がそれなりの躾を受けてきたらしい事を感じ取る。あまりに真っ白なその外見の特異さも含めて、かなり「訳あり」の様子だ。
とは言え……それを無理やり聞き出したら、少しは解れた警戒心がまたきつく結ばれてしまうかもしれない。積もる身の上話は、自発的に話してくれるようになるまでは、強いて聞く必要も無いだろう。
誰にだって聞かれたくない事、話したくない事がたくさんある。魔界で暮らしていると……そういう事をこじ開けるような輩も多くて、私自身も随分と嫌な思いをさせられた。
「……とても、美味しいです。……こんなに暖かいシチュー、久しぶり」
「そう? それは良かったわ。買出し前だから、あまり大層なもんじゃないけど。……ここにいる間は、その程度の食事は出してやれるから。さっきの院長の言葉じゃないけど、気が済むまでいてくれて構わないわよ。今の所、他の子はメイヤしかいないけど……みんなで仲良くできさえすれば、とやかく言うつもりもないわ」
「ぁう!」
「よしよし。メイヤは仲良くできるの。いい子ね」
「う、うふ……」
短い言葉ながらも器用に自分の意思を伝えてくるメイヤの頭を撫でてやると、嬉しそうに足をパタパタさせながら、スープを不器用なりに掬って口に運んでいる。その様子に少し安心しながら、さっきの続きとばかりにパンを焼こうとオーブンに戻ると……今日のお仕事にやって来たのだろう、ザフィとネッドがこちらに顔を出した。
「おはようございます、アーニャさん」
「2人ともおはよう。あぁ、ザフィ。悪いんだけど、新入りの健康診断をお願いできるかしら」
「おや、私の出番かい? もちろん構わないけど……へぇ。それにしちゃ、随分と珍しい子がやってきたもんね」
「この子、シルヴィアって言うらしんだけど。それはそうと……珍しいって、どういうこと?」
朝の挨拶もそこそこに、スープを啜っていたシルヴィアについて言及するザフィ。医者が言うからには、見た目の特異さは……医学的な原因でもあるんだろうか?
「珍しい……私が、か?」
「あぁ、ごめんね。いきなり、それはないよね。別に変な意味じゃないよ。生きていく分には、問題はないだろうし……ただ、強い直射日光を浴びることは避けないといけないから、対策は考えないといけないかな」
「あなたは……お医者様なの? どうして、そんな事が分かるの?」
ザフィの言葉に目を丸くするシルヴィア。どうやら、シルヴィアにもザフィの指摘に心当たりがある様子。……なるほど。彼女があんなにも分厚い外套を着込んでいたのは、日光を避けるためだったのか。
「ふふ、こう見えても結構、ベテランの医者なんだけど。で、君の状態は色素欠乏症だろう? 本来、人間には瞳や髪の毛、肌の色全てにおいて、体内で生成された色素……メラニンというものなんだけど。その色素で体を色付けすることで紫外線だとか、悪い光線に対して一種のバリアを張っているんだよ。しかし、君はその色素を作る部分がお休みしている。だから、悪い光線に対して抵抗力がないもんだから……強い日光の下で生活することはできない」
「……ということは、この私の見た目は呪いとか、私が悪いわけではないって事……?」
「呪い? そんな訳、ないでしょう。まして、君が悪いだなんて、絶対にない。その状態にはきちんと原因と理由があるんだから、訳の分からない事を言い出したおバカさんには、きちんと説明してやらないといけないよね」
ザフィがカラリと説明すると、小さく「何だ、そうだったんだ」と呟いて、いよいよ悔しそうに泣き始めるシルヴィア。……やはり、この子は見た目のせいで随分と苦しい思いをしてきたのだ。そして、自分が悪いわけでもないのに、理不尽に辛い目にあってきたのだろう。
目の前の彼女の様子に……どこであろうとも、理不尽に難癖をつける奴がいるのが、とにかく気に食わない。ザフィではないが、そんな馬鹿には抗議をしてやりたい。
「……そっか、シルヴィアはそのせいで辛い目にあったんだね。でも、大丈夫よ。ここには、そんな馬鹿げた理由で君を傷つける奴はいないから。堂々と胸を張っていいんだよ」
「はい……。これから、よろしくお願いします……」
「まぁまぁ。可愛い上に、礼儀正しい事。私はネッドと言います。こちらこそよろしくね、シルヴィアちゃん」
自己紹介しつつ、洗濯係の役目を抜かりなくこなすつもりらしいネッドが、彼女の外套を嫌な顔1つせずに拾い上げている。きっと、きちんと洗うつもりなのだろう。神界の上級天使だと言う割には、偉ぶった様子もなく、彼女の細やかな気遣いにただ感心してしまう。
「だ、そうよ。それじゃ、シルヴィア。ちょっと贅沢だけど、朝風呂にしましょうか。……メイヤも一緒に入る?」
「ん!」
「私はこちらを洗うついでに、着替えを用意しておきますね」
「えぇ、悪いんだけど、それで頼むわネッド。……それじゃ、また後で」
「うん。私も健康診断の準備しておくから、後でね」
きちんと3人で役割を確認したところで、メイヤとシルヴィアを連れて浴場に向かう。
それにしても、孤児第1号からここまで複雑な理由を目の当たりにするなんて、思いもしなかった。ただ親に捨てられたり、ただ親と生き別れたり……大部分の理由はそんな物だと思っていたのだけど。妙に躾も行き届いているシルヴィアのそれは……ちょっと違う気がした。
孤児院入り口で蹲っていた時よりは、穏やかな表情のシルヴィアの様子を窺いながら、そんな事をボンヤリと考えるものの。ここに居ると、その細かい理由を沢山抱えることになりそうで……俄かに身震いする。そうして意外と、嫌ではない上に、自分が世話好きらしい気もして。彼らと接していれば、何となく……私自身についても再発見できるかもしれないと、妙に他人事めいた感覚を噛み締めていた。




