10−9 ルルシアナ・ミュージアム
「ようこそ、ルルシアナ・ミュージアムへ。鑑賞料はお2人ですと、銅貨12枚ですよ」
「それじゃ、これで」
無事にたどり着いた入り口で、鑑賞料とやらを言われるがままに支払うが。ただ見るだけなのに、さっきのカフェ代よりもお高い事に気づいて……何となく、不必要な贅沢をしている気分にさせられる。人間界のアートっていうのは、随分とお高級らしいな。そんな事を考えながら順路通りにお行儀よく進むと、どうでもいい絵に混じって、俺でも「これは」と思えるものも結構あるっぽい。
王宮の中庭を描いた物に、お姫様達の日常風景を描いたらしい物……絵自体の価値はともかく、眺めるだけでちょっと感動させられるのだから、案外、さっきの鑑賞料も高くない気がしてきた。
そうして、大人しく沢山の絵の前を通り過ぎた後に……きっと、超目玉の作品なんだろう。最後の最後に、あのポスターの元ネタが架けられている壁に行き着く。実物は思っていた以上にかなり大きい上に、よくよく見ると、表面は平面ではなく、細かい凹凸が幾重にも重なっている。そして……凹凸1つ1つが、実は絵の具の重なりの集合体である事を俄かに諒解すると、改めてお姫様達の寂しそうな視線がどことなく生々しく思えるから、不思議だ。……これが臨場感ってヤツなんだろうか。
「……こいつは凄いな。芸術なんてものに無縁だった俺でも、圧倒されそうだ」
「えぇ。この絵はカンバラ最後の肖像を残すために、王宮画家が描き上げた作品だったと思います。お姫様達は処刑前日に黒い喪服を着せられて……死ななければいけない恐怖に泣きだすのも堪えながら、モデルになったのだそうよ」
深緑だと思っていたそのドレスは、リッテルの解説によると黒い喪服らしい。他人事を装った解説に悲しい空気を滲ませながら、だけど、確かに懐かしいと言いたげに寂しく微笑むリッテル。しかし、曰く付きの絵を前にして、隣でそんな顔をされたら……必要以上に切ないじゃないか。
「そうなんだ。しかし……絵でもこんなに綺麗なんだから、実物はもっと美人だったんだろう。そんなお姫様を目の前で見られた王宮画家とやらは、相当に幸せ者だな」
「そうね、そうだといいな。……ありがとう、あなた」
「もちろん、実物は3人とも絶世の美女だったそうですよ。そちらのお嬢さんは随分と作品にも詳しいようで」
……折角、いい雰囲気だったのに。俺の言葉を掻き消すように、妙に気取った声の紳士風な男が会話に割り込んできやがった。……人が嫁さんを励ましてんのに何、邪魔してくれてんだよ。
「お兄さん、誰?」
「あぁ、失礼。私はペラルゴ・ルルシアナ、と申しまして。この美術館の館長をしております」
「へぇ〜。って事は、この絵の持ち主か?」
「いいえ、こちらはリンドヘイム聖教所収の品ですので、当館の所蔵品ではありません。今回は英雄生誕300年の節目という事で、教皇様の許可を得て特別に展示しております」
あっ、そうなんだ。この絵は借り物なんだな。もし良ければ、譲ってもらえないかなと思っていたが……持ち主じゃないんなら、仕方ない。
「いやはや、私も生きている間にこちらの絵を見られる幸運に恵まれた事も去ることながら……まるで絵の中から抜け出してきたような、美しいレディに巡り会えるとは思いもしませんでした。いかがです? 宜しければ、晩餐をご一緒していただけないでしょうか?」
だけど、絵の交渉以前にリッテルとの交渉に入る美術館長さんとやらに、呆れて物も言えない。なんだろうなー。さっきのカフェでもそうだったけど。……俺の存在、完璧に無視されている気がする。
「……申し訳ありません。今日は主人と行商の合間に、この街に寄っただけですので。子供達を留守番させておりますし、お土産を買った後は帰らなければなりません。折角ですが、お誘いをお受けするわけには参りませんわ」
「しゅ、主人に……子供?」
「いや……さっきから俺、横にいるんだけど。サッサと気づけよ」
「あ、まさかご夫婦だとは思いもしませんで……これはこれは。失礼いたしました」
やっぱり、また変なのが沸いてきたな……。きっと悪い虫をはたき落とす方便で、そんな言い方をしたのだろうが。リッテルの言う子供達がグレムリン(+アルファ)な事に微妙な気分になりつつ、いけ好かない感じの気取り屋の動向を窺う。この様子だと、荒事にはならなくて済みそうかな……?
「それにしても……あなたにはこんなに麗しく、美しい奥方は勿体無いのでは?」
「それ、どういう意味?」
しかし、暴力沙汰にはならないにしても、なかなか引き下がらない色男。リッテルがこれ程までに、見境なしの害虫ホイホイだとは思いもしなかったぞ。
「美しいモノには人であれ、美術品であれ、相応しい持ち主が必要だという意味ですよ。ご様子を見る限り、奥様はかなりの名家のご出身とお見受けします。一方であなたは粗野な言葉遣いといい、美術品への造詣の欠如といい。品位が全体的に足りないように思います。ですので、奥様には私のように地位と名声……それと魅力と品位に溢れた……ッ⁉︎」
俺を散々こき下ろしながら、自分を持ち上げに持ち上げる男の言葉が鋭い破裂音で途切れる。……今度は嫁さんが直接、手を下すことにしたらしい。見れば、ぺラルゴさんは左頬に見事な手の平型の真っ赤な跡を刻みながら、間抜け面で硬直していた。
「先ほどから黙って聞いていれば、主人を言いたい放題バカにしてッ! 本当に品位のある方は他の方を貶めながら、自分を飾る事はしません! 私はあなたみたいに、何もかもが失礼な方に所有される気も、主人の元から離れる気もないわ。いい加減にして!」
「し、しかし……! あなた程の美人がこんな……」
「まだ、何か⁉︎ こうなったら……あなた! このお馬鹿さんを縦真っ二つにしちゃて下さい! 風切りさんだったらその位、簡単にできるでしょ⁉︎」
「ま、真っ二つ⁉︎」
相当にお怒りらしい嫁さんの口から、物騒なオーダーが飛び出す。確かに、物理的には可能だけど……それはそちらさんのルール的に、明らかにやっちゃダメだろ……?
「いやいやいや、それはマズイだろ! リ、リッテル、落ち着け! とにかく行こうか……?」
「グスッ……私、悔しい……! こんな見ず知らずの変な人にまで、あなたをバカにされて……」
「あ、俺は大丈夫だから。お前が俺に勿体ないのは、随分前から分かってたことだし。だ、だから落ち着け……な?」
「これが落ち着いていられる⁉︎ もぅ! どうして、あなたはここでビシッと言わないの⁉︎」
とうとう耐えきれなくなったのか、その場で号泣し始めるリッテルと、どうしていいのか分からない俺。そうしてしばらく彼女の涙を見つめた後で、とにかく嫁さんを宥めるしかないとため息交じりに思い直す。
「そう言ってくれるのは、とても嬉しいけど……リッテル。いい加減、落ち着け。さっきから、かなり目立ってるみたいだし……」
「……へっ?」
俺が気圧される勢いで泣き始めた嫁さんを、仕方なしに諌めるが……色々と手遅れな空気が容赦無く突き刺さるようで、とにかく気まずい。
「あ〜……とにかく俺達はそろそろ、退散します。お邪魔しました、っと。……ほれ、リッテル行くぞ。土産と絵を選ぶんだろ?」
「……はい……」
弱々しく了承を示す割には納得しかねるのか、歩き出すこともせずに、俺の胸元をハンカチ代わりにしつつ泣き続けるリッテル。仕方ないな。ここは彼女ごと強制退去するしかないか。……そうして彼女を抱き上げると、以前より大分重くなった事に気づく。その重さが何となく、リッテルが元気になった証拠にも思えて。場違いながらも、そこはかとなく嬉しい。
「ハイハイ。聞き分けのない甘えん坊の姫様には、特別に抱っこでの移動を許可しまーす。……しばらく泣いてていいから、とにかく行くぞ」
「……グスッ……すみません、迷惑ばっかりで……」
「別に迷惑だなんて思ってねーし。……そんじゃ、みなさんご機嫌よう、っと」
「ちょ、ちょっとお待ちを!」
ようやく場を収められたと安心したのも束の間、尚もペラルゴが食い下がってくる。こっちはこれ以上、何も言う事ないんだけどな。真っ二つまでいかないにしても、色々と分からせる意味で……耳くらいは落としてやった方がいいんだろうか?
「あ? まだ何か用か?」
「い、いいえ……最後にお名前をお伺いできれば、と」
「そんなモン、聞いてどうすんだ? 多分、この先、お前さんに会うことはないだろーよ」
「あ……そう仰らずに。是非に旦那様のお名前もお伺いしておきたいのです。……可憐な奥様を泣かせてしまったお詫びに、当館へお越しいただいた際は鑑賞料を頂かなくて済むように致しますので」
さっきまでの挑戦的な表情をヘラヘラした顔に豹変させて、提案してくるペラルゴだが……それが文言通りの内容ではなく、良からぬ事を考えも薄っすら透けて見えるのが、浅はかと言うか。まぁ、この際だから企み事をバラしつつ……仮名くらいは教えておくか。
「俺はグリードって言うんだけど。あ〜……言っとくが、リベンジや決闘の申し込みの場合は、それなりに頭を揃えとけよ。その辺のゴロツキ程度だと、瞬殺レベルで相手になんねーだろうし」
「は、はい? い、いえ……そのような事は……」
「そう? だったら、良いけど。悪巧みしている人間ってのは大抵、同じ表情をするもんだから。もしかしたら、と思っただけだ。……長年、身1つで渡り歩いていると、そういう事も分かったりするもんでな。扱っているモノがモノだから、切った張ったもよくある事だし。俺相手にそんな事を考えてんなら、やめておけ。荒事になった場合、冗談抜きで全員真っ二つにせにゃならん」
「……⁉︎」
あからさまに驚いた表情を見る限り……図星か。やれやれ、もう相手にするのも馬鹿馬鹿しい。そうして、俺が諦め半分で踵を返すと、腕の中の嫁さんが泣き顔から一変、嬉しそうな顔でこちらを見つめているのに気づく。えっと……これは、もしかして。
「子供達へのお土産、どんなお菓子が良いかしら? ね、グリちゃん?」
「服屋でもそうだったけど……その変な呼び名、やめてくれよ。全く、お前は例の怪盗がらみになると、途端にイタズラっぽくなるんだから……」
「フフ。だって……とても嬉しいのですもの。この瞬間の何もかもが……とても嬉しい」
とても嬉しい、か。その嬉しい内容を根掘り葉掘り聞く必要はないと思うけど、俺は彼女の涙が乾いた事にホッとしていた。少なくとも、彼女に嫌われるようなヘマはしなかった訳だし……もうちょっとこの調子で頑張れば、無事に帰れるだろうか。
それにしても……人間界での買い物って結構、大変なんだな。次はもっとソツなくこなせる様に、買い物のコツもハーヴェンに教わっておこう。




