9−63 怪盗紳士グリードと深窓の令嬢(6)
「さ、この先が会場です。姫様を頼みましたよ、グリード殿」
アグリッパに連れられて、来たはいいものの。どうやらお供してくれるのは、ここまでらしい。どこか申し訳なさそうにしながら、そのまま一歩下がって……彼女が困った顔をして、こちらの様子を窺っている。
「あ? お前は来ないの?」
「ここから先に足を踏み入れられるのは、上級貴族のみです。私には、出入りする権利を与えられていません」
「ったく。人間ってのは、まとめて下等なくせに、上下関係だけはしっかり作っているから、本当に救いがないよな。強い弱いで、ハッキリ実力が分かれている訳でもなし……この上なく面倒クセェな、お前らは」
「そうですね。本当に、その通りですね。ですが、面倒臭い妄執を破って、姫様のそばに居ることを許されるほどの実力は……残念ながら、私にはないのです。ですから、お願いです。私の代わりに、どうか姫様を……」
「分かってるよ、分かっていますとも。……暇つぶしがとんだ事になったが、ちょっとした思い出とやらにするのも悪くないか。まぁ、舞踏会を丸く収める保証はしないけど……姫様の安全くらいは保証してやるよ」
「ありがとうございます。……では、後ほど」
そこまで言い捨ててやると、安心したように瞳を潤ませて、一礼と共に去るアグリッパ。姫様を守りたい気持ちは本物らしいが……そうして今までの事を思い返しながら、アグリッパの正体に思いを巡らしていると、またも空気を読まないダミ声が響いてくる。人が一生懸命考えているのを邪魔しやがって……本当に鬱陶しいな、このクソ親父。
「待ちわびたぞ、ルヴラ! ほらこちらに……って、あなた様は……!」
「お待たせしました、父上。ふふ、素敵でしょう? 私のボディガードに、コルネリウスがお供を用意してくれたの!」
そりゃそうだよな。悪魔が姫様のボディガードまで引き受けてるとは思わないよな、普通。
一方で、父親の慌て様が愉快なのだろう。俺の腕に抱きつきながら、姫様が嬉しそうにクスクスと笑っている。その様子に何故か俺も少しだけ嬉しくなるのを心の端で感じつつ、自己紹介をすることで気をそらすことにした。自分がどうして嬉しいのかも、分からないまま。目障りなくらいに明るい会場に馴染もうと、必死に体裁を整える。
「姫様のボディガードを務めることになりました、グリードと言いまーす。よろしくー」
「は、はい……よろしくお願いいたします……」
仕方なしにしてやった自己紹介に、及び腰になるロヴァ親父だが……姫様の「本来の使い方」を変更する気もないらしい。隣にいた側近に何かを合図すると、姫様に自分と一緒に玉座に来るように言い渡す。
「……あの、グリちゃん」
「分かってる。きちんと側にはいてやるから、姫様なら姫様らしく、この場は我慢して振る舞え。どんな事にも段階と順序がある。……今は我慢しろ」
「……うん、そうですね。ここは……ワガママを言う場面ではないですよね」
しんみりと返事をすると、少し寂しそうな顔で父親の後に付いていく姫様。スカスカの玉座に、口うるさく自分を縛る親。その組み合わせに嫌な事を思い出しながら……どこか置き去りにされた気がして、ちょっと辛い。自分も親に反抗して飛び出してきた手前、彼女の後ろ姿を見送るのが、何故か悲しかった。
「紳士淑女の皆々様! 今宵はようこそ、我がヴァンダートの舞踏会にお越しくださいました! この度、目出度いことにカンバラ法国とヴァンダート王国の和親条約成立に伴い、両国の王子と姫君の間に婚姻を結ぶ次第と相成りました! 本日はそのご報告と前祝に、ささやかながらこのような場を設けさせていただきましたので、皆様も存分に歓談と交流を温めてくださいませば、これ以上の有意義な時間もありますまい。後程、グスタフ王子とルヴラ王女のご紹介を改めて致しますとともに、お言葉を頂戴する予定となっております。それまでは皆様、どうぞごゆるりとお楽しみください」
俺がちょっとおセンチになっていると、ロヴァ親父に何かを指示されていた側近が、高らかに舞踏会開始を宣言し始めた。会場中に割れんばかりの拍手が溢れるが……本人にとっては目出度くないであろう状況に、吐き気がする。
自分は道具じゃない……か。他人事の拍手喝采の中で、彼女の言葉の真意を改めて考える。きっと姫様は相手がどんなに完璧でも、どんなに見目麗しくても……同じ事を言いながら、抵抗するんだろうな。
「おぉ! ルヴラ、久しぶりだね!」
「……お久しぶりです」
ボンヤリと姫様の様子を見守っていると、馴れ馴れしく彼女に近寄り、鼻息を荒げて声をかける……服を着た豚? らしき奴の姿が目に入る。その豚が少しモタモタしながらも膝を着くと、形ばかりの体勢で姫様の手の甲に口づけをするが。一方で、手を握られるのすら耐えられないとばかりに……姫様は少し顔を背けながら涙目になっていて。顔を背けるついでに、縋るような視線を俺に送ってくる。……早速、ヘルプがかかったみたいだが。側近が高らかに宣言したばっかりなのに、俺が割って入ってもいいんだろうか?
(考えていても仕方ないか。姫様を頼みますっていうのは……こういう事も含まれてるで、いいんだよな?)
とは言え、俺もあまりに気色の悪い光景が耐えられないわけで。考えるよりも早く、自然と足は既に姫様の元に向かっていた。
「はーい、お触りはご紹介とご挨拶が済んでからにしてくださーい。姫様が嫌がってますよ〜」
「な、何だチミは! このグスタフ様に向かって失礼でしょう⁉︎」
「あ? お前がグスタフ王子? ごめん、服を着た豚にしか見えなかったから……余興かと思った」
「な、何だと⁉︎ この僕が……豚⁉︎」
「いやいやいや……まさか、その体型で自覚ナシな訳? あり得ないだろう、そんなの。女を口説くんだったら、もうちょいマシな見た目になってからにしとけよ」
「誰だか知らないが……僕と愛しいルヴラの間に入るなんて、いい度胸だな! こう見えて、僕は剣の達人なのだ! その無礼な口をこの場で塞いでやるから、覚悟しろ!」
「ま、待ってください、グスタフ様! そ、それは、やめた方がいいかと……」
「何故です、父上。大体、こいつは何なんですか? こんな怪しい仮面を着けた奴を、ルヴラの側に置くなんて!」
鼻息を更にヒートアップさせて、ブヒブヒ言いながら不釣り合いなレイピアを構え始めるグスタフと、必死に止めに入るロヴァ親父。俺の正体を知っていれば、当然の対応だろうな。その判断は一応、褒めてやるぞ。
「怪しくて悪かったな。この仮面はとっても由緒正しいものだったりするんだけど……ま、お前達には関係ないか。で、俺は愛しい姫君とやらの強いご希望で、悪い虫を叩き落とすために雇われてんだけど。……姫様、どうする? こいつは叩き落としていい奴か?」
「そうして欲しいのは、山々なんだけど……。でも、グリちゃん。それをしたら……」
「あぁ、そうだよな。国交にヒビが入るか。じゃ、こいつの所で一生我慢する?」
「そ……それは嫌! そんなの嫌です……!」
目の前の状況に耐えかねて、いよいよ号泣し始める姫様の様子に……歓談どころではないんだろう。気づけば、あたりは水を打ったみたいに静まり返っていて……その場にいる全員が、好奇混じりの表情でこちらを窺っている。やれやれ……どいつもこいつも、本当に救いようのないアホ揃いだな。こんな状況になっても、姫様の味方が1人もいないなんて。興醒めもいいところだよ、全く。




